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引越しの日の黄色いマステ

はじめてひとり暮らしをした部屋を出る日の
小さなあったかいできごとのこと。

あの部屋に差し込む光や風といっしょに
いまでもふと思い出す。

*****

大学卒業までは実家で暮らしていた。

ずっと夢だった雑誌編集の仕事が決まり
卒業後の春から、初めてのひとり暮らし。
県内ではあるものの
通勤するには難しい離れた土地のため
大学4年の1月から家探しを始めた。

ひとり暮らし未経験のくせに
いっちょまえにつけた条件は
オートロック、2階以上、風呂トイレ別、コンロふた口などなど。

というよりも、心配性の母と、その母に似ているわたしの中には、それ以外の部屋は選択肢になかった。

すぐに借りる部屋も決まり、
卒業式までの約2ヶ月間、
ニトリや無印を行ったり来たりして
一人暮らしに必要なものを少しずつ揃えた。

すべてが初めてで すべてが新しい。
今まで姉と二人部屋だったわたしにとって
完全なるわたしの部屋ができるのは
とても嬉しかった。

*****

編集の仕事は、予想通りかそれ以上に過酷だったし難しかったが、同期や先輩に恵まれ、とても濃厚で楽しい日々だった。
その日々の中には、わたしの部屋での思い出も含まれている。

会社の新入社員だけで料理や会場の装飾などを全て準備するという謎の風習の懇親会のために、わたしの部屋に同期数人で集まり夜中までかかって準備したり、近くのスーパーで食材を買って、わいわいお酒を飲みながら料理をする楽しさを知ったり。

失恋した友人が、夜中に泣きながら家に来たこともあったな。

社会人1年目、ひとり暮らし1年目。

楽しいことも新しいことも
悔しいことも悲しいことも
溢れるくらいにたくさんあって
家にもいろんな人が来てくれた。
その瞬間の中には
きっと自分の苦しくて暗い気持ちもあっただろうに
今思い出すと、明るくてさわやかな思い出だ。

*****

その後、約1年で県内の支店への転勤が決まった。
仕事の締め切りと引越しが重なり
母に手伝ってもらいながら
なんとか荷物をまとめていく。

パソコンデスクの前の壁には
この部屋で過ごした1年の間に出会った
お気に入りのポストカードや、
旅先で泊まったゲストハウスの案内の紙、
ライブのチケット
カフェのショップカードなど
とにかく自分のすきなものを貼り付けていた。

最後まで残していたお気に入りスペース。
カードたちをはがそうとしたとき
あるものが目にとまる。

誰だよ、こんな粋なことして。

心で毒づきながら、
あの人かな、この人かな。
と、この1年の間にわたしの部屋に遊びに来てくれた友人達のことを思い出す。

誰であっても
わたしがなんとかかんとか生活をしていた部屋に来て、笑ったり泣いたり飲んだり食べたりして、
わたしを見て頑張りすぎてる、と感じてこんな言葉を残していってくれたのであれば
全部包まれて救われる気持ちがした。

寂しくても辛くても苦しくても
見ていてくれる人がいるということ。
わたしのことを気遣ってくれる人が
いるということ。
そのことを考えたら胸がきゅっとなって
涙が止まらなかった。

さまざまな経験をさせてくれて
大好きになったこの街を
1年で離れることになるのは正直寂しかった。
それに、転勤先でうまくやっていけるのかという不安もあった。
仕事に追われて、自分の心の揺れを
見て見ぬフリしていたけど。

慣れない仕事にあたふたしながら
必死に生きている中で起きた
この一瞬の出来事を思い出すと
今でもあたたかな気持ちになる。

未だ、誰だったのかわからないけれど
そんなことは、もうどうでもよい。

初めての一人暮らしの部屋での
いちばんあったかい思い出。

#はじめて借りたあの部屋
#ひとり暮らし
#思い出

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