魅力的な人になる

あなたが魅力的な人間になりたいのなら、この文章はお役に立てるでしょう。

強烈な幻想とは、切断的認識と結合的再解釈によって生じる渦の中に、おぞましさにも似た、美を発見するところにある。

これについて説明する。
切断的認識とは、対象の個々の振る舞いを、ぶつ切りに認識することである。
我々は、何かを見る際、その何かを永遠に観察することはできない。
あるとき見たそれは、時間的にまたは空間的に隔たりを設けられ、やっともう一度見ることを可能にするのだ。
つまり、観察者は切断的にしか認識できない。
そこで、観察者は切断的に認識されたバラバラのピースを繋げ合わせようとする。
これが、結合的再解釈である。
その対象が一体なんであるかを思考し、組み合わせ、本来的な対象のイメージを形成し直すのだ。
例えば、自宅のリビング、机の上に一つのリンゴが置かれている様子を想像してほしい。
朝の外出前、そのリンゴを確認する。
夜帰宅したとき、まだそのリンゴが机の上に同じように置かれたままであることを確認する。
これら二つの観察されたリンゴは、断片的に認識された二つのピースにすぎない。
しかし、我々は無意識的にこれらを繋ぎ合わせ、リンゴが机の上に置かれたまま、朝から夜までそのままであったと推測するのだ。
「昼の間にリンゴがどこかへ移動し、また同じ場所に帰ってきたのではなかろうか?」なんて考えるのはもってのほかだ。
結合的再解釈の中にはこうした推論による機能が働いているのだ。
もし仮に、夜帰宅した際リンゴが大きく移動していたら、はたまたリンゴがなくなっていたら、我々は泥棒の侵入かなにかを想像し再解釈するかもしれない。

話を戻すが、この切断的認識と結合的再解釈の間には、大きなギャップが存在することがある。
映画のジョーカーをご存知だろうか?
ジョーカーとは人気コミックシリーズのバットマンに登場する悪役であるが、彼は全く正反対の二面性を持っている。
彼は、猟奇的な犯罪を純粋に楽しみながらも、その裏側には犯罪のための綿密な計画を練っている。
この狂気的な側面と知的な側面は強いギャップ構造をもつ。
ジョーカーを観た視聴者は、この二つの断片的認識を強要されるのだ。
しかし、視聴者は残念ながらこれらの断片を容易に結合的に再解釈することはできない。
なぜなら、ギャップが強すぎるからだ。
全く正反対の二面性は、我々の再解釈を強く拒み、思考を歪ませ、一種の神秘的輝きへと昇華してしまう。
ジョーカーは強烈な断片の渦の中に我々を吸い込み、魅了してしまうのだ。
結合的再解釈の困難は、理性的主体にとってはただ大きなおぞましさである。
しかし、そのおぞましさは、美しい。

もしあなたが、魅力的な人間になりたいのであれば、ジョーカーを参考にしてみてはいかがだろうか?
断片的に、そして、大きな二面性を孕む振る舞い。
あなたという存在は、大きな渦となり、見るものを吸い寄せる。
その渦に吸い込まれてしまうのは、あなた自身かもしれないが。。。

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