yumihinoue

1988年大阪生まれ。ヨーロッパの文化とその多様性に魅了され、28歳でフランスに社会人…

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1988年大阪生まれ。ヨーロッパの文化とその多様性に魅了され、28歳でフランスに社会人留学したりサンティアゴ巡礼800kmを歩いたりしました。ヨーロッパについて熱く語りつつ、日々思うことをつらつら記述します。

マガジン

  • 日常の話

    最近読んだ本や見た映画など日常のことについてまとめています。

  • フランスの話

    フランスの都市で見たもの食べたもの感じたことなどをまとめています。

  • 思考整理の文章置き場

    日記ではない長文のエッセイや、もぐら会「書くことコース」の原稿などをまとめています。

  • 時を越えた瞬間の記録

    二度と忘れられない瞬間は時間を越えて、今でも心にあり続けます。

  • イタリアの話

    イタリアの都市で見たもの食べたもの感じたことなどをまとめています。

最近の記事

語る「べき」ことはないが語られる状況にあるということ

言葉のキャッチボールをするのはたいていの場合、初対面の誰とでもできるが、それが自身の望む力加減や方向性かどうかは相手が限られてくる。思っていた反応がなかったり、何も言葉が届いていないと感じることもあれば、逆に相手の言葉がじぶんの耳からすり抜けて別のことに注意が向いてしまうことだってあるだろう。 それでも語ることを諦めず、向き合い続ける。そこに人間性が問われているのだと信じながら。 * 怒涛の日々を乗り越えて、久しぶりにこうやって文章を書こうとすると、なにから書き始めれば

    • 分岐点といえるほど大それたものではないけれど、人生の選択肢の話。

      冬が近づくと街もスーパーマーケットもクリスマス装飾に飾られて、あっという間に年の終わりを感じさせる冬。 あの人生の分岐点で、タイミングで、電車に乗って、あるいは飛行機に乗って、または徒歩であの場所まで行って、あの人たちに会いに行って、もしくは偶然会って。たくさんの選択肢を選び決め覚悟を取ってきたじぶんの、現在の立っている場所をいま振り返って考える。 * 例えば、「ヴァンショVin chaud(ホットワイン)」という言葉を聞けば、アヌシーというスイス近くの街のマーケットで

      • 気づかずに通り過ぎることだけは避けたい愛を書き連ねる

        ・夏の早朝の透き通った空気 夏の朝はやく、5時でも6時でもいい。 まだ暑くなる前の透き通った空気、騒音のない静かな雰囲気、誰にも汚されていない時間帯。まだ鳥も人間も目が覚めていないような、世界中がまだ眠っているような、そんなぽっかり穴があいたような空間にただひとり、起きる。この世界をはじめるのはわたしだ、と高らかに宣言しても誰も聞いていないような、そんな見放された時間がとにかく好きだ。 ・ヨーロッパの小さな村や街にある教会 車でも電車でも移動していると見える建造物。住宅

        • カナダの映画監督グザヴィエ・ドランが、すべてのはじまりだった。

          グザヴィエ・ドランが映画監督としての仕事から身を引く。 と、聞いたのは7月8日のことだった。 引退発表につながる、スペイン雑誌の取材で彼の言葉として引用された 「アートは役に立たない。映画に打ち込むのは時間の無駄です」という言葉は、わずかばかりの悪意をもってソーシャルメディアで広がり、彼自身の映画業界からの撤退をさらに大きく知らしめることになった(それは翻訳のあやで、実際は本人が詳しく自分の言葉で真意を語っている) グザヴィエ・ドラン。 わたしがフランス語を学ぶきっか

        語る「べき」ことはないが語られる状況にあるということ

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          3本
        • アヌシーの話
          3本

        記事

          たいしたことある日々のこと230730

          暑苦しくて眠れない日々が続いていたのに、7月後半になると朝6〜7時なんか肌寒いほどの気温になり、半袖で外に出たら寒くて鳥肌がたってしまうようなプロヴァンスの日々。 暑さのピークは越えたのだろうか。でも日中は暴力的な日差しが続き、買い物に行く片道十分程度の移動を繰り返すだけでも腕も足もしっかりと黒くなっている。まるで焦げたバゲット(ごっつい全粒粉パン?)を4本、身体にぶら下げているよう。 そもそも、なぜ日焼けしたくないってみんな言うんだろうという基本的なところに立ち返ってみ

          たいしたことある日々のこと230730

          どれだけ行きたい方向があっても風に乗らなければその場所に向かうことはできないという話

          フランス生活にもだいたい慣れて友だちもでき、なおかつ仕事もある程度落ち着き始め、ふと「新しいことを全然していないな」「なんだかルーティンだな」と感じるようになったので、がつんと壁を破るようなことを実践してみようと申し込んだウィンドサーフィンのスタージュ(集中レッスン)。 ウィンドサーフィンはフランス語ではPlanche à Voile という。帆のあるボード、という意味だ。日本だと湘南とか逗子・鵠沼あたりで見かけることが多い、帆を立て風の力を使って水面を走るスポーツである。

          どれだけ行きたい方向があっても風に乗らなければその場所に向かうことはできないという話

          たいしたことある日々のこと230628

          弁護士訪問の日のことである。 その事務所の廊下はまったく電気がついていなかった。探している部屋の扉に書いてある名前すらも携帯電話の光をつけなければわからないくらいだ。わたしたちはもしかすると騙されてしまったのだろうか、そんな不安が頭をよぎる。三階のそのフロアの端から端までを探しても見当たらず、一度地上階に戻る。そして住人だろうか、あるいはその質問をよく受けるのか、学生のような若い男の子が言った。 「弁護士を探しているの?三階、エレベーターを出てすぐ右側にあるよ。」 先ほ

          たいしたことある日々のこと230628

          たいしたことある日々のこと230528

          「世の中いろんな人がいるよね」。 この言葉は、それを発言する現在の今目の前に見えている人の総数から繰り出される暫定的結論であり、生きていればそれ以上にどんどんと、その母数は増えていき「いろんな人」の振り幅が大きくなっていく。だからその「いろんな人がいる」という言葉の重みと意味合いは、年齢を重ねれば重ねるほどに変わっていく。 今30代半ばとなった自分の身の回りを振り返ってみても、いろんな価値観、捉え方、思想の人間がいるのだなと日々誰かと出会うたびにつくづく感じる。どれが正義

          たいしたことある日々のこと230528

          急行電車が風を横切り、通り過ぎる。

          午後3時過ぎ、街をすこし高く見下ろせる駅で電車を待つ。 反対側のホームには急行電車が風を横切り、通り過ぎる。 この駅は普通電車しか停まらない。 土曜日の1日、夕方より早く帰る同級生の姿をこのホームで見かけないのは、すこしだけ学校を出る時間が遅かったせいだろう。周りには早めに仕事を終えたスーツ姿のサラリーマンや異性を意識した巻き髪でミニスカートの女子大生がいる。 赤煉瓦色の電車がやってくる。扉が開く。 緑色のシートが一席分あいていた。「置き勉」をできない生真面目な生徒のわた

          急行電車が風を横切り、通り過ぎる。

          たいしたことある日々のこと230428

          「じぶんの目の前に見えている世界だけが、すべてではない」。 よく聞くありきたりな文言ではある。だがしかし、それを実際に腑に落ちる感覚として理解できるひとはどれだけいるのだろう。 そうだね、と納得をしながらも、本当に知らない世界に対しては「へえ」といった驚きや衝撃だけでなく、または憎しみや怒り・悲しみなどの得体の知れない感情が生まれることも同様にあるはずだ。そうすんなりと、知らない世界があるんだなどとぼんやり受け入れていられるよりも、目に見えていない世界を眼前に置かれたとき

          たいしたことある日々のこと230428

          たいしたことある日々のこと230407

          いつだって書きたい出来事や些細な記録は沢山頭のなかに浮かぶ。 ささやかな感情の欠片は確かに世界に存在していて、それらはやかましく「どこかで表現してくれよ」と叫んだり喚いたりもしているのだけど、だからしょうがないかとぼやきつつ「わたし」が物理的に時間を作り手を動かし文字として落とし込む。 また、言葉にしたい思いは温泉のようにこんこんと溢れんばかりとめどなく湧き、なみなみと地平へ注がれ続け、そこにじゃぶじゃぶと見過ごすのではなくバケツで、あるいは小さなマグカップで取りこぼさない

          たいしたことある日々のこと230407

          命の不可逆性についてふと思ったので

          わたしたちは、「あれ・それ・だれ・これ」があることを当たり前だと信じ、失われなわれるはずがないと願う。同じや繰り返しをどこか嫌悪しながら、恒常的な存在を「当然繰り返されるべき事象または現象」と信じる。 あるいはそのような強い思想はなくとも前提条件として意識する。だから、そこから逸脱する出来事にひとつひとつ衝撃を受ける。 誰かの死、事故、突発的な事象におののく。 でもほんとうは、日常で続いている現実のほうが不確かで、たった一瞬で誰かが消えていなくなったり刃物の一裂きで命は取

          命の不可逆性についてふと思ったので

          私をリスタートするのは誰か。再起動の引き金になるトリックスターの話。

          「トリックスター」という言葉を知っている人はいるだろうか。もしあなたがそれを知っているとしたら、何かしらゲームに詳しいか、あるいは神話に精通している人なのかもしれない。 Wikipediaでは以下のように解説してある。 笑いのメカニズムを解析するという特異なゼミに在籍した大学4年生のわたしは、当時この「トリックスター」の研究をしていた。 発端は、酒好きが高じて教授が提示した古事記の神話。日本人として古事記日本書紀は触れておいた方が良いだろうという安易な気持ちで手に取り、

          私をリスタートするのは誰か。再起動の引き金になるトリックスターの話。

          たいしたことある日々のこと221128

          2022年の11月がそろそろ終わろうとする。 久しぶりに何かを書きたくなってnoteの下書きページを開いてみたら、投稿せずに終わった8月のとある書きかけの文章を見つけて、そこから過去の記憶をひとつひとつ紐解いてたどり寄せると2020年からの日々は、たいしたことがあることばかりだったと思い返し、今回のタイトルは「たいしたことある日々のこと」とすることにした。 そう、たいしたことばかり起きていた。 とはいえその出来事を書き留めたいわけでもなく、ただ誰かにぼそりと語るような形で

          たいしたことある日々のこと221128

          断片的な思考の備忘録と、きらきらしていないほうのプロヴァンスの日常について

          フランスにいるといろんな国籍のカップルと話す機会に恵まれるのだけど、アルジェリアにルーツのある女性(ほぼ同い年)と話をした時、彼女の自覚的か無自覚か「男性を立てる」姿勢が言葉の節々に出ていたの、どこか昔の日本のようで、アラブ社会は父権的家族制が根強くあるんだよなあと改めて思い出した。 仕事は生活のためで別に好きでもないという彼女に「この先どんな仕事がしたい?」と聞くと、「わからない。何かの勉強をして専門的な仕事につけたらいいけど、わかんないなあ」という。好きなことはある?と

          断片的な思考の備忘録と、きらきらしていないほうのプロヴァンスの日常について

          たいしたことない日々のこと220618

          プロヴァンスはフランスの一部であるけれど、プロヴァンスがイコール・フランスそのものになるとは限らない。 いわゆる多くのひとが一般的に想像する「フランス」は「パリ」のイメージで、プロヴァンスははっきりいってそういうものとは真逆のような気すらする。オスマン様式のアパルトマンに囲まれた都市ではないし、メトロもエッフェル塔も凱旋門もない。エクス・アン・プロヴァンスなら高級感のある雰囲気は感じられるけれど、パリのようなセーヌ川を中心とした、革命の中心地ではなく、噴水の多い、ローマ時代

          たいしたことない日々のこと220618