ソーダ
我々は歩いていた。サクサクというよりかはスルスルという感じだ。
歩いていたのは6人だったか、8人だったか、場合によってはもっといたかもしれない。ただ、あの時の記憶、脳内で再生される映像はとても不鮮明で、正確な人数や、他に誰がいのか、はっきりしない。私たちは何故か、集団でその街を歩いていた。
胸のあたりに居座る、べったりとした不快感。見慣れないこの街を歩くのは快いことではなかった。普段、私は寧ろそのような状況を楽しめるはずなのに、その時はさほども楽しいとは思えなかった。
原因の一つは、この街自体が、何か仕組まれた場所のように感じられたことだった。信号機の名前、丁や番地、通りの名前、橋の名前、車のナンバー。それらに目を凝らしても、まるでモザイク処理がされているかのようにぼやけて、うまく確認できない。是が非でも匿名性を保とうとするこの街は、どこかおかしい。誰かが個人的な目的のためにつくった空間。私たちはここに連れてこられ、歩かされている。そうなのではないか?
幾人もの人とすれ違った。ただ、どの人間も便宜的に配置されたエキストラのように、なんとも空虚だった。私は何度か彼らに声をかけてみようかと試みた。けれど口が全くもって動かず、言葉を発することができなかった。
私は少し苛立っていた。なぜ、歩かされているのか? この先、どれだけ歩けばいいのか? 立ち止まろうにも、口とは対照的に足は勝手に動き続け、立ち止まることはできなかった。
「一緒にソーダを飲む約束でしたよね?」
突然、横からの女性の声がする。
びっくりしつつ、私は顔を少し横に向ける
今の今まで、私は一緒に歩いている人間に全く注意を払っていなかった。
あれっ?………私は女性を知っていた。
私たちは以前にどこかで会っている。少なくとも、合計30分以上は言葉を交わしたことがある。でも、重要な部分が思い出せない。彼女と会ったのどこで、なにがキッカケだったのか? 彼女の名前はなんだっけ?
なぜ君がここに? ここはどこなんだろう? 私たちは、なんで歩いているんだろう? ソーダって? できることなら彼女に色々と尋ねたかった。ただ、やっぱりどうにも口が上手く動かない。
私は仕方なくコクリと頷く。重要な記憶が抜け落ちている。彼女とソーダを飲む約束をしたことを忘れていることだってあるだろう。
「この街にね。有名なソーダ屋があるんですよ」
彼女は続けた。
ソーダ屋ってなんだよ。と私はツッコんだ。しかし、勿論それも声にはならなかった。私は無口な人間のように、再びただ頷く。
信号機を3つ、9人の人とすれ違った後、私たちは外にたいそう大きな樽が並べてある建物前に行きついた。そこが彼女のいう「ソーダ屋」であることは察しがついた。樽の上に置かれたソーダ。樽の周りに立って、それを飲む人々。
私は立ち止まり、彼女も立ち止まる。
あれっ? 私は立ち止まることができた。
前を歩いていた人間も、後ろを歩いていた人間も、私たちには目もくれず私たちを残し去って行った。彼らはどこへ向かっているのか? そもそも何故一緒に歩いていたのか? 結局それは分からなかった。
私と彼女はおもむろにソーダ屋へと進む。正直ソーダを飲みたかった訳ではない。むしろ私が飲みたいのは、ジンジャエールだった。それでも、意味もわからず歩き続けるよりはずっとましだった。
建物の中に小さなキッチンがあるのみで、席は屋外の席のみらしい。外に並んでいる樽の数は全部で8つ。幸か不幸か、一つの樽が空いていて、私と彼女はその樽の周りに席をとった。
さて、と思っていると、特に注文もしていないのに店員と思しき男がソーダをふたつもって来てくれる。
周りを見渡すと、確かに誰もかれもが同じソーダを飲んでいる。
メニューも何も、ここには一種類のソーダしかないのかもしれない。
「味は1つということなのかね?」
私は単純な疑問を彼女に投げかけてみる。
あれっ? 口が動く。歩き続けることからも解放されたし、どうやらこの世界での自由度が増しているようだった。
「同じソーダではないです。味を決めるのは私たち。私たち次第なんですよ」
彼女は少しふてくされた感じで言葉を返す。
「なにか怒ってる?」
そんなことを言うべきではなかったのかもしれない。ただ、今度はいささか口が自由に動きすぎて、思ったことをすぐに口にしてしまった。
「ジンジャエールが飲みたいなって思ってますよね」彼女は少し呆れた感じで言った。
!! やはりこの世界は信用ならない。心の中の秘密が、あっさりと漏れているじゃないか。
「でも、話し合ってソーダになったじゃないですか。〝神社を応援したいからジンジャエール〟って、ずっと食い下がってたけど、最後は公平にジャンケンで決めましたよね?」
彼女が捲し立てる。
……! 急に記憶が蘇る。そうだ! ある時、私たちは向かい合って話していた。ソーダにするかジンジャエールにするか。双方譲らず、結局最後はジャンケンになった。私がパーで彼女がチョキで、だからソーダを飲むことになったのだ。
「……そうだった」
私はつぶやく。
「……もうシャレはいいですよ」
〝そうだ〟を〝ソーダ〟と取られたか。
「いや、シャレを言ったわけじゃなく、たまたま」
と言いつつ、確かに自分が〝神社にエールを送りたい〟と言ったことを思い出して、説得力がないなと思った。
「でも、よかったです」
そう言って彼女はストローに口をつける。
よかった? 私は話の続きを待った。でも彼女は言葉を続けない。どうやら言い切りだったみたいだ。何がよかったのか? 普通に考えればソーダを飲むことができて、ということなのだろうか?
それから私もソーダに口をつける。…………これは?……。
「美味しい?」と私は彼女の感想を聞いてみる。
「まだ分からないです」
……まだって、味なんだから、舌に触れた瞬間に分かるだろう。胃に入ってから初めて味を感じる飲み物なんてない。舌と喉、そこを過ぎたらもうしまいだ。
「味しなくない? 味というか炭酸のシュワーとくる感じとかも一切ない。これはソーダをの顔をしているけど、全くの別人だよ。こいつは誰なんだ?」
「一体誰なんでしょうねえ。まだ決まってないのかも」
話はずっと空中戦だ。ただこの世界はどこか変だから、私の方がおかしいことを言っている可能性はある。そういえば、味が決めるのは自分たち次第だって、さっき彼女が言ってたっけ。
「仮にまだ決まってないとして、いつ味は決まるんだろう?」
私は聞いてみた。
「決めたいと思った時、じゃないですかね」
「なるほど……」
私は粘り強く、この会話の着地点を考えた。ただ、どんなに考えても思い浮かばなかった。
「どこで知り合ったんだっけ? 君と僕は?」
追い込まれた私は、失礼を承知で彼女に一番聞きたかったことを聞いた。
今度は彼女は直ぐには答えず、じっと私の目を見た。
彼女と目があっていたのはほんの数秒か、ただ、私の脳内に再びある瞬間の映像が蘇る。
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塔。
私と彼女は離れた場所から塔を見ていた。
突如、あの場所に出現した塔。前日の夜にはあんなものはなかった。しかし。今では確かに塔はあの場所に存在する。高さは500mはゆうにありそうで、かなり離れた場所から、その存在を確認できた。
「もっと近くに見に行かないか?」
私は提案した。
「いやです」
と彼女は首を横にふる。
「……そう。……でも、なんであんなモノが急にできたんだろう? 誰がつくったんだ? いや、一晩でつくることなんて不可能だよね。だとしたら、完成した塔を、誰かがあそこに運んできたのか?」
「塔は一瞬であの場所に出現したんだと思います」
彼女は断言した。
「地中からでてきたとか?」
「それは分かりません。ただ……あれができてしまったことは……問題なのかと思ってます」
「問題なのかね?」
私は首をかしげる。
「問題じゃないんですか?」
「問題はそれをひとたび問題だと敬うことで、初めて問題となる。問題として出世しちゃうんだよ。しかも問題ってのは、だいたいいつも解決しない。だから、みだりに問題にしたくない」
私は説得するでもなく言った。いや、たぶんおそらくそれは言い訳だった。
「つまらないです。理屈なんて、一歩間違えれば大体は屁理屈ですよ」
「それは一理あるな。まあ、突然現れたってことは突然消えることだってありえるよね」
「……」
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「前に一緒に塔を見ていたよね?」
私は言ってみる。蘇った記憶が私だけのものではないか確かめようとした。
「キアナの塔のことですか?」
「そんな名前だったっけ?」
「自分で名付けたじゃないですか?」
「……覚えてない」
「急に 現れた 謎の塔 って意味っていってましたよ」
「ほう」 確かに、そのネーミングの芸風は私が得意とするところだ。
「忘れるものですかね。普通」
「普通じゃないのかもしれない……」
「……」
「結局、あの塔はどうなったんだっけ?」
「…………知りませんよ。そんなの」
「見に行かないか? まだあの塔があるか」
「……それを確認するのが怖いから、とりあえずソーダを飲みにいくことにしたんじゃなかったでしたっけ?」
怖い? 空中戦は続くようだ。
「怖いと思ったのは、僕かそれとも君か?」
「……。決して、後ろを振り返らずに聞いて欲しいんですけど」
彼女は言った。
「うん」
「私には、今、遠くに塔が見えています。ただ、あれがキアナの塔かはわからないんです」
振り返るわけにはいかなかった。ただ、僕の後方に存在するらしい塔を見つめている彼女の透明度が一気に増した気がした。そんな彼女は、どこまでも美しかった。
わたしは、ソーダに口をつける。口に広がる炭酸の刺激とソーダの甘み。私は一気にソーダを飲み干した。
(完)
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