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『『アイドル』の異様さの評価』の異様さの評価 ~『アイドル』のラップパートについて~

 これを書くためにnoteを始めたので体裁が見にくい場合が大いにあると思われます。ご容赦ください。

 このnoteはさぎし氏の押韻論を、主に『YOASOBI『アイドル』の異様さの評価+常識外れの英語歌詞の問題について』と『補足記事:YOASOBI『アイドル』の英語歌詞の比較検討』を取り立てて批判した文章になります。彼の押韻の分析の仕方に問題があることは本人にTwitterで直接指摘したことはあったのですが、聞く耳を持たれなかったし、何より彼の評論を読んでアーティストらが韻(ひいては音楽)に対して窮屈な思想を持ってほしくないので執筆しました。

 また、歌詞論や音楽評論の方々、YOASOBIなどのJ-popが好きな方々、HipHopが好きな方々に届けばいいなと思います(この評論で何かしらの楽曲を攻撃することはないので安心してもらっていいです)。

さぎし氏の押韻論について

 読者の方々はもう既に聴いてらっしゃると思われますが、『アイドル/YOASOBI』を題材とした評論なので、それを聴いてもらわないと始まりません。ということで、ここに添付しておきます。さぎし氏は英語版の方を主として批判しているので、そちらの方を貼っておきます。

 では、さぎし氏の押韻論の思想は『YOASOBI『アイドル』の異様さの評価+常識外れの英語歌詞の問題について』の「2 英語版の歌詞が常識外れすぎる」を読めば大体わかります。まずはそこから見てみましょう:

これ何で英語版を出すの、という気持ちしかないんですが、英語版の『アイドル』の歌詞が常識外れすぎる。ちゃんと韻踏んでください

Couldn't beat her smile, it stirred up all the media
Secret side, I wanna know it, so mysterious
Even that elusive side, part of her controlled area
Complete and perfect, All you say is a bunch of lies
Dear miss genius idol, unmatched
(You're my savior, you're my saving grace)

 コーラスパートですが、「media/mysterious」以外に韻踏んでない。

YOASOBI『アイドル』の異様さの評価+常識外れの英語歌詞の問題について

 まず「media」「mysterious」だけしか踏んでいないというのは明らかに間違っています。実際に『Idol/YOASOBI』を聴けばわかるとおり、「media」「mysterious」「area」の組、「smile」「side」「lies」の組で踏んでいます(「media」「mysterious」「area」の並びで小節の最後に同じflowで「lies」で踏まれていますが、「smile」「side」はその布石といった風に取れます)。

 聴けば明らかな通り、踏めているものは踏めているので彼の評論がおかしいことは明らかですが、その上で彼はなぜ「踏めてない」と言ったのかについて詳しく見ていきましょう:

「area」は「media/mysterious」とは韻を踏めてません。これはたぶん知られていないと思いますが、英語のrhymeは、ストレス音節の母音が一致していないと一般的にrhymeとは認められません。

media   [míː・di・.ə]
mysterious [mɪs・・ri・əs]
area    [é・ri・ə]

 mediaとmysteriousは「mí/tí」でストレス音節の母音が一致していますが、areaは「é」ですので、rhymeできていないことになります。

 日本語にはストレス音節のルールが存在しないので、直感的に分からないかもしれませんが、英語のrhymeの成立条件にストレス音節の母音の一致が必要ということは、前提知識として押さえておきましょう。

補足記事:YOASOBI『アイドル』の英語歌詞の比較検討

 なるほど、彼の理論で言えば『英語のrhymeの成立条件にストレス音節の母音の一致が必要』だから踏めていないという論理になる訳です。では、ここでラップの大御所であるEminemのRhymingに関する動画を引っ張ってきたので、それと併せてこのことについて考えてみましょう。

 『「orange」で韻を踏むことはできない』というテーゼからこの動画は始まります。「orange」の発音は「ˈɔːrɪndʒ(米国英語)」であることが知られていて、ストレスは最初の音に来ていることに注意しましょうね。さぎし氏の論では、「orange」と同様に最初の音にストレスが来なければ、韻を踏めてることにはならないという話になります。

 ところが、Eminemは『Brain Damage』中で「storage booth」「hinge loose」「four inch screws」「foreign tools」「orange juice」と踏んでいってることが動画内で参照されます。次いで『Cum On Everybody』においては「more so」「sore throat」「wardrobe」「orange robe」「fourth row」と踏まれていきます。つまり、辞書的な発音では韻を踏めないとされているのにもかかわらず、彼は「orange」で韻を踏むことに成功している訳です。

 一方、さぎし氏の理論によれば例えば「hinge(ˈhɪndʒ)」と「orange(ˈɔːrɪndʒ)」はストレスが一致してないから踏めてないということになります。他の単語にも同様のことが言えて(勿論一致してるものもありますが)、やはり最初のテーゼの通り、あくまで彼の理論に則れば、踏めてないということになるようです。ですが、USのHIPHOP界でここまで権威のあるEminemが当然のようにさぎし氏の言うような押韻の規則を破っているし、その上でそれがたしかに韻であるということは受け入れられている訳ですから、さぎし氏の主張が誤っていることは火を見るよりも明らかと言えるでしょう。

 以上のことより、『英語のrhymeの成立条件にストレス音節の母音の一致が必要』というテーゼが誤りであることが分かりました。といっても、これはすこし牛刀割鶏なところがあって、『Idol/YOASOBI』のラップパートが踏めているということは耳が知ってるんだからおかしいなんてことは読者の皆さんは分かると思うんですが、Twitterを見ている限り彼の評論に感化されて流されている人がよく見られたので、改めてここで示したという訳です。

 また、俗に「語感踏み」というのがあります。
 「語感踏み」とは、例えば『Thanatos/釈迦坊主』を具体例に挙げると

悪魔と契りまくり 片っ端からヤリまくり ふざけた臭いがするmovin 鳴り響くsiren ふざけていたいね
体内に宿るmy god 宇宙の中彷徨うboi 指図は受けないmotherboard 常に背後にはthanatos

『Thanatos/釈迦坊主』

 この場合だと「契りまくり」「ヤリまくり」「movin」の組、「my god」「boi」「motherboard」「thanatos」の組で踏まれていますが、いずれもあくまで語感で踏んでいるだけで、カチッとハマった踏み方ではないのがわかるはずです。

 「語感踏み」は(一昔前の)日本語ラップにおいて金科玉条のように掲げられていた「韻とは母音を一致させること」とは真っ向から反します。そのこと自体はさぎし氏も認識はしているようですが、韻というのはあくまで語感や音の戯れであって、何かしらで簡単に定量化できるものではありません。ですから、それは辞書的な発音から逸脱してはいけない理由もないし、辞書的な発音だけ見て恣意的に決められた「韻の定義」(そんなものあるのか?)に背いてたって一向に構わないわけです。

 補足として、先ほど私は「storage」の発音を米国英語から引用してきましたが、発音というのは訛り(dialect)とか方言(accent)によって異なることはよく知られていることです。英語なんかは分かりやすい例で、米国英語と英国英語で大きく異なってしまうことが知られているし、英国においても主にLondonで話されるSE(Standard English)と教養人の間で使われるRP(Received Pronunciation)とでは異なった発音になってきます。その観点に立っていえば、さぎし氏の言うstressはdialectやaccentによって簡単に変わってしまう訳ですから、そんなもので韻が踏めているかいないかなんて判定できるわけがありません。さらに言えば、その発音は音楽に組み込まれた歌詞となることで大きく変容することも明らかです。これらのことが考慮されず、あくまでも恣意的な「韻の定義」にこだわって、音として「韻」になってるものを拒絶していく合理的な根拠はないように思われます。さらに、ここにはある種の倒錯が窺えて、本来「韻とは何か?」を考えて押韻論を探究しているはずが、さぎし氏が「韻とは何か」を定義してしまったせいで、どう聴いても「韻」であるものをその恣意的な定義に基づいて「これは韻ではない」と排斥していってしまってるように見えます。これを喩えるなら、物理学者がNewtonの運動方程式ma=Fを信奉するあまりにも物理学の本質を見失って、古典力学的な運動法則を逸脱する量子力学的な現象を否定してしまうようなものです。Newtonの運動方程式は、あくまでもモデルであって定義ではありません。それはさぎ氏の押韻理論にも言えることですが、あくまでも韻を定義することはできず、モデルを作ることしかできません。そのことを肝に銘じるべきだと思います。

ラップの価値?

 この章では様々なラップの曲を引用することで、多角的な視点で『アイドル/YOASOBI』を考えることを目指します。
 さぎし氏はnoteの中でこのようにも述べています:

なぜラップがここまで悪いか、原因を改めて確認しました。どうもYOASOBIのボーカルは、ビートではなくメロディに合わせてラップしようとしているように思えます。

 一般的にラップはビートにいかに乗せるかが重要です。しかし、YOASOBIのラップはビートへのアプローチに欠けていて、リズムが不安定になっています。

 このラップでは全く音楽に乗れません、縦ノリも横ノリもできないです。クラブでこのラップに遭遇したら、わたしは棒立ちになると思います。

YOASOBI『アイドル』の異様さの評価+常識外れの英語歌詞の問題について

 彼は『YOASOBIのボーカルは、ビートではなくメロディに合わせてラップしようとしている』ことを根拠に『アイドル/YOASOBI』のラップパートを批判していますが、メロディに合わせるタイプのHipHopは平成後期から令和にかけてのEmo Rapとして流行していました。代表例としてはやはりLil peepでしょう。彼は一世を風靡したのち、死去してしまって嵐のように去っていきました。また彼に並んでXXXtentacionもEmo Rapの代表例と言えるでしょう。日本でもEmo Rapは流行していて、その代表例と言えるのがSleet Mage(よわい)氏、Gokou kuyt氏、sic(boy)氏であると認識しています。いずれにせよ、彼らのEmo Rapはメロディベースであり、ビートのみに重きを置いたものではありません。ですから、メロディに合わせてラップしているから一概に良くないと評価することはできません。

 そもそもラップは「ノれればノれるほどいい音楽」とも限りません。たしかにHipHopの語源からしてノリが重要であることは確かですが、それに留まらない価値観や思想の表現こそHipHopの本質だと私は考えているし、第一『アイドル/YOASOBI』はあくまでもJ-popですから、そういったHipHopならではの価値観を持ち込む必要はないわけです。

 というか、『アイドル』のラップパートがビートに乗っていないというのも素直に首を縦には振れません。『アイドル/YOASOBI』のBPMは166で、ラップパートだけBPM75になっています。つまり、ラップパートは基本BPM166のBeatの上に約1/2程度の遅さでじっくりと乗せていることになります。また、Beatじたいにあまり無駄なメロディラインがなく低音が印象的であることから、Trap Music的な乗せ方になっていると初見で感じました。具体的に似たようなラップをしているTrap系HipHopを挙げると、『HUMBLE.(Skrillex Remix)/Kendrick Lamar』がちょうど同じようなFlowになっていることが分かります(これはTwitterで呟いてる人を見て知ったことです)。ただ、一つ補足をすると、この曲はあくまでSkrillexのRemixによってTrapらしくなっているという楽曲でKendrick LamarじたいはTrapの代表格という感じのラッパーではありません。そこで、改めてTrapらしいTrapで具体例を挙げるとすれば、Migosが分かりやすいでしょう。『Bad and Boujee ft Lil Uzi vert』を聴けば感覚が分かると思います。


 また、J-pop(アニソン含む)のラップはその作品内でその作品をより良くするために使われているのであって、ラップが主体であるとは限りません。例えばいま述べている『アイドル/YOASOBI』に関しても、B子町メンバーの心境の発露としてラップ技法が持ち出されてきたわけです。実際、こういった憎悪・嫉妬・愛といった複雑な感情を表現するのにラップは向いています。それは、『27才のリアル/狐火』『Pellicile/不可思議wonderboy』などに代表されるpoetry Readingと呼ばれるジャンルのラップを聴けば納得するかもしれません。また、例えば『ふわふわ時間/放課後ティータイム』のラップパートはある種の外しとして効いてきて年頃の女の子の心境をうまく表現しています。他のアニソンの例だと、『恋愛サーキュレーション/千石 撫子』においてはサビ以外のパートが所謂「なんちゃってラップ」で構成されていますが、非常に評価の高い曲であったことを思い出すべきでしょう。『〈化物語〉』のアニメソングという文脈抜きでも支持を得ていたのは、そのラップがその楽曲内では最適に機能していたからに他なりません。

 ここからはだいぶオタクっぽい領域になってしまいますが、より極端な例をあげれば、「モノディ」や「シュプレヒゲザング」といったようなものまでラップというくくりで見れるかもしれません。ラップのことを考えるついでに、西洋音楽的な枠組みで現れたラップの親戚として参照しておきます。下の動画はシュプレヒゲザングの代表的な楽曲、Schoenbergの『月に憑かれたピエロ』です。興味があれば聴いてみてください。

 以上のことより、『YOASOBIのボーカルは、ビートではなくメロディに合わせてラップしようとしている』という批判も的を射てないように思われます。重要なのは、あくまでラップは歌唱法の一種であることです。色々と具体例を列挙したので、このことからも一面的な視点でラップを評価することのおかしさが分かると思います。それはどんなラップ、音楽であれ迎合しろと言ってるわけではなく、その価値を見極めたうえでものを言うべきだという話です。

 本当はこの話をするにあたってボカロとラップのことも書きたかったのですが、冗長になるでしょうから省きます。具体的には『My Name is/yanagamiyuki』『働かずに食う/Kohh』『砂の惑星/ハチ(米津玄師)』あたりが参考になると思うので、興味がある方は調べてみてください。

ついでに

芸術界では、スタイルの模倣と追究によって異様化することを『マニエリスム』(代表的な作家にミケランジェロやアルチンボルドなど)と言いますが、日本の音楽はいまマニエリスム化しています。

YOASOBI『アイドル』の異様さの評価+常識外れの英語歌詞の問題について

 マニエリスムとは、ルネサンスからバロックへの移行期のことを指します。≪長い首の聖母/パルミジャニーノ≫がマニエリスムの代表的な絵画で、これはイエス生誕の際を描いたものになりますが、題材の通り聖母マリアの首が長く、また建造物の構造もイマイチ掴めないという不思議な絵画になっています。マニエリスムの特徴はまさにこれで、一見して分からない不自然さに特徴があるのですが、ミケランジェロはルネサンス三大画家に数えられるくらいですから、(誇張された肉体表現などは目立ちますが)むしろ肉体構造として自然から大きく逸脱したようなものはありません。たしかに、ヴァザーリが後期のミケランジェロの作品をマニエラと評したことが始まりのようですが、基本的にはミケランジェロはルネサンスの人として扱われるので、マニエリスムの代表作家として彼を挙げるのは不適切に思われます。

 それと

これは日本のアイドルらしさみたいなものを楽曲に反映しようとしてやっているんじゃないかと思っていて、たぶん結構成功していると思うのですが、どう考えても何か児童向け音楽にしか聴こえない

 これはすごい損していると思う。海外のチャートでこういう幼い声を全面に押し出すようなボーカルの曲ってあんまり聴かないんですよね。

 たぶん海外のひとは、オタクじゃない限り『アイドル』を児童向けソングだと感じるんじゃないかな、わたしでさえそう感じるんだから。そうなるとあまり『アイドル』はより普遍的に聴かれる楽曲ではない気がします。

YOASOBI『アイドル』の異様さの評価+常識外れの英語歌詞の問題について

 とありますが、そんなことはなく、『Idol/YOASOBI』(英語版の『アイドル』)は、Billboard The Global Excl. U.S. top 10で首位獲得、またBillboard Global 200では9位を獲得しています!(2023年6月10日現在)
 喜ばしいことですね!

最後に

 まとめると
・『英語のrhymeの成立条件にストレス音節の母音の一致が必要(さぎし氏)』⇒Eminemの楽曲を聴けばわかる通り必ずしもその規則が守られる必要はないので誤り。
・『YOASOBIのボーカルは、ビートではなくメロディに合わせてラップしようとしている(さぎし氏)』⇒Emo Rapの流行を見てもメロディに合わせることだけで批判することはできないし、そもそもビートに合わせてないとも言えないし、そもそもJ-popの音楽なので必ずしもHipHop的なフォーマットに則る必要もない。
 といったところでしょうか。

 身も蓋もないことを言ってしまうと、最近の流行ってる音楽は大体がいいものなので、あまり「○○がよくない」なんてことは少ないように思われますね。勿論主観として苦手な曲や嫌いな曲があるのは理解できますが、あたかもそれが「客観的評価」であるかのように語りだすのはやめた方がいいです。もっとも、これは音楽に限らず、ふだんの対話や議論のなかでもそうあるべきだと思いますが。

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