ファイナルファンタジー16 被害者たちは神を殺せたか④ 【FF16が目指したものは何だったのか】【FF17はどうなるのか】

FF16が目指したものは何だったのか

「③「謎」のゲーム、FF16」からの続きです。

僕は謎なのです。

FF16は、どこまで意図してこうなったのか、ということが。
こうして完成したFF16とは、マーケティングリサーチの結果を反映したものでしかないのか。

つまり、今僕がFF16から受け取っている印象からそのまま、スクエニの意図を解釈すると、以下のようになるのです。

「マーケティングリサーチの結果、ファイナルファンタジーはもはや子供も日本人もやらないので、全世界のおっさんおばさんたち向けのゲームになったが、一方でおっさんおばさんたちは大人ではなく複雑な話を理解してくれないので、単純にした」。

スクエニが単純だからこうしたのではなく、スクエニが僕たちのことを単純な奴らだと思ったから、こうなった、という筋道です。
もしこの解釈通りだったとしたら、めちゃくちゃなめられたもんですが、それも仕方ありません。FF15をあれだけ多くの人が楽しめなかったのだから、FF16がこの方向に行くのは、妥当と言えます。

本当にこの通りかもしれない。しかし本当にそうなのか。
なんでFF16はこんな話になったのか。本当は、こんな話になりたくなかったのではないか。

なぜそう思うかというと、今回のFFには全然別の可能性があったからです。
そもそもアルテマという神が現れる前のFF16は、7つの勢力が戦争を繰り広げる中で謎と陰謀が渦巻くサスペンスストーリーでした。

3つや4つじゃなく、7つです。めちゃくちゃ多い。
これは要するにゼルダで言ったらハイラル王国とゾーラの里とゴロンシティとリトの村とゲルドの街とカカリコ村とイチカラ村がぐちゃぐちゃの戦争しているようなもので、設定としていかにもめんどくさくて、とても面白そうな気がする。

正直初めは誰が誰で何やってるのかよくわからないくらいです。みんな同じような顔してるし。しかしそれが加害者と被害者が異様にはっきりしてしまったうえに全部神様のせいになって、物凄い勢いでしぼんでしまった。

別にめんどくさい話であればそれだけで面白い話になるわけじゃない。というか個人的には「めんどくさい話を理解するのめんどくさいんで2,3個になんねーかな。どうせみんな顔も一緒だし、名前が違うだけでだいたいやってることも目的も一緒だし」と思っていた。
がしかし初めから単純だったならともかく、複雑なふりをして途中からしぼんでしまったというがっかり感は僕にとってすらかなりでかい。

もともとスクエニが目指していたのはいろんな意味で複雑な大人のエンターテイメントだったようにも思えます。7つも勢力を用意するということは、どう考えても目指していたのは単にめんどくさいだけではなく、世の中にはいろんなやつがいるということを表現する真の意味の複雑さです。それが何で、単に暴れん坊将軍クライヴがたった一人で悪漢どもを全部切って捨てるだけの話になったのか。

神殺しにこだわり過ぎたというFF15の呪いがかなり大きな理由ではと思いますが、別の理由もある気がする。

僕はこのゲームのシナリオを、冒頭から順を追って理解しようとしてますが(それがゲームプレイの順序なのだから当たり前ですが)、たぶん現代のゲームというのはそういう作り方をされていないんじゃないかと思います。

完成と、スキのなさと無駄のなさを目指し、珍しくそのとおり出来上がったように見えるFF16は、実はそんなことはなくて、完成を装っただけでいつも通り思いっきり失敗したのではないか。仕様通りを装って、途中で妥協まみれになったのではないか。
このゲームの目的が何だったかを考慮しないと、評価はフェアではない気がしています。

どういうことか。

このゲームの目的は、とにかくバトルを見せて体験させることがすべてです。

普通物語を考えるとき、何かきっかけから物事が転がって展開していくか、最後の到達点から逆算して筋を追ったり考えたりするものですが、ゲーム作りというのはたぶんもっと見せ場を中心に考えるもののような気がします。

つまりバトルが最重要なFF16の場合、一番大切なのはマッチメイクです。マッチメイクが最初に設定されて、シナリオはそこからの逆算なのだと思う。

フェニックス対イフリート
シヴァ対タイタン
バハムート対オーディン
イフリート対ガルーダ
イフリート対タイタン
イフリート対バハムート
イフリート対オーディン
イフリート対アルテマ

この全バトルを完璧に見せる必要がある。

昔、宮本茂さんがゼルダの伝説を作るときに、「ゼルダは構造が初めから決まっている。敵がガノン。最初にダンジョンが3つあって、マスターソードを手に入れて、いくつかダンジョンをクリアしたらガノンにたどり着くことは決まっている。結局それをどう繋ぐかだけ」みたいなことを言っていて、それがゲームの作り方なんだ、と感心した覚えがあるんですが、FF16もこれなのではないか。

そしてそれが上手く行かなかったのではないか。そう思えばいろんなことが理解できる。

おそらくはもっと国同士のタッグマッチとか異種格闘技戦とかやりたかったことと思いますが、リソース的にこの組み合わせをこなす時点で限界を超えていたんじゃないでしょうか。

だから不自然にジョシュアもジルもディオンも都度退場して、最終的には相棒のトルガルすらいなくなって、わざわざクライヴが敵と1on1で心置きなく殴り合えるようにしてくれる。

僕はアルテマとのラストバトルはクライヴ、ジョシュア、ジル、トルガル、ディオンの天地を揺るがす超天限突破5アタックで締めるに違いないと思っていたので、それどころかたった一人で戦うという演出に全く納得いきませんでしたが、もう作るの無理だったんだろうな、と思いました。

クライヴは強すぎるため、途中から実質1人で戦うようになり、「もう全部あいつ1人でいいんじゃないかな」と思わせるキャラになりました。神を否定して、人間の団結とか力を信じるよう主張するFF16のシナリオからしたら、神と等しいというより一人で神より強くなるクライヴのありようは完全に矛盾していますが、リソースを配分してみたら全員に出番を用意する力が無かったのでしょうがないのでしょう。

フーゴ・クプカ戦で、強いはずのジルがフーゴにあっさり捕まって「はあ?」となり、クライヴの前でジルを殺すと言いながら見てるかどうかも分からんところで殺されそうになってまた「はあ?」となり、さらにあっさり救出されて「はあ?」となり、結局フーゴとクライヴがサシで殴り合うというかなり意味不明な一連のシーンでは、僕はめちゃめちゃ眉間にしわを寄せながらフーゴと戦っていました。「死んで償え!」とかめっちゃかっこいいシーンだったはずなのに。

でもそれは、リソース上しょうがなかったのです。たぶん。ジルと二人でダブル召喚獣でタイタンと戦うとか、やりたかったけど無理だったのです。
その程度のこともできないのに、7つの勢力の多様な思惑が錯綜し、ぶつかり合い、収斂して、怒涛のクライマックスへ、とか無理です。神様に全部押し付けて何とかしてもらうしかありません。

だんだん悲しくなってきました。こうやって長々振り返ると、マジでめちゃくちゃなゲームだな、という感覚です。

FFは極端なゲームです。どこかに異常にリソースを注いで、そこで僕たちを驚かせてくれるゲームです。だからバトルが物凄くて話がめちゃめちゃでも、それが必然なのかもしれません。

しかしFF16は幾らなんでも僕には極端すぎました。次はもう少しだけバランスを意識してもらえると嬉しいです。よろしくお願いします……

……

と、この文章を書き始めたときには、これがだいたい結論になるだろうと思っていました。ここ以外、行くとこないだろうと。
しかし、ここまで超長々書いてきて、ちょっと待てよ、と思います。

バランス。

なんだそれは。

FFには全然似合わない言葉です。

すいません、なので、取り消します。よく考えたら逆です。
次はもっとめちゃくちゃやってください。

完璧な、見事なバランスが、頑張って努力して見出せるなら、それはそれでとても素晴らしいでしょう。しかし、0点の子供にお前さすがにもうちょっと勉強しろと言ったところで、上手くいってせいぜい30点になるだけです。何の意味もない。どうせ最下位付近です。別のこと好きにやってぶち抜けてもらった方がよっぽどいい。

FF16は極端なんじゃない。むしろみんなに受け入れられようとして極端さが足りないんです。めちゃくちゃさが足りない。これもはや何も根拠なくて、超個人的な感覚です。FF16は極端だけど、本当の極端なんじゃなくて、ただ歪なだけです。もっともっともっともっと、めちゃくちゃにやってくれれば、僕がこれまで超長々書いてきたようなようなことは、全部無意味になります。

シナリオとかどうでもいいです。被害者とかどうでもいいです。単純さとか幼稚さとかどうでもいいです。矛盾とかどうでもいいです。何が正しいとか何が間違っているとか、こんなこと考えさせられること自体さもしいです。マッハ50でこっちを黙らせてください。

もちろん、もはや厳しいマーケティング調査結果でがんじがらめにされているであろうFFにそれは難しいでしょう。そんなことは分かっている。
しかし、それができるのも世界でFFだけです。どこまで行ってもどうせ0点か100点かのゲームです。次はもっとちゃんと0点取ろう。そうすれば仮に僕にとって0点でも、他の500万人の500点を取るでしょう。

僕は、FF16がこういうゲームになったのは、FF15を埋葬はできたが祝福はできなかった結果のような気がします。
FF15の並外れて優れたところを全く活かせなかった。たぶんスクエニ内でもFF15はあまりいい作品ではなかったという評価なのでしょう。FF15の否定形であるFF16からはそれが伝わってきました。しかし誰が何と言おうとそれは間違っていたと言いたい。その結果、FF16はFF15という亡霊の呪いにかかった。

その過ちはもう繰り返さないで欲しい。反省はしても後悔はするなと誰かも言っていたじゃないですか。次は今度こそ、FF16の良かったところを祝福して、更に伸ばして欲しいです。
ユーザーの顔(市場)を見るんじゃなく、ゼルダやエルデンリングの顔(競合)を見るんじゃなく、社員の顔を見て欲しいです。最早トップランナーではないFFにはそれは難しいのかもしれません。自社のエゴが出すぎているとFFが叩かれてきたことぐらい僕だって知っています。しかし中途半端にマーケティングにまみれるくらいだったら全無視してほしい。そのマーケティング重視方向で引き続きやるんだったらそれでもいいと思いますが、全力でやってほしい。個人的には、FF16にもいいところはたくさんあるのだから、ぜひそれを見出して大切にして欲しいです。

FF17はどうなるのか

ということでFF17の予想。まずそもそも本当に出るのか、という話だと思いますが、僕は出ると信じます。どれほどリスクがあろうが、売れようが売れまいが、メルセデスベンツにおけるベンツと同様、FFという作品がスクエニの存在する意義なのだからやるしかない。

FF17の敵は、人間になると思います。

FF16は、神を殺す物語にする必要があったが、神の設定を間違えた・倒すべき正しい神を見つけられなかったというのが僕の認識です。
そして、神を殺すという呪縛に捕らわれた時点で間違えていたのではないか、というのが僕の仮説です。神を殺す物語はなかなか上手く成立しない。真面目に考えれば考えるほど本当の神は倒せないか、逆にもっとうっかり死んでしまうか、あるいは直接手を下すことはできずにいつの間にか死んでいるものだからです。

今回のFFは、単純なお話を下手に捻るとむしろ何が言いたいのか分からなくなってぐしゃぐしゃになってしまい、複雑な話のふりをして単純にしてしまうと物凄くがっかりする、といういい手本になりました。

僕みたいなやつらの、FF16の単純さ、幼稚さに対する非難はスクエニに間違いなく届くでしょう。スクエニは間違いなくまた反省します。そこがFFのリスクであり魅力です。となると、ある程度複雑さを担保しつつ話を終わらせるためにどうするかといえば、やっぱり敵を人間にするしかない。人間の世界は、神が敵の世界に比べて格段に複雑でリアルです。今回せっかく、どうにかこうにか無理やりでも神を殺したのです。これで次に行けます。

つまり最終ボスはケフカ、セフィロス路線になる。しかしそれは既にやりましたね。
ということで予想。最終ボスは「カイン=友」。これで行ってみましょう。

僕は、今から楽しみです。いつも次のFFは楽しみです。次に出るのはうまくいったら2029年くらいでしょうか? うわ、もう僕たちあっという間にじいさんばあさんですね。しかしもう、ここまで来たら死ぬまで付き合おう! 老後までよろしくお願いします!


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