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「本音」 4年 兎本瑛洋 

「本音」

4年 総合政策学部 兎本瑛洋


引退してから数週間が経ち、生活の中心からサッカーがなくなった今、部員ブログで何を書くべきかずっと考えていた。
どうせ書くなら誰かのためになるものを書きたい。そう思ったけど、なんもかっこいいこと思いつかないから、ちょっと4年間を振り返ってみる。

1年次、めちゃくちゃ下手くそな自分が悔しくて、Aチームが朝練してる時端っこで止める蹴るをひたすらつよし(4年・武田洸)とやってた。Bの練習後もCSAが使ってない場所でボール蹴って、縄やって1番最後まで残ってた。サッカーは伸び代しかなくて楽しかった記憶がある。
練習では1対1が好きだった。1対1の練習が好きって人はあんまりいないかもしれない。でもAチームの同期、先輩とか関係なく、負けない、通用するって思ってたから好きだった。こうぞう(3年・山田倖蔵)が「うもゾーン」って言ってたの実は結構気に入ってた。

2年の時カテゴリーが上がってA2の練習2日目くらいに、はじさん(佐藤創コーチ)から「お前だけやろうとしていることが周りと合ってない」って言われた時、ふつーに泣きそうになった。でもはじさんから教えてもらうことは高校時代戦術という概念がなかった自分にとって勉強になることばかりだった。毎日ノートにメモしてたからこの恐怖の一言もしっかり残ってた。
その後はやっぱ怪我したこと。初めて入院して歩けたり、トイレができることって当たり前じゃないんだって痛感した。600ミリ血を抜いて戻ってきた時、弾(4年・野上弾)に「お前それでサッカーやってたの?サムライじゃん」って言われた。就活で「周りの人にどんな人って言われますか?」って聞かれた時に咄嗟に「サムライです」って言っちゃったくらい頭に残ってる。

3年になってからはIリーグに出れるようになって、自分の存在意義を少しずつ感じ始めた。例の応援歌は西が丘の引退試合まで何回も何回も何回も歌ってもらえて、もういいですって言いながらも嬉しかった。ありがとう。
4年目は原付玉突き事故でしんたろう(4年・髙木慎太郎)においてかれたとこから始まって、怪我ばっかのシーズンだった。入部当初イメージしていた4年目は関東リーグで活躍しているはずだったが、そこからは遠くかけ離れていた。それでも最後のIリーグ最終節と引退試合では勝利を収め、最後を締めくくれてよかった。
楽しい大学サッカーだった。



これでいいわけない。
全然気持ちよく終われてない。
悔しいよ。まじで。
トップに上がりたかった。
関東リーグに出て中大のために戦いたかった。
日本一に貢献したかった。
毎日毎日往復2時間、アップ→練習→自主練の3時間、計5時間は少なくともサッカーに注ぎ、全力で自分なりに取り組んできた。
それでも届かなかった。努力してきたけど届かなかった。いや、足りなかったのかもしれない。努力してるの俺だけじゃないから。中大には見えないところで頑張ってる選手がたくさんいるから。

だからこそ3年生以下のみんなに伝えたい。
努力は必ず報われるなんて嘘だ。
でも絶対にそれは無駄にならない。
この先どんな道を選ぼうと無駄にならない。
辛い時、苦しい時、頑張りたい時、大事な本番の前、支えになるのは過去の自分の努力、積み重ねだと思う。
己にもライバルにも負けないように。
最後に後悔なく中大サッカー部を引退できるように。
生意気でタメ口使うやつらばっかだけど、最高の後輩ばっかだった。これからは先輩として。期待してます。

兎本瑛洋

◇兎本瑛洋(うもとあきひろ)◇
学年:4年
ポジション:DF
前所属:都立駒場高校

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