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気づかずに通り過ぎることだけは避けたい愛を書き連ねる

・夏の早朝の透き通った空気

夏の朝はやく、5時でも6時でもいい。
まだ暑くなる前の透き通った空気、騒音のない静かな雰囲気、誰にも汚されていない時間帯。まだ鳥も人間も目が覚めていないような、世界中がまだ眠っているような、そんなぽっかり穴があいたような空間にただひとり、起きる。この世界をはじめるのはわたしだ、と高らかに宣言しても誰も聞いていないような、そんな見放された時間がとにかく好きだ。

・ヨーロッパの小さな村や街にある教会

車でも電車でも移動していると見える建造物。住宅の密集地域のもっとも高い場所にある教会。鉄塔に鐘があるのですぐにその場所はわかる。遠くから見てもわかるようにもともと作られている。そして教会の存在は、そこに人が何世代に渡って集まったということを意味する。どれだけのひとが祈りをささげたのか、どのような思いでその場を訪れたのか、さすがにすべてを想像することはできないがその存在が街のシンボル・象徴である事実は明確。その教会を見る度に、ありとあらゆる祈りを想像する。

・交通手段を手に入れた自由

乗り物があるという事実は現在の場所から別の場所に移動できる自由を持つ。つまり選択肢が広がっているということ。どこかに行きたいなら車で、車がないなら電車でバスで。それを払う金額がなければ歩きで・・・となるが、今にいる場所から別のところに行くためにはじぶんがどのような能力・技術・金銭が必要なのか?それらを兼ねそらえてわたしたちは初めて、移動の「自由」を手に入れられる。移動すれば何が得られるのか、それはじぶんの目で確かめてこそ。

・自然の中で味わう孤独

水の上、山の中、あらゆる自然のなかで「たったひとりぼっちだ」という感覚。見渡す限りに己の命を助けてくれるものはなく、個を強烈に、際立たせる瞬間。とはいえひとりぼっちとは意識の問題であって、バクテリアであり動物であり植物であり魚類であり生物は存在しているのであって、人間の恣意的な捉え方でしかない、ただ「ここでお金を持っていても何お役にも立たない、身体ひとつがすべてだ」と思えたときに、あらゆる文明社会とは切り離され意識と身体はひとつに集約される。さてこの身体で、この環境でどのように生き延びれるのだろうと挑戦を強いられているような。

・あちこちで転がって寝るねこ

布団の下に隠れては足のアキレス腱を攻撃してくるネコネコパニックとか、猛ダッシュした後目の前の足元でごろんするスライディングゴロンとか(ふたつともうちのねこ)、いまX(旧Twitter)でバズっている #やんのかステップ とか、いろんな表情や行動が面白い。ねこは意地悪と自分勝手と、人間へのごまスリの塩梅が上手。お腹が空いたら、ひもじい子みたいな鳴き声でごはんくれ、と毎日のように叫ぶ。

・あらゆるリスクを背負う人生

リスクを考えれば何もしないことが一番のリスク回避。誰に何を宣言することもなくひとりで勝手に頑張るのがいい。実績ができたら報告するのが、周囲を驚かせることもできるし本人もこそっと準備して、安心してのびのびと挑戦できるだろう。ただしリスクを取りプレッシャーをかけ、応援や支援を受けて、そのいわゆる「バネ」を使って高く飛ぶ、レバレッジをかける、そういう仕組みに賭けることで実現できることはある。見える世界がある。リスクをとらなければ何も始められない。簡単なところからいえば「投資」だってそうだろう。

・知らない場所で、知らない空を眺めるキャンピング

初めて知った空間をいかにじぶんの居住空間に変えていくか。己の快適さを保ちつつ日常とは離れた時間を演出するための、その魔法がキャンピングにはある。今日どこに行くか、どこに泊まるか。それすらも未定でとにかく進むというキャンピングスタイル、アウトドアは目的地も1日の予定も何もかもが予期しない出来事に詰まっている。だからこそ出会えた縁に喜びも感じる。



今回の記事は竜人の歌と、この記事を読んでできるだけ「じぶんを語る」を排除して文章を書いた。いつもじぶんじぶんばっかりだから、極力こういう書き方をしていけたらいい。ほんと、なんでじぶんのこと語りたくなっちゃうんだろ。

お読みいただきありがとうございます。サポートは社会の役に立つことに使いたいと思います。