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昭和の記者のしごと③田中逮捕の速報 

第1部第2章 田中前首相逮捕の速報―次々に間違えた私の判断

 

ロッキード事件か信濃川河川敷事件か

 41年前の1976年(昭和51年)7月27日午前7時すぎ、自宅で眠っているところを「田中角栄、地検に出頭」という、司法キャップからの電話でたたき起こされました。東京地検の正面玄関から、マスコミ全社が張り込む中を、角さんが右手を上げる例のポーズで入って行ったというのです。みんなが見ていたのだから出頭は間違いないが、「ロッキード事件で呼ばれたのか、それとも信濃川河川敷事件なのか確認せよ。速報はそれからだ」とキャップ。

こういう時、電話で取材できる相手は、検察首脳に限られます。事件の核心につながる情報を知っていて、しかも捜査現場にはいかず、取材の相手をする余裕があるわけですから(実際に取材の相手をしてくれるかどうか、保証の限りではありませんが)。そしてNHKの検察取材チームの中で、検察首脳は私の守備範囲なのです。私は東京にいる3人の検察首脳―布施健検事総長、高橋正八最高検次長検事、神谷尚男東京高検検事長―の顔を思い浮かべ、夢中でそのうちの一人へ電話をかけました。と、朝早い時刻なのに、いきなり本人が電話に出てきました。

―○○○(官職)ですか?

「そうです」

―△△(個人名)さんですね?

「そうです」

いつもは奥さんが電話に出て、その取次ぎでやおら本人が電話に出てくるのがパターン。何故、本人がすぐ電話に出るのでしょうか。不思議に思って、思わず名前まで確認しました。しかし考えてみたら当たり前です。検察首脳である氏は私とは違って、その朝田中前総理を出頭させることを知っているのです。自分たちが決めたのですから。だからこそ、事故があったら困る。無事出頭させたい。何かあったら、東京地検から連絡があるに違いない・・・。心配しながら、朝早くから電話のそばに居たわけですね。

 

―松田検事に伴われて、田中前首相が東京地検に入った。ロッキード事件ですか、信濃川河川敷事件ですか?

検察首脳「松田検事に伴われているのなら、松田検事はロッキード事件担当の検事(の一人)なので、ロッキード事件でしょう」。

 

「事態はまもなく解明されるでしょう」

あっけないほどの即答です。この、ロッキード事件の捜査で忙しい時に、検察が信濃川河川敷事件の捜査などするはずがない、馬鹿な質問をする記者だと思っているだろう。こんな質問をさせるキャップもいけないが、唯々諾々としてそのとおり取材する私も駄目な記者です。私は信濃川河川敷事件など関係ない、と頭から笑い飛ばし、直ちに「ロッキード事件で田中出頭」と速報するよう進言すべきだったのです。私は判断を間違えました。

信濃川河川敷事件は田中前総理が長岡市郊外の信濃川の河川敷を農家から安い価格で買い集めましたが、その後国費で作られた新たな堤防で川の外の使える土地になったため、莫大な利益を得ることになる詐欺事件として告発されている事件。いわゆる田中金脈の重要な事件ですが、ロッキード事件捜査の最中に捜査することはありえないわけです。

とっさに態勢を立て直しました。

 

―この事件では、全日空の社長、丸紅の前会長ら、検事が早朝、自宅まで迎えに行って地検に出頭させた場合、いずれも逮捕している。田中氏についても同様に考えてよいか?

検察首脳「事態はまもなく解明されるでしょう」

いつもは冷静な検察首脳が、高揚した、謳い上げるような口調で答えました。この時、私は、「逮捕して解明する」と受け取りました。「ありがとうございます」と電話に向かって頭を下げました。

直ちに放送局内のデスクに電話、「田中逮捕必至」と説明し、早く速報するよう求めました。デスクが悲鳴を上げるような声を出して聞き返してきます。

「逮捕、というのも速報しなければならんか?」

 権力者・田中が出頭、と速報するだけで怖いのに、逮捕へ、と伝えるのは度胸の要る事なのです。

私は、また間違えました。

―「出頭」と伝えれば、逮捕とみんな考えるから、その点はわざわざ速報しなくてもいいでしょう。

 しかしNHKTVの速報を見た大部分の人は、なぜ田中前総理が出頭、といぶかしんだらしいのです。はっきり逮捕へ、と打てば、特ダネには違いなかったと思います。大勢には影響ない、1,2時間の特ダネですがー。

 大事な取材であればあるほど、次から次に判断を間違えます、とっさの判断を。思い出すと、恥ずかしい限りです。

 

「事情聴取しない人の中に入っていない」とは、日本語か?

 この朝の私の取材に対する検察首脳の答え方は検察独特の言い回しです。田中連行はロッキード事件によるものか、という質問に対し、「そうだ。ロッキード事件だ」と答えればいいところを「(連行した)松田検事がロッキード担当の検事だから、ロッキード事件でしょう」とわざわざ持って回って、推定したような言い方をしています。逮捕するのか、という質問に、「事態はまもなく解明されるでしょう」とあさっての方を向いたような返事。

 しかし検察に伝える気がある場合、そんな“検察語”でも情報は伝わるのです。取材する記者の方でもそうした言い方をされると、かえって情報の信憑性を感じたりするのです。

そんな私でも、この時から3年後の1979年の日商岩井事件の捜査の最中、法務省の伊藤栄樹刑事局長(のち検事総長)が国会で、岸元首相の事情聴取があるか、という質問に対し「事情聴取しない人の中に入っていない」と答えたのにはあきれました。

 私は伊藤局長が事件について触れた答弁をした場合に備えて、普段は縁のない国会に駆り出されていたのです。この答弁について、否定の否定はすなわち肯定、ということで、私は、あわてて「事情聴取のあり得ることを強く示唆した」と原稿を書きました。この二重否定は普段の会話ではまず使わない不思議な言い回しで、まさに検察語。素直に「事情聴取あり得る」と言えばいいのに、と思いました。しかし結局、その事件では岸元首相側から上申書を取って事情聴取はせず。伊藤局長としては「だから、事情聴取があり得るとは言わなかっただろう」と言いたかったのでしょうか。

 

 

4時間の取材の答は「常識の範囲や」の一言 それでも原稿に


田中逮捕の4ヶ月前、ロッキード事件の捜査が始まって1ヶ月もたたない3月4日、病床に伏していた右翼のフィクサー・児玉誉士夫氏に対する検事による初めての臨床尋問が行われました。児玉氏はこの事件が発覚することになったアメリカ議会で最初に名前の出た、いわばこの事件捜査前半戦の主人公。1972年11月にロッキード社から4億円あまりを受け取ったことを示す児玉本人の署名入りの領収書が公表されており、金の受け取りについてどこまで認めるのか、供述が注目されていました。

 この日の夜回りで「被疑者の供述をしゃべれるはずがないじゃないか」と言う検察首脳を相手に4時間以上も粘って、取れたのが「常識の範囲や」というただ一言。がっかりして深夜、放送局に戻ると、夜回りに散った同僚の記者たちも検察の“黙秘権行使”に悩まされ、何か答えらしいものを聞いてきたのは私だけ、ということになりました。そして司法チームの協議の結果、この場合の「常識」とは児玉氏は少なくとも年数千万円のロッキード社からのコンサルタント料の受け取りは認めたという意味だ、ということになり、先輩の記者が朝のニュースに向けて、長文の原稿をまとめてくれました。この「常識の範囲や」は検察語の中では、分りやすい常識的なヒントだ、というのがその時の評価です。

 

 

田中出頭 特ダネも特オチもなし

 さて、この逮捕の朝の東京地検に出頭する田中前総理の右手を上げてポーズをとった写真は、ロッキード事件を象徴する写真となりました。検察側が地検の正面玄関から連行してくれたおかげで、これほどの大事件なのに、新聞・テレビ各社で田中出頭の写真を撮りそこなったところは一社もありませんでした。しかしその一方で、田中前総理が東京・目白の自宅から車で連行されるところを撮影した社も不思議にも一社もありません。再三言うように、政治家の逮捕が迫る、と見られていたのに田中邸には一社も張り込んでいなかったのです。

 当時の情報を総合すると、検察幹部の一人が夜回りの記者たちに最初に逮捕される政治家として、田中前総理とは別の有力政治家をにおわす、強力なフェイントをかけました。検察はこういう目くらまし情報(ニセ情報!)の発信が伝統的に上手です。しかもこの幹部は、翌日には「しゃべりすぎて検察首脳に叱られ、しゅんとしている」という情報まで流れました!結果的にいうと、これに各社とも引っかかったようで、マスコミは1社も目白を張り込んでいませんでした。そのため検察としては田中前総理をどこへ連行して取調べてもよかったわけですが、あえて地検の正面玄関に連行したわけです。

 どうでも良い取材の裏話をしているようですが、そうでもありません。私を含め当時の検察担当記者はほとんどが検察にシンパシイ、というか好意を持っています。それは「総理大臣の犯罪」を摘発したことへの評価だけでなく、検察庁への田中出頭の写真という、最も分りやすい捜査のヤマ場の取材で、誰も傷つかなかったこと(特ダネも特落ちもなく)も背景にあると思います。ロッキード事件の捜査が終わったあとの会合で、検察首脳の一人が「この半年、記者クラブと検察は苦楽をともにした」と挨拶し、記者側も違和感なく聞いていました。

 しかしその後、検察と取材者との関係では検察が圧倒的に強く、また否認の被告について長期の未決勾留を続けるなど検察の強権的な捜査の手法が目立つことなどを考えると、検事と記者は苦楽をともにする気分でいてはいけないのだな、と思います。

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