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『『アイドル』の異様さの評価』の異様さの評価 ~『アイドル』のラップパートについて~

 これを書くためにnoteを始めたので体裁が見にくい場合が大いにあると思われます。ご容赦ください。  このnoteはさぎし氏の押韻論を、主に『YOASOBI『アイドル』の異様さの評価+常識外れの英語歌詞の問題について』と『補足記事:YOASOBI『アイドル』の英語歌詞の比較検討』を取り立てて批判した文章になります。彼の押韻の分析の仕方に問題があることは本人にTwitterで直接指摘したことはあったのですが、聞く耳を持たれなかったし、何より彼の評論を読んでアーティストらが韻(

    • 一対の眼球のためにあてがわれた酷く広大なディスプレイ、エミリア。

      一章 はやい話、私のオーディオプレイヤーは壊れかけている。音楽をかけようとすると―それどころかかけようとせずとも―勝手に流れはじめ、そして止まり、またイントロへと戻ってやり直し、加速し、途端に別の曲へと移ってしまい、止まり、また元の曲のイントロに戻り、加速し、止まる。私が狂いかけていることにも実のところ気付いていた。田園都市線、各駅停車、押上行き。リュックには、何気なく手に取ったウェルベックの『闘争領域の拡大』を詰めていて、手持ち無沙汰だからパラパラとページを捲る……。外はず

      • 喉乾いた

         寝る前は喉が乾く。  先日サークルの先輩の家にお邪魔し、勝手にエロアニメを見、ピザを頬張り、勝手に寝てきたのだが、その日も寝る前に異常な喉の渇きを覚えて寝付けなかったのを思い出した。  その日私と同じく勝手に先輩の部屋に転がり込んでいた知人が言うところには、「自律神経が失調していると寝る前に異常に喉が渇き、そしてそのために水を飲むと胃が動いて余計寝れなくなる」ということらしいが、この渇きと自律神経が関係しているとは。物理的な水分の不足とは関係ないのだろうか。いや、物理的に身

        • ああああああ

           倫理とはなにかというのを最近は考えている。たとえば転がっている自転車を人知れず起こしてあげるとき、私は善意でやっている訳だが、もしかしたらそれはわざと倒されていたのであって余計なことをしてしまっただけなのではないか、といったことを真剣に考えてしまう。その際に審判を下すのは、勿論その自転車の持ち主が私に直接異議申し立てないしは感謝を述べることはないから、結局のところは私の気持ちの居所でしかない。だが、「気持ちの居所でしかない」と言ったところで、それはどうしようもないものでもあ

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        『『アイドル』の異様さの評価』の異様さの評価 ~『アイドル』のラップパートについて~

          『Steins;Gate』における〈キミ〉は誰か?

          厨二病の格率とは、まさに自らをその首謀者として買って出ることだ。 序論 8月16日の19時52分が、「まゆしぃの懐中止まっちゃった〜」という言葉が、あのときラジ館で当てたメタルうーぱが、バタフライエフェクトのカオスかのようにすべての因果がアトラクタ・フィールドの境界面上で収束していって、「まゆりか、牧瀬紅莉栖か」という二者択一が岡部倫太郎に迫られる。彼の陰謀機械は〈他者〉へと届き、世界は彼による一つの巨大なスクリーンである。  『Ever17』に代表されるようなノベルゲーム

          『Steins;Gate』における〈キミ〉は誰か?

          Twittering Machineへの草稿

          本当にまだ草稿なんだけど、見通しがついたので投稿します 問題意識  二つの問題がある。一つは、まさしく私に関する幸福の諸問題であり、そしてそれは私が「勝利」していないことに他ならない。一方の問題というのは、様々な共同体(「男/女」「シス/トランス」そして「保守/リベラル」……)がありありとした格好で分断され、(すべてとは言わないまでも)大局的には根拠のない他の共同体へのヘイトが飛び交っていることである。この問題はよもや対岸の火事、つまりはウクライナとロシアだとかユダヤ人と

          Twittering Machineへの草稿

          宗教なき時代の神話について

           私はいまエピローグを語りはじめようとしているのか?それともまだ話半ばなのか、あるいはもうエピローグにさしかかっているんだろうか。 政治的概念の濫用 「ポリコレ」とはなにか?という問いから始めてみよう。  ただし、ここで言うそれはもはや“Political Correctness”のことではない。「ポリコレ」という言葉の本来的な意味は剥奪されてしまって、「ポリコレ棒」という言葉もすっかり埃をかぶっている。むしろ、私が焦点を当てているのは、昨今のノンポリ(non-polit

          宗教なき時代の神話について

          追悼文そして/あるいは遺言

           たとえば、生きるとは、意味を求め絶えまなく横滑りしていく物語である。私たちはつねにすでにプロローグに巻き込まれ、正義とか倫理といった世界観は物語=歴史histoireの内側から決定され、それじたいが運動していくことになるから、何か自分のなかの正義をコレと決めつけて一生を過ごすなんてことはできない。  もしくは、生きるとは根源的な分かりあえなさとの交渉だ。「根源的な分かり合えなさ」というのは、彼女の顔でさえ私の物語の登場人物としての役目を果たすばかりであるばかりか、そこに横

          追悼文そして/あるいは遺言