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イタリアでのバスルームのリフォーム

ご報告.

我が家のバスルームをリフォームしました。

あぁイタリア、本当に毎日がドラマでした。

11日間、心臓が3つあっても足りないくらい心身ともに大変でしたが、生まれ変わったバスルームは美しく、私たちの涙と汗と絆の結晶だと思うと込み上げてくるものがあります。

怖いもの知らずで見切り発車な私、おかげでロケットスタートしたプロジェクトですが、これが予想外に大変で、、、

痛い思いを沢山しましたが、学びを得て、また一つ、自信になりました。

イタリアで、イタリア語で、イタリア式のリフォームができるなんて、思えば信じられないです。

以下、バスルームをリフォームするというだけの話なのに、涙と愛の成長物語の一部始終です。

ーー

1.イタリアの「見積書」は「予報」

初っ端から、イタリア式リフォームの洗礼を受けました。

あらゆるところに見積もりを出した結果、選んだ1社、当初の見積もりでは3日間50万円。

ところが、工事を開始してみたら、壁のタイルを取ったら後ろの壁が剥がれただの、バスタブを外したらチューブに穴が空いただの、色々あって、3日経っても壁に大穴が空いたまま。

費用も改修費用が追加でかかると言われ「はぁ!?」

日本人の私からすると、君たちが穴開けたんだから、君たちでなんとかしてよ!見積もりはこうだったじゃないか!!と言いたいのですが、イタリアのコミュニケーションでは、「蓋を開けてみて、Let's see」が基本。

ま、リフォームの場合、イタリアでは家が古く、業者は家側の問題のリスクを負わないということもあるのでしょう。

書いておくか、先に説明するかしてくれてって感じですが(これはアレッサンドロも本来一言あるべきと言っていた)、まぁ開いてしまったものは仕方がないので、ここからなんとかしよう、ということです。つまり、見積もりはあってないようなもの、予報ですね。

ちょっとー、3日間50万円って言ってた話はどこ行ったの!?

2.イタリアのリフォームは、基本、自前

リフォームに必要な材料や機器は、自力で調達せなばならず、月曜日からリフォーム開始になったので、土日は慌ててホームセンター通い。

アレッサンドロがホームセンターに行くのにスケボーを車に積むので、「なぜ??」とはてなマークだったのが、ガッテン。

夜のボローニャでスケートボードにトイレの便器を載せて走らせたのは、まるで映画のワンシーン。

壁のタイルまで自前なので、何度も図面を書いて、白タイルが何平方メートル分で何パックか、柄がいくつか、と電卓叩きまくって計算して、車の中でガチャガチャというたびに割れないか心配になりながら、なんとか家まで運んできました。

ボローニャにない壁のタイルを買いに、翌日フェラーラまで行った時、バックミラーを見ながら、アレッサンドロが「見てごらん、夕日が綺麗だよ」と言って振り返った時の夕日の優しさは、今も忘れません。

ボローニャにもモデナにもフェラーラにもなかった鏡を、アレッサンドロの両親がリミニで代わりに買って持ってきてくれた時、受け取りに行った寒い駐車場で長話をしたことも、今日も朝、鏡を見るとふと、昨日のことのように思い出します。

3.イタリアでは、時に意地悪になれ

予想もしていなかった業者との交渉問題をどう進めるか、アレッサンドロと話していた時。

「Aoi、常に良い人じゃダメだよ。Aoiは良い人だから。でも、イタリアではそういう人に付け入る悪い人もいっぱいいる。重要な場面では人を疑う必要もある」と。いつも優しいアレッサンドロに淡々と言われ、自分の無力さと社会の暗い面を見た悲しみに沈み、

その日に作ったカレーは不味くて、カレー失敗するなんてと凹んでいると、「まぁ僕は良い子なAoiが大好きなんだけどね。カレー美味しいよ」と言っておかわりするアレの天然の優しさが弱った心に沁みたのでした。

4.これは2人のプロジェクト

多発する問題に抱えきれなくなりそうな不安がよぎった時、アレッサンドロが「これは2人のプロジェクトなんだから、もっと自分を頼って」と。

「もしお金が足りなくなるなら、助けることもできるのだから。このために僕たちは一緒にいるのでしょう?」と。

その時の私の複雑な気持ちと言ったら。

助けたいと本当に思ってくれる彼の優しさと、私の家なのに大ごとになってしまっている申し訳なさと、頼ってほしいと言えるくらい頼れる人がいることの嬉しさと、彼が感じていた切なさを思って痛む心と、ほんの5秒にさまざまな気持ちが入り混じって、やっと出た一言は「ありがとう」でした。

その週末、私の友達と三人でご飯を食べている時、アレッサンドロが友人に「全く、僕はAoiに怒ったんだ。僕を頼らないで、全部自分でやろうとするからね」と言って、みんなで笑った時に、あぁ、2人のプロジェクトなんだなぁと思いました。

彼は物理工学が専門で、建築設計を学部時代は専攻していたので、専門ソフトで図面を書いては、メールで送ってくれて。

その時の件名が「Gambarò」だったのは、心が笑った瞬間でした。

5.最後はなんとかなる

工事初日、家に行ってみると、壁に隣の部屋まで突き抜けて大穴があいており、家が崩壊するのではないかと震えたり、

その日の夕方、下の階の人から水が漏れて天井にシミができていると言われ、慌ててバケツを置いて、弁償問題が発生しかけたり、

(すごく良い人で、彼らは買ったばかりの家なのに、これくらいなら大丈夫だからと。同じ歳くらいのカップルで、今度落ち着いたらお茶でもしようね、とお友達になりました。)

2日目は、今度は工事の人から電気が止まったと電話を受け、走って駆け付けては、隣の人からバルコニー伝いに延長コードで電気を分けてもらったり、

(紳士なおじいさま一人暮らしで、後日、虎屋の羊羹を菓子折りに挨拶をしに行って以来、君は良い人だ、何かあれば頼りなさい、と心強いお言葉を頂きました)

最終日に取り付けるはずのビデは、欠陥で穴から水が漏れて取り付けられなかったり、

浴槽が飛び出してドアが閉まらなくなったり、

お湯と水の蛇口が反対で、お湯をねじると水が出たり、洗濯機はお湯で洗われたり、

問題多発で、心臓が持たないかと思いましたが、最後は素晴らしいバスルームが完成しました。

特に、私が「ミラノ・サローネ・スタイル」だとこだわった洗面台はシックで、見どころです。

結局、費用も、私がゴタゴタ言うこともあって面倒になったのか、何も知らない若い可愛い日本人の女の子を哀れに思ったのか、今のところなんとか。

こうして汗と涙が詰まったバスルームを手にして見ると、本当に美しくて、いろんな登場人物が出てきて助けてくれて、「あぁ、最後はなんとかなるんだなぁ」と、また1つ学びと自信を得たのであります。

6.先が見えない日々のご飯

先の見えない工事に、心臓が持たないほど心配とあらゆる感情の揺れ動きがあった中で、朝夜一緒に食べる毎日のご飯だけは癒しでした。

ブラッドオレンジを絞ってジュースにしてくれた朝もあり、
私がフリッタータを作って仕事から帰ってきたアレを迎える日もあり、
土曜日はPizzaの日でアレが24時間発酵で生地を仕込んだピッツァを頬張る夜もあり、
今やアレッサンドロの得意料理になった、先日シチリアで私の友人リタに教えてもらったメッシーナ風インボルティーニを作ってくれた夜もあり、
私が日本からのあずきでお汁粉を作っておやつを食べた日もあり、
今度試そうねとずっと言ってた近所の馬肉専門店の馬肉を買ってきて料理してくれた夜もあり、

毎日、食卓を囲む瞬間だけは安心感に包まれて、美味しいねと笑い合うと、
あぁ、今日も明日も幸せに生きることができるんだなぁ、と感じたのですね。

、、、

Etc

11日間、毎日がドラマで、書ききれないくらいのことが起こり、でも、今静かに椅子に座って目を閉じれば、それぞれが映画のワンシーンのようで。

何よりも本当にアレッサンドロに感謝。

建築も工事も無知で、車も力もない私が、イタリアで、イタリア語で、イタリア式のリフォームができるなんて、今から思えば信じられないのですが、設計、図面作成から、業者とのコミュニケーション、材料調達、居候する私のお世話まで、何から何まで感謝。

そして、居候生活も毎日とても楽しかった!甘かった!

ということで、バスルーム完備、

ゲストルームもありますので、皆様、ボローニャに来る際にはお待ちしていますね!


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