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一昨日、インスタのフォロワーさんが会社近くの餃子の百名店をアップしていたのを見た。
もともとその店のことも知っていた、一度行きたいとは思っていたが、近くであることは知らなかった。
近くと言っても2㎞ほど距離があるが。
最近、特に餃子づいてるし、思い立ったら吉日でその一昨日当日、行こうと決めた。
しかし退社する時間が予定より遅くなってしまった。
それでも陽が長くなりまだまだ日暮れまで時間がありそうだったので、東寺の横、大宮通りを南へ、そして九条通りを西に向かって歩いていた。
南大門が壮麗だ。

さらに落ちていく陽に向かって西へ。
するとなんとちっぽけな公園に羅城門跡があった。

見る影もないがここが羅城門だったのか。
そうか、だから東寺はあの場所なのか。
今の京都御所から見れば東寺は南西の方角にあたる。
しかしこの羅城門からすれば東なのだ。
京都御所は長い間、変遷を経て、平安時代を越え相当後の時代に今の場所に構えたようだ。
羅城門は400年近く続いた平安時代とその後に続く時代の初期にしかなかったので、合点はいく。
因みに当時は奈良に東大寺と西大寺があったように平安京にも西寺というのもあった。
長岡京から平安京に遷都されたのが1200年以上も前のこと。
おそらく羅城門は当初は壮麗だったのだろう。
模型は京都駅前に展示されている。
中華の羅城門は名前の通り都は羅城で覆い囲まれていたが、平城京にしても平安京にしても羅城門と言ってもその両翼だけに羅城があるだけだったようだ。
島国であるということもあり、地政学的に見ても防衛という観点の必要性がなかったからなのだろう。
またその時代に軍隊が廃止され、かつ荘園が全国に広がって税収が上がらず、2度にわたって台風で吹き飛ばされたこの門は結局、再建されなかった。
実質、無政府状態に近かったのでは。
なんてベラボーな国なのかと驚愕する。
黒澤映画で有名な「羅生門」は門自体があまりに朽ち果てた姿で描かれているが歴史的にはあれが正しいのだろう。
なにせ栄華を誇り「この世をばわが世とぞ思ふ望月の 虧(かけ)たることもなしと思へば」と謳い一家三立后を果たした藤原道長が法成寺造営の際、この羅城門の礎石を持ち去ったと「小右記」に記述があるくらいだから。
ただ一歴史ファンとしては、まだ壮麗な時の羅城門に多くの人たちが往来していたことを想像するだけでワクワクする。
どんないでたちで、どんな想いで、人々はその門をくぐったのだろうかと想像するだけでたまらない。
私はほんのこの前まで大阪人のくせに東京が大好きであったが、ただ古くに想いを馳せるロマンに関しては東京はやはり関西、特に奈良や京都の足元にも及ばない。
餃子を食いたいと思う卑しい思いがこんな場所へ連れてきてくれたことはやはり京都のなせる技なんだろう。

で、肝心の餃子だが

旨い、旨すぎる。
百名店なのでここまで歩いて行列だったら最悪だと思っていたら、さにあらず、店内には一組のカップルのみ。
しかし住宅街に立地しているからか、ひっきりなしにテイクアウト客が押し寄せる。私が滞在した数十分の間だけでも20人近く来たし、また一人ひとりの注文数が多い。平均しても生餃子10人前はくだらないか。
凄まじい勢いだ。
食の世界はその食そのものと、立地と、経営方針と、によってさまざまな姿を見せる。本当に奥深く興味深い。

帰りも同様のルートで京都駅まで。
昨日も載せたが途中、東寺が本当に美しい姿を曝け出していた。

こんな穏やかでこんな素敵な毎日であるならば、大阪でなく京都に住むのも悪くないと思ってしまった。
いや、やっぱり京都は暑い過ぎるし寒過ぎるからだめかな(笑)

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