富山マラソン2021の記録 ~初マラソンでサブ4して両脚を怪我した話~

初めまして、ちゅんと申します。
市民ランナーとして、サブスリーを目指してトレーニングを積んでいます。
1週間後に富山マラソン2022に出走予定なのですが、その前に初フルとなった富山マラソン2021の記録を何らかの形で残しておきたいと考えました。
1年前の記憶なのでかなりおぼろげな部分が多いですが、マラソンを走るに至った経緯を含めて以下に記しておきます。

1.初フルマラソン参加のきっかけ

ダイエット目的という、ありがちな理由からジョギングを始めました。
痩せやすい体質なのか、走れば走るほど体重は低下。月の体重目標を決めて、それを達成していくのがとても面白く、ゲーム感覚でハマりました。
体重がある程度まで低下すると、手ごろな目標がなくなり、物足りなさをおぼえるようになりました。そこで次の目標として考えたのが、フルマラソン完走でした。
多くの人がそうだと思うのですが、もともとフルマラソンに良い印象はなく、修行・苦行というイメージでした。それでも、いやだからこそ、長い人生で1度はチャレンジしてみても良いのではないか?と思いました。
妻に相談したところ、「いいんじゃない」と言われたので、意を決してエントリーボタンをタップしました。

2.レースまでの練習内容

当時はVDOTの存在も知らなかったので、ダイエットの延長でひたすらジョグを繰り返していました。スピード練習という概念もありませんでした。
練習は週3~4回。平日に2~3回10kmほどを走り、土日のどちらかにロング走をしていました。レースに出ると決めてからは、月200㎞ほど走っていました。

ペースはいつも5’10前後で走っていました。意識してそう決めたわけではなく、1番楽なフォームで走ることを心掛けていたらいつの間にかこのペースに落ち着いていた、ということです。
また、完走に向けて30km走を試みました。30km走はレース前に合計3回実施しました。

レース3週間前の30km走

最後の30kmも5’10で余裕をもって走れたので、「あれ、これいけるのでは?」という気持ちが芽生えました。直前の30㎞走で走れれば、本番でも走れる、と情報を仕入れていたからです。
また、サブ4には5’40が必要である、という知識もありました。しかし初マラソンで勝手がわからないこともあり、タイムに固執する気持ちはありません。そのため、サブ4狙いでペースを落とすということはありませんでした。
シンプルに、愚直にいつもの5’10で押す。本番のレースプランは決まりました。

3.本番当日 スタートまで

2021年11月7日。心配していた天候は清々しいほどの快晴。
僕は申告タイムを5時間にしており、スタートブロックはLブロックでした。

一つ、僕にとっての幸運が訪れます。
2021年大会は、密集を避ける目的でウェーブスタートを採用していました。Lブロックは、第二ウェーブの先頭ブロックでした。さらにLブロックで一番前を陣取ることに成功していた僕は、第一ウェーブから遅れること15分、有森さんの絶叫とともに、タイムロス4秒でスタートゲートを潜り抜けることができました。

4.スタート~10km区間

さあスタートです。勢いよく飛び出した僕の目の前には誰もいません(先頭なのです!)。僕はできるだけ平常心でいつものペースを刻むことにしました。
富山マラソンの序盤は高岡市内の古い町並みを通るルートとなっており、道幅はかなり狭いです。そのため通常であれば非常にランナー渋滞が起きやすいエリアなのですが、このときは普段の練習と同様にノンストレスで走ることができました。
また高岡市内は非常に応援が多いエリアでもあります。沿道から暖かい声援をいただき、初マラソンの高揚感が押し寄せました。
こうした条件が重なった結果、オーバーペース気味となって最速ラップ(4’53)まで上がってしまっています。ただそこで冷静さを完全に失うということはなく、すぐにまたペースを戻せたのはよかったと思います。

5km地点くらいで、第一ウェーブの最後尾に追いつきました。
もう追いついた!僕はますます高揚しました。
そこからは落ちてきた人を一人ずつ抜いていくのを楽しみながら走っていました

5.10km~ハーフ区間

10kmを過ぎると、庄川河川敷をひたすら北上するコースに入ります。このあたりで、周りに自分と同じくらいのペースで走る人が増えてきました。
僕にとってちょうどよい走りをした3人組が目の前にいました。僕は彼らの後ろについていくことにしました。3人組は声をかけあっており、仲が良い様子でした。僕は後ろに引っ付いていかにも4人組ですみたいな顔をしていたので(誰、こいつ・・・)と思われていないか心配でした。
3人組にはずいぶん楽をさせていただきましたが、次第にペースが落ちてきたので、途中で別れを告げて先をいそぎました。

富山マラソンの中間地点には、名所である新湊大橋があります。基本的に平坦なコースなのですが、この橋だけは難関でありランナーの体力を奪います。
僕はよーしやるぞと気合いを込め、橋を登る直前でアミノバイタルジェルを補給しました。しかし1つ誤算がありました。ジェルのゴミを捨てたかったのですが、橋を登る最中にはゴミ箱がどこにも設置されていませんでした。
給水地点で水とともにジェルを補給し、紙コップと一緒にゴミ箱に捨てればスムーズなのですが、当時は考えが及びませんでした。経験が浅いゆえのミスです。
ならばゴミはポケットにでも入れておけばよいものを、手に持ったまま走り、きょろきょろゴミ箱を探すという無駄な行動を取っていました。結果、大事な局面である長い坂道を十分に集中できず走ることになってしまいました…。

6.ハーフ~30km区間

集中できないまま登った新湊大橋でしたが、ダメージは確実に脚を蝕んでいました。橋の頂点でちょうどハーフになるよう設定されているのですが、その時点で想定以上の脚の重さを感じていました。たぶん、上りで十分にペースを抑えられず、グリコーゲンを消費していたのだと思います。普段平坦なコースでしか練習をしていなかったので、単純な筋力不足もあったと思います。
自分としては、練習では30kmでも余裕があったのに、ハーフでキツさを感じてしまったことに焦りを隠せませんでした。
そんなはずはない、大丈夫だ、まだいけると自らを鼓舞し、とにかくペースを落とさないよう、重たくなった脚を動かしました。
今振り返ると、この時点で頑張ってしまっていたら、最後まで走り切れるはずもありませんでしたいつも決まったペースでしか走っていなかったため、レース展開によって柔軟に対応する、ということができませんでした

7.30km~ゴールまで

33km付近で、当然のようにその時はやってきました。まず右ふくらはぎが攣りそうになり、それを庇って走ったためか左太腿も攣りそうになりました。
攣らないためにはペースを落とさざるを得なくなり、少しでもペースをあげるとすぐに攣りそうになりました。ペースを上げたくても、もう上げることはできない。その時点で僕の目標は、何とか脚が攣ることなくゴールすることに変わっていました。

残り10km弱。地獄のような時間が、とても長く感じられました。
とにかくこの辛さから逃れたい!どうか止まらせてください!脳が絶えずSOSを発していました。それはそれまでに経験した中で1番つらい時間でした…。

やがて見覚えのある人たちに抜かれました。10km付近で勝手にペーサーにさせてもらっていた3人組でした。僕の思い込みもあるかもしれませんが、3人組はとても余裕があるように見えました。

※画像はイメージです

こうしてメンタル的にもボロボロになりましたが、立ち止まったり歩いたりすることはありませんでした。僕を突き動かすのは執念でした。そんなに素晴らしいものではありません。これからのことを考えるなら、無理せず歩いたほうが賢明だったかもしれません。しかし初マラソンだからこそ、ここで折れたら負けだという気持ちになってしまったのかもしれません。僕はどうしても止まりたくないという執念で走り続けました。

息も絶え絶えになりながらゴール。
3時間50分52秒。

8.レース後

ゴールした後は達成感…というよりも安堵に包まれました。一刻も早く座りたい。
僕はコース横に逸れて、芝生に横になりました。
両足に尋常ではない痛みがあります。まるで両脚の上を大型トラックに轢かれたようです。とてもではないが歩けません。
小一時間ほど横になったまま、何とか歩けるようになるまで回復を待つしかありませんでした。

それから…
1ヶ月ほどまともに走れずランオフでしたが、まあそんなものかと思ってました。しかし2ヶ月ほど経ってもまだ走ると痛みがあり、十分に走ることができませんでした。あまり認めたくないですがこれはもう怪我だったのだと思います
ようやくまともに走れるようになったのは年が明け、1月も後半になってからでした。

マラソンはもう嫌だ。マラソンを走っているときはそう思っていました。
しかし喉元過ぎればなんとやら。走れない期間に、どんどん走りたい気持ちが膨らみました。
マラソンを最後まで失速せずに走りきるにはどうすればいいのか。もっと走り込んで脚を作れば良い。30km走も足りてなかった。坂道ダッシュでもっと筋力を鍛えたい。これまでしなかったスピード練習もしたいな。そうすれば、次こそは失速せずにいけるのでは?

そのとき僕の目には富山マラソン2022で走る自分の姿が映っていました。

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