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宇宙庭園とねずみ(6) チャイムとノック

ベッドから起き上がってすぐ、異変に気がついた。
寝ているベッドがいつもと違う。いや、そもそもここは……僕の部屋ではない。

目に飛び込んできた、古びたアンティークの机と椅子、ベージュの壁紙。部屋には窓がなく、薄暗かった。

ホテル…………ではない。この部屋には生活の何がしかが、ここで日々過ごしているものの断片が、確かに存在している。ここは間違いなく、誰かの部屋だ……。

僕は何故この部屋にいるのか?
未だ寝ぼけていることが原因か、前後のつながりがはっきりしない。記憶の欠落、断片化? 昨晩はお酒を飲んだんだっけ? いや、昨日は確か……

ブー

突然の音に、心臓がはげしく波打つ。

────チャイム。

数秒後、それが玄関のチャイムであることに気が付く。
普段聞き慣れた音とは違う。昔、何かの古い外国の映画で聞いたようなチャイムの音だ。

チャイム?…………つまり、誰かがこの部屋を訪ねてきたのか?

ブー


チャイムが繰り返され、焦りが増す。
どうしよう、ここは僕の家ではない。反応しようにも、状況がはっきりしない今、さすがに出るわけにはいかない。部屋の家主はいないのだろうか? 

あきらめて帰ってくれ。そう願いつつ、僕は息を潜め、なるべく気配を消すように心がける。

トントン

ノック。反応がなかったから、今度はノックした、そんな感じだった。ノックに攻撃的なニュアンスはない、軽い合図のようなノック。自分が危険な存在ではない、玄関の外の人物がそう説明しているようにも思えた。


トントン

ややあって、ノックが繰り返される。先ほどより速いテンポだ。

『部屋にいることは分かっている。話があるから開けてくれ』

ノックはそう訴えているように思えた。
開けなくてはいけない。
どうしてだか、不思議とそんな気がしてくる。
僕は閉じた部屋のドアをじっと見つめた。音はこの部屋の外の、またもう少し先から聞こえてくるようだった。

僕はベッドから起き上がって閉じられたドアまで行き、意を決してドアを開け、それからゆっくりと部屋を出た。

暗闇に灯るオレンジ色の揺らぎ、隣りの部屋には右手の壁に暖炉があって、暖炉の前にはこれまたアンティークなデザインのソファーと机が置かれていた。

暖炉の方に少し近づくと、突然、人感センサーに反応したかのように、ソファーの右にあった間接照明に光が灯り、部屋の全体がはっきりと浮かび上がる。正方形の部屋の四方に隙間なくならぶ天井までの高さの本棚。

えっ! と僕はその光景に動揺と興奮を覚えた。
この部屋を、僕は知っていたからだ。
だってこの部屋は確か……。

「おーい。いるんだろう? 開けてくれよ」

ソフトに呼びかける声がする。
暖炉の対面、本棚に溶け込むように存在するドア。声はその先から聞こえてきた。────そうか、ずっと疑問に思っていた〝このドア〟は、この家の玄関だったのか。僕は変に納得して、同時に呼びかける声について考える。この声も、以前どこかで聞いたことがあるように思う。ただ、最近は随分と長い間、聞いていなかった……この声は、誰の声だっけ?

「タクト! 開けてくれよ」

!! 相手が僕の名前を呼ぶ……相手は僕がここにいることを知っているのだ……。やはり相手とは面識があるのか? でもダメだ。相手の発する言葉はあまりにも短く、これだけで誰の声だったか思い出せる気は全くしない。

誰ですか?  そう聞こうとして躊躇する。覚えてないのは失礼かもしれない。ただ、相手が誰だか分からないままドアを開けるのは、少し抵抗がある。

「ごめんなさい。誰ですか?」

僕は諦めてそう口にする。

「……誰って、僕は僕だろ?」

……まったく答えになっていない。声で分かるだろ? そういうことなのか?

「あっ名前ってことかな!? でも、…………そう、名前は確か君がくれるんだろ?」

黙りこんだ僕に、相手はそう続けた。
僕が名前をあげる? どういうことだ、名前を付けるということなのか? 相手の謎の発言に僕はさらに困惑する。一体、外には誰がいるんだ? 恐怖心より好奇心が優って、僕はドアを開ける。

濃い緑の匂い、目の前に広がる森。

「全く、どういうことだい」

一瞬、外には誰もいないのかと思ったが、足元からそんな声がして、視線を落とし僕は驚愕する。

そこにはムスッとした表情をした、小さな"ねずみ"が立っていたからだ。

身長30cmほど。
二足歩行している、少し太っちょの"ねずみ"。

ねずみ!?────これは!!……湊が言っていた。ねずみじゃないか!!?

そこで色々な事がつながり始める。
そうだ。確か僕は昨晩、『Transformation』を聴きながら眠った。湊から聞いた必ず見る夢の話。まったく信じられないが、曲を聴きながら眠ったことで、僕もまた湊が話した〝あの世界〟にやって来たのか?? でも、夢にしては意識がはっきりしすぎている。世界がやたら鮮明で、五感でそれをしっかりと感じとることができる。そうか、湊も確か〝鮮明な夢〟という表現をしていたっけ。ただ、これは鮮明というレベルを遥かに超えているように思える。

僕は改めてねずみを見やる。

ねずみ? いや、正確にはこいつは 〝はりねずみ〟 だ。湊もそう言っていた。 ただ、リアルな本物の〝はりねずみ〟とは違う。絵本やアニメのキャラクターのような空想のはりねずみ。そもそもこいつの体はぬいぐるみじゃないか? ただ、ちゃんと表情があって、口を動かしている。パッと見はぬいぐるみだけど、細部がちゃんと動的なのだ。

確かに不思議の国のタクトだ。僕はねずみに聞こえないぐらいの声で呟く。

「まったく何年待たすんだよ。もう来ないかと思ったぜ。いや、君が時々ここへ来ていたことは知ってた。でも、君はずっと部屋に閉じ篭ったままさ。まあ、人には個々に事情ってものがあるから、僕もずっとそれを尊重してきた。ただ、本当にそれでいいのかというと、それも違うと思うんだ」

ねずみがまくしたてるように喋る。
ねずみが何を言っているのかはわからない。ただ、ねずみは少し怒っているようだった。

「ごめん」と僕は口にする。

「……ふん。まあ、いい。究極には君の自由なんだ。ただ……やっぱり期待しちゃう部分があるだろう」

「期待?」

「名前とかさ」

「ああ、名前かぁ」 僕は少しわかったふりをしてみる。

「……まあ、名前はいい。君にもタイミングってものがあるだろうから。ただ、今回はゆっくりしていくつもりらしいね。だから僕は訪ねてきたし、君は扉を開けた」

「ああ、そうなのかもしれない」

僕はまた調子を合わせる。どうしてか、ねずみをがっかりさせたくなかったから。

「ところで、湊を見なかったかい?」

僕は思い切って聞いてみる。
湊の話では森の巨木の雑貨屋で、僕はねずみと話していたらしい。ねずみが湊を知っていたら、ここは間違いなく湊が言っていた世界で、このねずみは湊の話に出てきたねずみ、、、のはずだ。

「みなと?」

ねずみは明らかにピンときてない顔をする。

「僕の友達なんだ。僕と一緒で、ここへ来ているかもしれない」

「うーん。みなと。わからないなぁ。まあ、君の友達を全員把握しているわけじゃないからね」

「そうか……」

「ところで、タクトは今日は何を"モンド"するつもりなんだい?」

次に『Transformation』という曲を知っているか聞こうとしたところ、目を輝かせて、ねずみが聞いてくる。

「"モンド"?」

やっぱり意味がわからず僕は聞き返す。

「何百年ぶりに外に出たからには”モンド”するんだろ?」
さもあたり前のような顔をしてねずみは言う。

何百年? どういったスケールの話をねずみはしているのだろう。

「”モンド”ってなんだっけ?」
さすがに知ったかぶるわけにもいかず僕は聞いた。

「……おいおい。その冗談は面白くないぜ」

ねずみの表情が一気に曇り、とても寂しそうな顔を浮かべる。
"モンド"を知らない、もしくは忘れていることは、笑えないほど重大なことなのか? 僕は一旦それ以上"モンド"について聞くことを諦める。


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