あなたは予告だけ見て油断していないか ~『グレイテスト・ショーマン』を見て~

■はじめに

 私は昨晩、映画『グレイテスト・ショーマン』を映画館で見てきた。

 私はこの映画に関して「まあ結構良かったかな」というか「面白いところは面白かったし、気になるとこは気になったな」くらいの感想なのだが、今回わざわざこの文章を書かせていただくのには理由がある。

 それは、この映画を『ラ・ラ・ランド』だと思って見に行き「なんか……違うな……」となる方がひとりでも多く減ってほしいからである。

 多分この思い込みがなければ、私はこの映画をもっと楽しめたのではないかと思う。
 余計なお節介だとは思うが、なるべく映画のクリティカルなネタバレはしない形で語りたいと思うので、まだ見ていない方で同じ勘違いをしていた方は是非この記事を読んでマインドを整えてから臨んでいただきたい。

■グレイテスト・ショーマンとは

 ご存じない方のために、一応この映画について紹介したい。

 グレイテスト・ショーマンは、19世紀に実在した興行師、P・T・バーナムの人生を描いたミュージカル映画である。

 P・T・バーナムは、現代サーカスの基礎を築いた人物のひとりだと言われている。
 当時上流階級向けだった演劇や音楽に対し、一般市民が楽しめる娯楽としてサーカスを作り、これを提供していたという。シャム双生児や小人症など、ユニークな人物を舞台に立たせたり、当時はまだサーカスに珍しかった象を登場させたり、様々な方法で大衆の注目を集めたようだ。

 また「バーナム効果」という心理学の用語は彼の名前から取られているらしい。それくらいの有名人である。

 この作品は、そんな彼の人生を(結構脚色して)描いた映画である。

 以下に映画の予告編を貼るので、もし予告を見たことのない方がいらっしゃるならば是非見てみてほしい。


 さて、皆さんは、この予告編からどんなストーリーを想起しただろうか。

 決めつけるような形になって申し訳ないが、「貧乏なバーナムが妻と娘の為にサーカスを始め、様々な挫折を経て大成功する物語」「障碍者など当時世間から見下される立場だった人々が、バーナムの舞台に立つことを通して己の人生を輝かせていく物語」辺りに見えたのではなかろうか。

 実際それらは完全に間違いというわけではないのだが、これは「ベイマックス」の予告編からバトル要素が排除されていたのと同じで、物語の全体を正確に捉えたものではないと私は感じた。

 恐らく「『ラ・ラ・ランド』のスタッフが関わっている」という宣伝文句もこの誤解を助けているのではなかろうか。

 ラ・ラ・ランドを見た方が「あの映画のスタッフが作ったミュージカル映画だよ」と聞いたら、「(ラ・ラ・ランドみたいな)苦しい生活や大きな挫折を経て夢を叶えるサクセスストーリーが見られるんじゃないかな」と無意識に期待してしまうこともあろう。

 ……というのは、勝手にこの映画を誤解していた自分を正当化するための言い訳めいているが。
 ともかく、この映画のあらすじを、一旦私の言葉で語らせていただき、しかる後にこの映画の魅力を述べていきたい。

■あらすじ

 バーナムは、貧乏な仕立て屋の息子として生まれた。

 母親は早い時期からおらず、父親も貧乏と過労の末に死亡。
 孤独なバーナムは、様々な職を転々としながら大人になっていった。


 そんな彼には、小さいころから心に決めていた女性、チャリティがいた。

 チャリティは上流階級の出身で、本来なら貧乏仕立て屋の息子などとても釣り合わない。
 しかし幼きバーナムは、小さな頃からあった人を楽しませる才能、そして夢想家としての『様々な想像をし、それに他人を巻き込む』才能をもって、チャリティにアタックし続けた。

 彼女が花嫁修業に出されても、バーナムの父親が死亡し居場所を失っても、ふたりは心を通わせ続け……遂に結婚へとこぎつける。すごい執念である。


 チャリティとふたりで暮らし始め、後にふたりの娘に恵まれるバーナム。

 しかし当然生活は楽ではない。
 住まいは雨漏る安アパート。バーナムは何の仕事をしても最終的にはクビになってしまう。生活費は切り詰めねばならず、娘の誕生日プレゼントすらまともに買えない。

 上流階級生まれで暮らしに不自由したことのないチャリティには苦しい環境であっただろうが、それでも一家がそこそこ幸せに暮らせていたのは、バーナムの才能があったからである。
 つまり、子供達を夢に溢れた想像の世界へ連れて行き、家庭の雰囲気を明るくするバーナムの才能が。


 狭いながらも楽しい我が家。
 しかしそれで納得できないのは、他ならぬバーナム自身である。
 明るく振る舞ってはいるが、こんな思いをさせたくてチャリティと結婚したわけではない。かつての自分のような暮らしを娘達にはさせ続けたくない。

 この人生を一発逆転させるため、バーナムは『誰も見たことのないものを見せる場所』を作る。
 ユニークな人……つまり小人症者やシャム双生児、空中ブランコが得意な黒人きょうだい、ヒゲの生えた歌姫、全身タトゥー男……。
 そういった社会的には蔑まれている、しかし他にない個性を持った人物達を集め、公演を打ったのだ。

 この公演が大成功し、バーナムの一家は一気に金持ちへの道を駆け上っていくのだが……。


 というのは、まあ、映画を見なくても「大体そんな話だろ」と想像のつく範囲のあらすじである。

■本当のあらすじ

 私が注目していただきたい部分を、もっとハッキリ語ろう。

 この物語は『上流階級に対する強いコンプレックスを持ってしまった男』、バーナムの物語である。


 バーナムはそもそも、貧乏仕立て屋として苦しむ父親の背中を見ながら育ってきた。父親の死も、貧乏暮らしや過労が原因であろう。金の無さ故に盗みを働き、パン屋のおやじにボコられたこともある。
 貧乏の惨めさを、バーナムは嫌というほど思い知っていた。

 彼のコンプレックスを決定づけたのは、やはりチャリティの父親から受けたあんまりな扱いであろう。

 将来は上流階級の男に嫁ぐものと思っていたチャリティに、貧乏人の息子がちょっかいをかけている。
 これを見たチャリティ父は、バーナムをぶん殴り「娘に近づくな」と警告。おまけに娘を花嫁修業へ出してしまう。

 後にふたりの結婚が決まっても、チャリティ父は「娘は帰ってくる、お前のところでの貧乏暮らしになど耐えられるはずがない」と嫌味を言うのみ。
 以来バーナムは一度もチャリティの家を訪れておらず、孫の顔すらも見せていない。両者の関係は最悪である。


 こうした暮らしの中、バーナムに刻み込まれたのはひとつの感情。
 それはつまり、『絶対に上流の仲間入りをする。自分の娘達を、貧乏人の子と見下させはしない。かつて自分に対し、あのクソオヤジがやったように』という気持ちである。


 無論『チャリティや娘達にいい暮らしをさせたい』という気持ちが嘘だったわけではなかろう。
 しかしそれはこの『上流コンプレックス』と複雑に結びついており、どこからが自分のためでどこからが家族のためなのか、恐らく本人にすら分からなくなっていただろう。


 とはいえ、まっとうな方法では上流になどなれない。
 そこで彼の才能が活きてくるのだ。つまり、夢想家の力……自信満々に空想を述べる力。そしてそれを他人に信じ込ませる力……言ってしまえば、ペテン師としての力である。

 誰も見たことのないものを見せ、それで金を稼ぎ、上流の仲間入りをする。

 その為に彼は、ほとんど詐欺のような方法で銀行から金を借り、その資金を元手に才能を発揮していく。大ぼらを吹き、その嘘に他人を巻き込み、信じさせる才能を。

 社会の爪弾き達を集めたのも、彼らに輝いてほしいから、などという慈善家めいた心からではないし、バーナムが彼らを差別しなかったのは、人種や障害に関する寛容さを持っていたからではない。
 単に「それらが金儲けのためのプラスにこそなれ、マイナスにはなりようがない」と踏んでいたからである。

 舞台に立とう。君はきらびやかな衣装を着、注目を浴びる。
 そうすれば君はスターだ、もう誰も君を見下しはしない。

 そんな成功するかも分からない大言壮語にすがり、爪弾き達は彼の元に集ってゆく。バーナムは誇大広告でユニークな彼らに注目させ、そしてその才能で本当にショーを大成功させてしまうのだ。


 こうしてバーナムは大きな富を得るが、彼の上流コンプレックスは留まることを知らない。

 自分のショーを低俗だ、街の恥だと騒ぎ立てる反対派はまだいる。
 批評家も「いくら売れてもこれは芸術ではない」と酷評し続ける。

 たとえ富を得ても上流階級に認められないこの状況では、娘達は『貧乏人の子』ではなく『成り上がりの子』と蔑まれるだけである。
 それすら退けるには、上流階級にも自分のショーを認めさせる必要がある。
 自分は真の上流になったと、すべての人々に認めさせねばならない。そう、あの日自分をブン殴ったチャリティの父親にも……!

 コンプレックスに心を縛られたバーナムは、上流に認められる公演を打つことに心血を注ぎ続けるのだ。
 そう、自分が夢を見せ共に成功を掴んだはずのユニークな仲間達も、そして本来幸せにしたいはずの家族すらも見失いながら。

 やがてその歪みは、これまで築いた全てを失いかねないほどに発展してゆくのである……。


 ……宣伝で見るより結構闇の深い話だと、少しでも伝わっただろうか。

 私のように『ラ・ラ・ランド』を見るつもりで映画館へ足を運んだ人間は、序盤あまりにも物事がサクサク成功していく様子にやや違和感を覚える可能性がある。
 そして他人を平然と舌先三寸で利用する主人公のバーナムが、手放しに『善人』と評していい人物でないことにも驚くかもしれない。

 だがそれもそのはずで、これは太陽へ向け飛ぼうとするイカロスの墜落と再起の物語なのである。

 バーナムの生育環境が生み出した心の歪みは、彼に必要以上の高みを目指させ、足元を見失わせ、そして周りの人間達を振り回し続けた。

 その歪みが決定的な崩壊を招いた時、自分の歩んできた道を振り返り、そこに何が残されているか。
 その部分こそがこの物語の本質であるように私は感じたのであった。

■気になったら劇場へ

 ヒット作品とはいえ、批評家の中でも意見が分かれているようだし、物語的な粗が無いとは言えないので、「必ず気に入るだろう」と約束はできない。

 ただ、派手に着飾り自信満々の態度、最高にアガる劇中歌と共に地獄へと駆けてゆくヒュー・ジャックマンの姿は、見ている私の感情を強く動かした。


 そして今更言うことでもないが、劇中歌がまさにグレイテストである。

 本作のメインテーマと言える「THE GREATEST SHOW」、ゴールデングローブ賞を受賞した楽曲「THIS IS ME」をはじめとして、この映画には素晴らしい楽曲が沢山ある。

 その中でも私のイチオシは、バーナムが上流階級へ取り入るため、才能あふれる若き劇作家フィリップをスカウトしようとする際の楽曲「THE OTHER SIDE」である。

 バーで酒を飲みながら、フィリップを口説こうとするバーナム。
 上流相手の息苦しい日々はやめにして別の世界に飛び込み、やりがいのある刺激的な仕事を私と共にやろうじゃないか。
 フィリップはその誘いに魅力を感じつつも、簡単にはなびかない。
 僕は今の生活に満足しているし、成り上がりと馬鹿にされている貴方と仕事をすれば評判が落ちてしまいます。

 ふたりのやり取りがテンポ良く、時にコミカルに描かれたこの楽曲は、ミュージカルが好きならぐいぐい入り込めること間違いなしである。
 フィリップ役のザック・エフロンはどことなく若い頃のレオナルド・ディカプリオに似ていて、ヒュー・ジャックマンと並べると画面上の顔のいい男濃度がグンと上がってしまう。
 彼らが酒をショットで飲みながらバトルする様子は、思わずワクワクせざるを得なかった。


 DVDやブルーレイがそのうち出るとはいえ、大きな画面と迫力の音響でこれらを楽しめる機会はやはり上映期間中のみである。

 ひょっとしたら想像している映画とは違うかもしれないが、「素敵な楽曲を聴きに行くか」くらいの気持ちで劇場へ足を運べば、きっとなかなか楽しい時間を過ごせるのではないかと思う。

 この記事を読んで気になった方は、是非劇場へ足を運んでみてほしい。
 まさにバーナムが当時の観客に仕掛けたような楽しい時間を、あなたが少しでも過ごせるように祈っている。

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