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自殺を考えた中学1年生の夏。その時が一番"生きて"いた気がする。

死に場所を探した夏休み。
死に方を考えた夏休み。
死への片道切符の買い方を探していたはずだったのに、誰よりもあの時は生きていた、気がする。


今でも中学1年生の夏が忘れられない。
現在17歳、高校生の私にとっては今から5年前の、2017年のことになる。

小学1年生の頃から生まれつきの身体障がいによっていじめられていた私は、当時、自分がいじめられていることを両親に打ち明けられずにいた。
(詳しい内容は私の過去のnoteを参照頂きたい)
それは両親に心配をかけたくなかった、というのもあるが、" 自分がいじめられている " という事実を自分自身受け入れ難かったというのもある。

自分がいじめられていることを認めたら終わりだと、当時は思っていた。

いつ打ち明けようか、と悩んでいるうちに、気付いたら眠っている。夜が明けて目が覚めて、変わらず毎回やってくる今日に絶望する。

そんな日々を過ごしているうち、いつしか中1の一学期も終わりを告げようとする7月になっていた。

そんな初夏のある日、詳しい経緯は忘れたが体調不良で早退した私は、「大丈夫?横になる?」と声をかけてくれた母親を前にして、ふと、寝たら明日が来るんだよな、と当たり前のことを考えて泣きたくなってしまった。

明日が来ればまた、学校に行かなきゃいけない。
もう何度つくったか分からない作り笑顔を顔に無理やり貼り付けて、教室に行かなきゃいけない。
そうすればまた、いじめられる。

そんな事を頭の中で巡らすと、この地獄を断ち切る為の最短の手段がふと頭に浮かぶ。

「あのさ、今まで黙ってたんだけど、私………」

ここでいじめられているんだ、と一言、言ってしまえばいいんだ、と思った時には、既に口からこの言葉が出ていた。

「いじめられてるんだ」

もうどうにでもなれ、と。7年間黙っていた真実を吐き出した。

それからの事はよく覚えていないけれど、真実を知った両親が怒り狂ってくれたことと、学校には行かないと心に決めたことだけは、なんとなく記憶の隅に残っている。

でも、いじめの事実を明るみに出したことは、いい事ばかりではなかった。

確かに味方は増えたけど、それまで我慢して、辛さを後回しにしていた分のツケが今になって回ってきたのだ。抱えていた爆弾が爆発したような、そんな感覚。

ああ、自分はなんて惨めな人間なんだろう。
そう自覚させられた気がした。

それからというもの、私は生きることへの執着のようなものが綺麗さっぱり消え、自殺の方法を考えるようになった。

足りない頭で、どうやったら死ねるか、と試行錯誤していたが、首吊りのロープの結び方すら解らなかった私は、結局「考えるの疲れたし、今日はいいや」と先延ばしにしては眠りについていた。
 
思えば、この「今日はいいや」が、私を延命していた気がする。

時に、祖母の家の畳の上で、アイスをかじりながら死に方を考えていたけど、夏の風にふと吹かれた時、溶けかけのアイスを急いで頬張った時、なんだか死ぬなんて重大なことを考えるのも馬鹿らしくなって、「今日はいいや」にしたこともある。

必死に死ぬことを考えては、「今日はいいや」に
たどり着く日々は、張り詰めた糸が急に緩んで、また張り詰めて緩むような感じだった。

ジェットコースターみたいだったけど、あの時は、それはもう破茶滅茶に、誰よりも生き急いで、生きていた。

死ぬために生きていた、というのもおかしな話だけれど。

あの時はきっと、日常の小さな幸せが、死への興味を一時的に薄めていた。それが「今日はいいや」に繋がって、私は自動的に生かされていたんだと思う。だけど今は、その小さな幸せが最大濃度になって、私は生きたいと自分で思えるようになった。

もし、これを読んでいる方の中で、死にたいと思っている人がいたら、そんなあなたに伝えたい。

1mgでもいいから、日常に散らばる幸せを摂取してほしい。無理に探さなくても、きっと、あなたの案外近くにある。そして、私のように、「今日はいいや」と、少しだけ先延ばしにしてみてほしい。延長した先に、幸せがまだまだ落ちているはずだから。その幸せを集めて集めて、日々を繰り返して、生きて欲しい。死にたいあなたには酷な話なのは解っているけれど、未来のことは今は後回しにしよう。目の前の小さな幸せ……例えば美味しい食べ物とか、かわいい動物とか、何でもいいから、今受け入れられる最大限度まで受け入れてあげてほしい。私もそうやって、なんとかここまで生きてこれたから。人生なんて、いくらでも巻き返せるから。あなたもそうしろと無理強いはしないけれど、このことをちょっと心の片隅に置いていてくれたら、私は身に余るほど幸せだ。

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