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18歳最後の夜、それでもNUMBER GIRLに帰依する

一年に一回、誕生日前夜につらつら感情とNUMBER GIRLへの想いを書き綴るわたしの謎の企画もついに3回目を迎えた。

17歳最後の夜に思いつきで始めたnote。
記事にコメントやいいねを頂くことも多々あり、日々それらの反響に有難く思いながらわたしは胸を暖めている(すべて目を通させて頂いています、本当にありがとうございます)。

さて、今日は18歳最後の夜である。
18歳。振り返ってみれば、一応のこと法の上では成人になったものの、初めて選挙に期日前投票しに行ったことくらいしか成人になった実感はなかったように思える。未だモラトリアムの中に
居られるだけありがたい話なんだろうけれど、わたしにとってはそのモラトリアムにしがみついている今のこの状況が何よりも"ダサい"、なんて思っている。明日にはもう19歳になってしまうし、いつまでもこうして物思いに耽っていられる時間にはそろそろ終わりが来るのだろう。もうじき嫌でも靴紐を結んで前を向かなければいけない時はやってくるのだ。

この18、19年間……楽しくて幸せな時間より、苦しくて消えたい時間の方が圧倒的に多かったように思える。苦しかったからこそ、健全なモラトリアムの中にいられなかった。今はようやくこんな文章を書けるくらいには幸せの味が分かるようになってきたけれど、それでも貴重な思春期の大半をもがき苦しむ時間に費やしてしまったことは今でも少しだけ後悔する時がある。あの時自分が上手く考え方を変えられていれば、なんて思ったりもする。だが、それはもう過ぎ去った過去の話だし、今更それにうだうだと思いを馳せてどうにかしようったって出来るわけではない。だからそれでもわたしは、待ったが効かない明日に手を伸ばすしかない。変えるのならば、まずは明日から、と。過ぎ去ったことばかりは、仕方がないのだ。

大人になれるかなんてわからないけれど、不安に満ち溢れているけれど、それでも、今日もわたしはNUMBER GIRLを聴いて前を向く。不安定で流動的な世の中のモヤを掻き消すような、向井秀徳の鋭いボーカルに身を委ねながら。

わたしは、頭の中で酷く鳴り止まない思い出とトラウマとNUMBER GIRLの音楽を、背に従えて、明日へも何処へでも連れてゆくと誓った。今まで苦しんだ分だけ幸せになってやるために。
その資格が、権利が、わたしにはあるのだから。

自宅への帰路、夜に潜って走ってゆくバスに揺られながら、そんなことを思った。

ありふれて特別な、そんな誕生日前夜。

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