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生きる力:シチリアの海が教えてくれたこと

アルバムをスクロールして、3年前のシチリア滞在時の写真を探していた。

晩夏のシチリアの青く透き通る海、赤い屋根が続く町並み、ビビッドな色の独特の花たち。ため息が出るほど美しく、それが写真で伝わりきらないのがまたため息が出るほどもどかしい。

当時の自分のインスタグラムの投稿を見ると、イタリア語で詩が書いてあった。古代ギリシャからの息吹をありありと残すこの地は、少なくとも23歳の日本人を詩人の気分に浸らせるには十分だったようである。

私にはもう何もいらない
どんな困難があっても
今日のこの場所に戻ってきなさい
どのように自分の人生を楽しむかを見つけられるから
どれほど人生が素晴らしいかが分かるから
なぜならば、今、私は確信をもって言える
この星に生まれてよかった
心からそう思えるから

イタリア語の文法も正しいかどうか分からない。詩とは言えないほどストレートな詩かもしれない。しかし、そこに確かにあるのは、この瞬間を心の底から楽しんでいる等身大の人間だった。もうこれ以上何もいらないと思えるほど、素晴らしい瞬間に出会っていると感じている人間だった。

当時は新卒1年目で、自由な学生時代が終わり、想いだけでは事を運べない事に悔しさを抱え、社会の厳しさを垣間見ていた時期だった。(今なら「人生は長いから、全て一度に上手くいくことはない」と言ってあげたい。しかし、1年目というのは、一分の一であるが故に、客観的に見られないものだ。)そんな中で、夏休みの休暇を取って向かう先はイタリア一択。カンパーニャでの一週間の滞在の後、シチリアの地に降り立った。

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シチリアは不思議な土地であった。古代ギリシャの土台、古代ローマの軌跡、アラブの面影、王国の足跡、’イタリア’の印。色んなものが混ざり合って、土地を理解しようにも消化するのに時間がかかる土地であった。おまけに、欲張りなために、パレルモ空港から入って西シチリアを見て、バスで東西5時間の移動をして、東シチリアを見てカターニャ空港から出る計画で、西と東には全く独自の文化があり、一層とらえどころのない土地に思えた。

不思議な出会いも沢山あった。昼からビーチにいて黄ばんだシャツ一枚の地元民は、聞くと、微生物の研究をしていると言っていた。夜の屋台で串を焼くアラブ人は、得体の知れない蛇のように長いものを売っている。ヘリの運転手というその人は、口を大きく開けて笑って、毒々しいピンク色のサボテンの実を味見させてくれた。観光客とは一線を画した生活を送る彼らはしかし、不思議なエネルギーに満ちていた。

数日たったある日の昼下がり、頂上に教会を構える山に登った。灼熱の太陽と思ったより急な坂に息が上がり、足を止めて振り返ると、青々とした海がどこまでも続いていた。その景色は問答無用に美しかった。直後にギリシャ劇場に入ると驚いた。ギリシャ人は二千年前に、その海岸線をバックに劇場を築いていたのだ。宿泊先のB&Bの400年前から受け継がれた家は、バルコニーに出ると海を一望出来た。私はそこまで来て気づいた。美しいものを美しいと感じる、その心を大切に生きる、この土地の人の一貫性に。そして、それこそが生きる力だということに。

次の日、空港に行く前にもう一度海を見たくて、日の出と同時に山を登った。しんと静まりかえる石造りの階段から、海の向こうに登る朝日を見て、何かを探してあがいていた自分が遠くに思えた。その時に浮かんだのが冒頭の詩だった。肩の力が抜け、生きる気力がわいてくる。

ふと横には絶壁に生えるサボテンが、海を見下ろすように実を付けていた。この実の美味しさを教えてくれたヘリの運転手を思い出した。

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こちらの記事は、2021年夏号「1番近いイタリア」巻頭エッセイの抜粋です。

季刊誌「1番近いイタリア」についてはこちら




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