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「人は人、自分は自分」の線引きが、実は困っている人に対する思いやりの始まりなのかも…

高速道路で事故渋滞。全く進まない。イライラする。
そんな時、救急車のサイレンの音がする。

アメリカでは(州にもよるらしいけど)、救急車両のサイレンが聞こえると、モーゼの十戒のようにみんな素早く道をあけ車を停止させる。それは渋滞の時でも、高速で走っている時も同じ。本当に素早い。

そして、アメリカに来てしばらくして気づいたんだけど、多くの人が緊急車両が通り過ぎる時、十字架をきって祈りを捧げるんだよね。見知らぬ誰かの無事を願って。もちろんこの行いは宗教的な背景もあるけど、信仰のないアメリカ育ちの息子も「どうか無事でありますように」と口にします。

渋滞を進むと、事故現場にたどり着く。そこに救急車がいれば息子は「Good luck」とまた祈る。他のドライバーも無事を祈ってる。

一般的に、アメリカ人は、個人主義(Individualism)、日本人は、集団主義(Collectivism)と言われています。

個人主義って聞くと、一見「自分は自分、他人の事なんて構わない」と、なんだか「冷たいな」「利己主義(自分の利益を重視し、他者の利益を軽視する考え方)」と思われがちだけど、

実際のアメリカ人は救急車の例にあるように「利他主義(自分の利益よりも、他者の利益を優先する考え方)」の人が多いように思うんですよね。

そして「人は人、自分は自分」の線引きがはっきりできている人たちです。

だから「困っている人がいたら自分ができる範囲で手を貸す」がシンプルにできます。「困ってるんでしょ。じゃぁ助けるよ」と。

仕事中「体調が悪い」といえば「早く帰って休みなよ」とさらっと言ってくれます。

これって多分、自他の線引きがはっきり出来ているから、自分と他人を比べて相手の大変さを推し量る必要がないからなんですよね。自分と比べることなく「相手の立場」をシンプルに尊重する事ができているというわけです。

これ、日本に当てはめてみたらどうですか?

「大変だ」と言えば「私も大変だ、あなただけじゃない」とかえってくることが多いように思います。

多分これは、自分と他者の線引きがうまくできていなくて、他の人が自分と同じように努力や我慢をしない事が許せない傾向にあるんですよね。

本当なら

「大変だ」「そうなんだ、大変なんだね」とか
「大変だ」「私も大変。だったらお互い楽にできる方法を考えようか」

の方がみんなが楽になれるのにね。

こんな風に考えるとね、「人は人、自分は自分」の線引きが、実は困っている人に対する思いやりの始まりなのかもなって思ったのが、今日のNote。

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