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お金を使って楽しむことに罪悪感をおぼえていた私へ

25才の1月。
社畜だった私は新卒で勤めた会社を辞め、次の仕事につくまでの間に、なんとなく台湾に遊びに行くことにした。

次の仕事や将来の目標も、何も決まっていない。
お先真っ暗とはまさに今である。

ただ「どうせならゆっくりすれば」という母の助言と、なけなしの退職金が台湾への往復航空券代とぴったりだったから、行ってみることにしただけ。
そんな適当な決断だった。

台湾は、一般的にどういう理解がされている国なんだろうか。

私は何も知らなかった。

例えば、台湾ではコインのような切符を使う。
それを知らなかったから、買い方も使い方も見当がつかず、空港から都心部への地下鉄でまず立ち往生。
英語のスキルも中学生で止まっているためどうしようもなかったのだけれど、初老の男性が日本語で声をかけてくれて助かった。

ニュースを見ると盗難や詐欺など怖い話も多々あるけれど、彼はただただ親切な人で「わたし日本語できるし、お嬢さんが困っていたからね」と言われた。

後日、これを母に話したら「そんなに上手なのは、第二次世界大戦で無条件降伏するまでの50年間、日本が植民地支配をしていたからかもしれないね」と言われた。

もちろん、これは彼の年齢からの想像でしかない。
本当は日本のマンガや文化に惹かれて勉強されたのかもしれない。
けれど"第二次世界大戦"という言葉を知っていながら、笑顔で助けてくれた彼の背景をイメージすらできなかった自分が恥ずかしかった。

他にも、路上パフォーマーの多さや物価の安さ、夜市、歴史的な建造物など、初めての台湾旅行で見たものは全て刺激的。
物価も安く、美味しいものをたくさん食べて、いろんな場所にでかけて。
将来に対する漠然とした不安を抱えていたくせに、帰りの航空券を取らなければよかったと思うほど、あっという間に1週間が過ぎた。

彼女と出会ったのは、そんな台湾滞在の最終日だった。

私が滞在していたのはバックパッカー向けの宿泊施設。
女性専用ドミトリーの部屋で、2段ベッドが所狭しと並べられ、1週間でいろんな人が出入りしていた。

だから、彼女が私のベッドの上段にやってきた時も、とくに何も思わなかった。ベッドがミシミシと鳴っていたけれど、そんなのもう慣れている。
大きなキャリーケースを引きずりながら荷物をほどき、誰かと通話をしている。
カーテンの隙間から綺麗な黒髪が見えた。アジア系……きっと台湾人なんだろうなと思いながら、ベッドで寝がえりをした。

ドミトリー形式の部屋では複数人が共同生活をする。当然、通話はマナー違反。

けれど、部屋には私しかいなかったし彼女があまりにも楽しそうに話をしているから、知らんぷりを決めこんだ。台湾語はまったく理解できなかったけれど、喜怒哀楽はなんとなく伝わる。

だから、ふいにベッドの端にミルクティーを置かれた時はびっくりしてしまった。

置いたのは、先ほどまで通話をしていた彼女。
とっさにカタコトの英語でお礼を伝え、なぜ私にくれたのかと聞いてみたら、彼女は「一緒に飲みたかったから」と笑顔を浮かべた。

たしかに台湾には"2つ買うともう1つオマケでもらえる"という文化が根付いている。
日本にもあるっちゃあるけれど、比にならないくらい、いたるところでオマケがつくのだ。

……とはいえ、名前も知らない人にとつぜん紅茶をあげるだろうか。
明日の分にするとか、どうにでもできるのに。

私の困惑を知ってか知らずか、彼女はスマートフォンの翻訳アプリを使って「もし、それを今飲むならちょっとお喋りしない?」と誘ってくれた。

本当に他意はないんだろう。
あっけらかんとした彼女の表情と、ちょっとだけちぐはぐなアプリの日本語訳にほだされた私は、言われるがまま宿泊施設のラウンジスペースでお喋りをすることにした。

彼女は同い年の台湾人。
台南(タイナン)と呼ばれる辺りに家があり、仕事の都合で都心部である台北(タイペイ)にきたのだという。

私は仕事を辞めて初めて台湾にきたこと、明日の飛行機で帰ること、そして思っていた以上に英語が話せずお酒を飲みに行きたかったが諦めたことを話した。

旅先にやり残しがあるのは悪くない。
気に入った場所なら尚更、いつかまた訪れる理由になる。

けれど、彼女は時間を確認し、
「このホテルの近くのコンビニならギリギリ間に合うかもよ! ビールは好き? 台湾啤酒(タイワンピージョウ)を飲んでみてほしい!」
とたちあがった。

「付き合ってくれるの?!」と驚きながら尋ねると、彼女はふふふと笑いスマートフォンに向かって語りかける。
画面には「今日は2人が話したお祝いの日です」と、少し予言のような日本語が並んでいた。

ギリギリ間に合ったコンビニエンスストアで台湾啤酒を1本ずつ購入し、ラウンジスペースで乾杯をした。

苦みのないすっきりとした味わいに、思わず「美味しいね!」と話しかけると、彼女も笑顔を返してくれる。
よく飲むのかとたずねると「ついこの間まで妊娠していたから2年ぶり!」と答え、スマートフォンを差し出した。

待ち受けに設定されていたのは赤ちゃんの写真。
「私の息子なの! 離れて暮らしているから、これは産まれた時の写真だけど……、可愛いでしょう。今はもう2歳になるよ」

日本にいる私の友達はまだ誰も出産を経験していない。ようやく結婚ラッシュが始まったくらいだ。
だからこそ、同い年で軽やかな魅力をもつ彼女が一児の母であることに驚いてしまった。
詳しく聞けば、シングルマザーである彼女は台南に住む母に息子を預け、稼ぎにでているのだという。

「さっきの電話も、お母さんにかけていたの」

だから、あれほど楽しそうに話していたのか。
英語だって翻訳アプリに頼っているのだ、台湾語の会話はまったくわからない。
けれど楽しそうな声色を思い出せば、家族が大好きなのは明らかだった。

「旧正月とか、お休みの時は帰れそうなの?」
台湾の旧正月は2月の初旬から中旬。もうすぐだった。

彼女は首を横に振ると、
「時間もかかるし、片道だけで5,200元(ユァン)はかかるから。もう2年は帰っていないの」
と言い、残念そうに眉毛を下げた。

5,200元 ―― この国のガソリン代や高速料金の相場はわからない。
けれど、九州ほど大きさがあるこの国の、北から南までの移動だ。それくらいかかるのだろう。

5,200元を日本円にすると大体2万円ほど。
私が、この台湾にくるために支払った往復航空券代と同じ金額だった。

彼女が愛してやまない息子に会うのを我慢し、生活費として貯めた5,200元。
私がなんとなくで決めた台湾旅行の往復航空券代も2万円。

偶然と言ってしまえば、それまでだ。

世界的に見た時に台湾と日本に物価の差があることも、私が日本で生まれ育ったことも。
彼女が自分の境遇と向き合い努力していることも、私が以前の会社で頑張り切れなかったことも。
全て、たまたま重なっただけ。

それでも、どうしようもなく情けなくてしかたがなかった。
こんなに頑張っている彼女がいるのに、私は何をしているんだろう。

言葉につまった私は、どうにか会話を続けようと、なけなしの語彙力で気持ちを翻訳アプリに語りかけた。
アプリがだしてくれたのは「あなたは努力家で、すごく素敵」という、中学生でもわかるようなシンプルな英語だった。

そりゃあそうだ。
日本語でだって、言葉にできないと思っているんだもの。
機械が代わりに喋ってくれるはずがない。

それでも、私の表情を見て彼女は何か悟ったんだろう。
流暢な台湾語でスマートフォンに向かい話しかけ、「ちょっとニュアンスが違うかもしれないけれど」と言いながら、私に画面を向けてくれた。

"私もすごく頑張っています。あなたも台湾を楽しんでいて、すごく素敵です"
"お金は色々な使い方ができます"
"今日の私はあなたとお酒を飲むことを選びました。あなたは台湾にくることを選びました。私は息子のためにお金を使います"

―― そう、画面には表示されていた。

もし私が台湾語を使えたら、もう少し違う受け取り方をしたのかもしれない。私個人の意訳も入っているだろう。

けれど、彼女が翻訳アプリに並べてくれた言葉は

"お金の使い方は、自分が納得できるかどうか"
"自分が選んだお金の使い方や、楽しむ自分を肯定していい"

という意味に思えて仕方がなかった。

翌朝、飛行機の時間に合わせて私が起きると彼女はもう外出していた。仕事に向かったのだろう。
「お土産なら台鳳牌(タイファンパイ)っていうパイナップルケーキがおすすめ」というのが、彼女とした最後の会話だった。

あれから、かなりの時間が経った。

帰国後、私は幼い頃からの夢だった執筆業を始め、台湾だけでなく色々な国に行った。英語はまだまだ勉強中。そして、稼ぐことが大好きだ。

仕事はとても楽しい。
夢だった仕事を受けるたびに理想の自分に近づいている気がするし、大きな予算をもらえれば期待してもらえたのだと思う。

そうやって稼いだお金を使って、知らない場所に行ったり、気になることを勉強したり、友達にプレゼントをしたり、美味しいものを食べたりする。

生きている以上、お金とまったく関わらずに生きていくのは不可能だ。
そして1日8時間、週休2日で働くとしたら、だいたい人生の2~3割は仕事に費やすらしい。

それなら、働き・稼ぎ・お金を使う自分を否定するなんてもったいない。
たとえ、しんどい状況にいたとしても卑下する必要はない。

彼女が教えてくれた通り、納得できるお金の使い方をして、思いっきり楽しんでいる自分を肯定しよう。
それが、国も場所も、レートだって関係ない大切な私のルールだ。


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