ファイナルファンタジー16 被害者たちは神を殺せたか③ 【「謎」のゲーム、FF16】

「謎」のゲーム、FF16

「②被害者たちのオンパレード」からの続きです。

ここからは、ストーリー上の謎について考えてみます。
このゲーム、めちゃくちゃ謎が多いです。

謎について考えるとは、解釈とか考察するとかそういうことではなく、極めてシンプルな話で、僕はFF16の話の意味が結構よく分かってないのです。それについて書きたいです。

僕、このゲームやっていてかなりの部分で納得できなかったり訳が分からなかったりしました。たぶん、分かったところの方がはるかに少ないです。

「お前よくわかってねえのにきついとか単純だとか一方的に難癖付けてたのか」、と思われると思いますが、すいませんその通りです。単純なのに意味が分からないというのは我ながら奇妙ですが、今の僕はそう言うしかないのです。

これらの謎は突き詰めると、僕のFF16に対する「単純な被害者のゲーム」という批判を強化するかもしれないし、逆に僕の見る目の無さ、理解力の無さ、知識の無さ、今日性の無さ、意識の低さを刺すことになるかもしれないです。後になって振り返るためにも今の疑問を書いておきます。

しかし、あまりにも意味が分からない部分が多すぎるため、全部書いていくと永遠に終わらないし、何よりただの愚痴になっていくのが明白なので、重要と思われるものに絞って書きます。

・ベアラー問題

FF16を語るときにこの問題は避けられないだろうと思います。「ベアラー」についてです。正直これについて話すの怖いんですが、避けられないのでしょうがありません。

FF16の世界は、「マザークリスタル」が支配する世界です。
マザークリスタルがもたらす魔法の力で生活のすべてが成り立っており、各国はこれの所有権を巡って戦争しています。

そんな中に、クリスタルを使わずに魔法を使えるベアラーと呼ばれる人々が多数存在しており、彼らは全世界的に奴隷にされていて、差別・迫害されています。彼らを解放することがFF16の物語の1つの大きなモチベーションになっています。被害者だらけのFF16の中でも、最多かつ最悪の被害者たちです。ベアラーたちは魔法を使えるだけでそれ以外他の人間と何も変わりません。そんな人たちを差別するなんてひどい話です。そんなひどいことする奴らはぶちのめすしかありません。

しかありません、なんですが、僕もうここでいきなり躓いているんです。

何を持って、どうやってベアラーが差別されているのか、いまいち呑み込めない。

まず、このFF16世界では、魔法が絶対的な価値を持っています。ベアラーに労働力になってもらうか、クリスタルが無ければ一般人たちは生活さえ立ち行かない。戦争も魔法を使えるやつの方が強く、圧倒的に有利です。何しろクリスタルを巡って全ての国が戦争しているんですから、実際にベアラー兵は重要な戦力でもあります。

要するに、僕にはどう考えてもベアラーというのは凄い力を持っている人たちに見えます。日常にも完全に浸透しています。これを迫害するというのはどうやったら可能なのだろう? あまりにも差別がひどすぎて、彼らが全く無抵抗で、徒党を成して戦わないことに違和感があるのです。過去にベアラーと人間が戦争していた、という10行くらいのテキストが出るクエストが最後の最後にありましたが、それだけ? という感じです。

ベアラーが参照するのは現実世界の黒人差別であり、魔女狩りであり、奴隷制度であり、部落差別でしょう。しかし僕にはベアラーはそのどれにも当てはまるように見えません。

まず、差別や奴隷というのは、「自分たちと違う奴ら」に対する迫害が原則だと思います。違う、というのは能力や見た目の問題だけではない。占領地で黒人を奴隷にして売り買いしても、国も生まれも関係がない自分たちと違う人間なのだから動物と同じでどうでもいい、という野蛮人の経済システムと思考回路が差別の基本だと思います。

しかしベアラーは外部ではなく、前触れなくいきなり一般人の中から普通に生まれてきます。
「生まれた子供がベアラーだった。最悪。さっさと捨てた」という母親が登場し、一般的な慣習として提示されるのですが、正直僕には理解しがたい感覚です。どれほどその差別が法や常識によって決まっていたとしても、生まれたばかりの赤ちゃんを躊躇なく捨てられる母親が一般的、というのにどうしても架空であれリアリティを感じられません。(しかもこの場面の母親の場合、僅か13年前に敵国に占領されるまではそのような激しい分別を行っていなかった事が同時に語られるので、よりリアリティに問題があります)

こうなるとベアラーが参考にするのは中世の魔女狩りになると思いますが、あれが国や教会が魔術を口実に自分たちの権威・権力を維持するため脅威を捏造して大衆を煽動して行ったものだとすると、これとも違うように見えます。
FF16の世界では魔法は現に存在し、最も価値をもつものだからです。ほとんどの人類が魔法を頼りに生きている。自分たちと違う魔法を使えるやつらなんて気味が悪い、という理屈になるんだと思いますが、いやお前たち魔法にめっちゃ依存しとるがな、と思ってしまう。実際、「魔女」は脅威なので殺されますが、ベアラーは労働力として頼られている。ベアラーが国家にとって脅威ならば、奴隷にするのではなく生まれた瞬間に「忌み子」として殺すべきではないのか。あるいは主人に歯向かった瞬間殺す呪いをあのタトゥーにかけるとか。それだったらまだ納得できる。

そしてより僕を混乱させるのが「ドミナント」の存在です。
ドミナントは召喚獣をその身に顕現させることができる、この世界で一番強くて偉い存在です。彼らは、鉄王国という一国を除いて、すべての国で王または国家の中枢を担う存在になっています。1人で国を破壊できるような存在なので当たり前ではあります。

実際その通り当たり前に、一番強い魔法を使えるやつが一番偉い世界なわけです。
とにかく魔法には価値がある。なのにドミナントは重宝されてベアラーが迫害される。魔法の力が強い順にヒエラルキーが出来ている世界の方が余程自然な気がする。

この世界でどうやってこの差別が長期間(どれくらい長いか分かりません)成立しているのか、僕は呑み込めませんでした。ここ、多分この物語の重要なツボなんだと思うんですが、未だによく分からない。

と言うか、僕はこれまでに「魔法を使える奴は気持ち悪い」とか書きましたが、これただの僕の推測で、FF16の物語内ではベアラーがそもそも何故差別されているのか、理由を誰も説明しないのです。

一方的な被害者の物語としてFF16を批判しようとしたとしても、実は僕はそもそもベアラーを被害者としてちゃんと納得することすらできてない。
あるいはこの「悪いから悪い」という説明のなさは、一方的な被害者の物語の特徴かもしれません。またあるいは差別というのはそういう最悪なものなので(誰が今でも黒人が差別されている「理由」を説明できるだろうか)、それをスクエニは表現したかったのかもしれません。

いずれにしてもこれが納得できない限り、被害が捏造されていることになるので、被害者の物語が成立しません。

今のところ、この物語内において僕の中でこの疑問を最もうまく説明する方法が、「最終ボスのアルテマがそう仕向けた」です。
それはつまりこういうことです。

「この世界はもともとアルテマがマザークリスタル他、大体の大元を創り、自分の目的のために奴隷として人間を創った。その人間たちは最終的にクライヴ=ミュトスを産むためだけに存在する。人間たちはクリスタル=アルテマに完全に依存して生きていればいいものを、何故かクリスタルを使わずに魔法を使える奴ら、ベアラーが現れてしまった。こいつらはもともと予定していなかったイレギュラーで、こいつらが力を持つと計画に支障をきたす。のでアホな人間たちにはこいつらを迫害してもらうように色々操って仕向けることにした」

というシナリオ。
が、もちろんこんなのゲーム中に説明ありません。僕が今考えただけです。なのでベアラーの存在がアルテマの計画において何の支障になるかは分かりません。どうせクライヴにクリスタル破壊命令を出してあり、ベアラーたちも魔法使えなくなっていくのに。

と言うかそもそもこのアルテマが、FF16のシナリオの最大の弱点だと僕は思います。

・最終ボス=アルテマ=神を殺すゲーム

今回の最終ボスであるアルテマは、神です。

絶対的なパワーを持ち、世界を創造したものです。人間を創ったのも、世界のエネルギー源となっているクリスタルを創造したのもアルテマです。単に腕っぷしが強いだけじゃなくて、まじ、神です。

このアルテマの目的は何かというと、自分の肉体を取り戻すこと。朽ちた己のボディの入れ替わり先になる肉体が、人間が死んだり子供を産んだりして歴史が続いていく末に、いつか産まれることになるので、そいつを貰っちまうために人間を創り出したのです。途方もない話です。その肉体さえもらってしまえば人間に用は無いので、追って全員死んでもらいます。とんでもない話です。人間的にはこんな悪い奴はぶっ飛ばすしかありません。

……なのですが、大きく出すぎたな、というのが率直な感想で、なんでこんな設定にしてしまったのか僕には分かりません。

というのも、こいつのおかげで、FF16のすべてのストーリーがおじゃんになってしまったからです。

人間を創ったのはアルテマです。クライヴにクリスタルを破壊させたのもアルテマです。各国で戦争が起こるように暗躍したのもアルテマです。なので僕が先ほど書いた、「ベアラー差別はアルテマの差し金」説は、むしろそうでないとおかしくて、こんなでかい問題をアルテマが放置しているのだとしたらそれは不自然だと言えます。

ということで、世界で起きたトラブルは全部アルテマのせいです。40時間くらいプレイしてきたところでそれが明かされました。
何十時間も延々ムービーを見続けてきて、全部ワシの手のひらの上でした、となったわけで、ここでプレイヤーは「許せん!」となるよりも「どうでもいいわ」となるのが自然です。いわゆるデウスエクスマキナで、これまで頑張って戦ってきた意味と、人間が生きてきた意味、シナリオの意味が全部なくなるからです。

いや、これが運命と自由意志の戦いの物語の極点なのだ、という考え方もあるでしょう。これで神が勝ったらデウスエクスマキナだが、最終的にクライヴがそれに勝利して、自由が勝つのだから。こういう神の運命に抗って生きるのが人間で、それこそが人間の求める良き物語だと。というか、おじゃんを避けるには無理にでもそう思うしかありません。
クリスタルを破壊したのが自由意志だったのか、神の奴隷だったのか。これの答えは「殴りあって最後に勝ったやつが決める」。僕たちの生きる、勝者が歴史を紡ぐ世界と何も変わらない、現実世界の問題点を何も反省していない感じでヤバいリアリティがあります。

しかし、色んな理由で僕はどうしてもそれすら感じられないんですよね。
こいつのおかげで世界中の人間が死んでいて、なんかもう勢い的には人類の9割くらい死んでいる感じなので、恨み骨髄不倶戴天、運命の最終決戦、という流れのはずが、この最終ボスは、こちらが真剣に向き合う気持ちを減退させてきます。
積み上げてきた単純な加害と被害の物語のどうでも良さ、そしてさらにそれも神のシナリオであったという二重のどうでも良さが最大の理由だと思いますが、思想的な納得感もないのです。

このアルテマというのはやたらと人間の「自我」を否定してきます。自我は無益なので、自我を捨ててモンスターになってアルテマに奉仕する存在になれ、と事あるごとに迫ってきます。アルテマの悪はここにあります。人を殺すとか操るとか色々な悪事を成すやつですが、その中核理念はこれです。プレイヤーとしてはこれを乗り越えなくてはならない。

ならないんですが、これがホント、説得力とかリアリティとかの意味で、見事に機能してない。このアルテマの御託を聴いて、「自我を否定するものは許せん」、とプレイヤーはなかなかなりません。

なんでかというと、ゲーム内で自我に関するクライシスが全然起こらないからです。自分や仲間の精神は、全然脅かされない。人格を失ってモンスター化していくのは、残酷なほど、大勢に影響がない連中だけです。

これを本当に大問題とか危機として取り扱い突き詰めたいなら、クライヴが強くなるごとに自我を喪失するか、自分以外の仲間の自我がどんどん失われていくという展開にしないと成立しないと思います。それに抗って抗って最後には勝つ、という展開にするしかない、と僕は思いますが、その反対に、とにかく一貫してクライヴは何も失わずにめちゃくちゃ強くなっていきます。むしろ初めの方が危うくて、話が進むごとに精神が強固になっていく。

最終決戦直前に3分くらい危機が描かれるのですが、描写があまりにもお粗末すぎて、作り手が自我の喪失と崩壊をごっちゃにしていることも明らかになります。さらに最終局面でクライヴがアルテマに「お前も自我の塊じゃねーか」とドヤ顔で論破するのですが、やってるこっちはそんなもん初めから自明です。せっかく作った設定が、「このゲームの言う自我の危機とはこの程度のものか」、とシナリオに対する幻滅の一端さえ担っています。

いずれにしても、誰も自我を喪失しないし崩壊もしない(味方陣営は結局誰一人アルテマの思い通りにならない)ので、いいから無駄な問答は止めて早く拳で殴らせろ、という気持ちだけが高まります。

もちろん、僕が言うように「マジで自我が危機的な状況を丹念に描くような展開」にされてしまうと、ただでさえこっちは被害者のオンパレードで人が死にまくって十分気が滅入っているので、止めてくれて正解でした。

なのでこれは初めから問題設定として間違っていたということだと思います。僕の現時点の結論は、この「自我」設定はマクガフィンだ、です。別に他のものでも良かった。別のものにするべきだったと思います。別のものが今回は見つからなかったのだと思います。

そして、見つからなくてもいいから、スクエニは、とにかく神を殺したかったのだと思います。

FFは、FF13とFF15で神話の創造に取り組みましたが、それは世の中に受け入れられたとは言い難い結果になりました。
とてつもなく強大な神というものを作り上げたのはよかったけども、人間が全然歯が立たないようなめっちゃくちゃ強い神になり、どうやっても倒せなくなってしまいました。
これは世界の堅い壁のメタファーとなって、僕にとってはFF15で盛大に開花しましたが、とにかく全然スカッとしないという致命的な欠点があり、受けが良くなかった。

FF12、13、15と神が強くなりすぎて、一回この呪縛からいい加減解かれたかった。
理屈や整合性はともかく、自縄自縛な神様の支配にうんざりしたんでしょう。被害者として神を殺すのは気持ちいいので、これがど派手なゲーム体験としてベストだと判断した。納得いこうが行くまいが、正しかろうが間違っていようが、細かいことはいいから久しぶりに神を殺して次に行きたくなった。そういうことだと理解してます。

・神を殺した先の世界

FF16に関する僕の疑問をもう一つだけ書きます。これが最大の疑問です。

自由意志の代表者クライヴはテロを完遂して、すべてのクリスタルを破壊した上に神を殺して世界に自由をもたらします。

もたらしたんですが、この世界、明らかに何も解決してないですよね。アルテマがいなくなっただけで、あとはマジで何も変わっていない。

ベアラーもドミナントも人間も区別がない、自由で平等な世界のために、クライヴはクリスタルの破壊活動に勤しんでいたわけですが、僕はそれに付き合いながらずっとプレイ中頭の中に?マークが点灯し続けていました。こいつらこの後どうするつもりなんだろう、と考え続けていたのです。そして、セリフが被さって歌詞が全然聞こえない米津玄師の歌が鳴り響くエンディングを見終わった時ふたたび、こいつらこの後どうするつもりなんだろう、と思いました。

クライヴたちはクリスタルの加護を断ち切って自由な世界に行きたがっていました。その自由な世界というのがどういう世界かというと、知恵と労働で成り立つ現代社会です。ハッピーエンドとして示されるエンディングでそれが証言されました。

つまり僕たちの社会の肯定なわけなんですが、これが僕にとっては謎です。

まず、クリスタルは明らかに石油や核のメタファーです。それが人間を不幸にする、ということなのでこれを捨て去って火を起こしたり電気を起こしたりする世界に突入するのですが、当たり前のこととしてクリスタルが本当に石油と核に代わるだけで、明らかに何も解決していない。
どうせ石油と核を巡って諸国が戦争する世の中になって、虐げるものと虐げられるものが引き続き生まれ、新たなベアラーとドミナントと人間が生まれる、全く前と変わらない世界になることが目に見えてます。

また、FF16世界で人類最大の脅威となっている「黒の一帯」というのはどう考えても環境破壊のメタファーですが、それが止まったところでメタファーではなくリアルな地球温暖化と環境汚染が進む世界に代わるだけなので、マジで何も解決してない。

もともと現代社会を悪ととらえるためのメタファーだった世界がメタファーを捨てて現代社会そのものに移行するんですから、問題が変わるはずがありません。

僕は正直この部分が全く意味が分かりません。ベアラーとかアルテマとかに関する疑問については、「あり得たかもしれないシナリオ的な理想形」を空想することもまだできるのですが、これについては完全な謎です。現代社会を生きる僕からすると、全然革命が革命として成立してないように見えます。

僕がここからとりあえず可能性として読み解けるのは以下の2つです。

①今の世界はまじで最悪だと思うかもしれないけど、クリスタルの世界よりはまだましだから我慢しろ。
②スクエニは今の世界をいい世界だと考えている。

このどっちかです。
どっちも、見せ方によっては面白い話になると思うんですけどね。
しかしメタファーとして現代社会を「悪いもの」と捉えているのが前提なので、やっぱりこれも全く成り立ちません。

ということで、僕にとってFF16は、物語の根拠も、敵の形も、物語の行く末も、全て納得がいかず、どういう話だったのか全く分からないという結果になりました。どういう話だったのか全く分からないのに戦っていて楽しい、という異常な体験をさせてもらったことになります。

もっとわかりやすくする方法があったと思います。それは、クリスタルを善のエネルギーの象徴として、それを利用して破壊しようとするアルテマ、という今回の逆の構造です。
しかしFFに関わる人全員が承知する通り、それはFF3とか4とかと全く変わっていません。
より複雑さや新しさを求めて、今回は原始世界に戻っていく道を選択したことになるんですが、果たしてこれがどれくらい共感を得られる道なのか僕には謎です。

僕が興味深いのは、それがベストだと判断したスクエニの思考プロセスです。
なぜ、大人向けのゲームで単純な加害者と被害者の物語、という道を選択したのか。

「④FF16が目指したものは何だったのか」「FF17はどうなるのか」に続きます。次で最後です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?