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真正面から正論をぶつけると人は怒る。

みなさん、こんにちは。東北は涼しい日も増えてきました。
普段はTシャツオンリーでしたが、先日は久しぶりにシャツを羽織りました。夏はTシャツだけで問題ないですが、年々おしゃレベルがかなり下がっているのを実感します。

さて、前置きはこのぐらいにして。

特に他意はないのですが、書いてみよっかなという毎度の思い付きのテーマでございます。

なぜ真正面から正論をぶつけられると人は怒るのでしょう?
もっと簡単にいうと図星を突かれた人ということになると思いますが、結構な割合で不機嫌になってしまう気がします。

「伝え方が〇割」みたいな本ありますよね。
(未読なのですが)まさにそれなのではないかと思っています。

僕はどちらかというと理屈っぽい(というより屁理屈か)とよく言われますが、正しいものは正しいというその軸が強固過ぎて、社会人時代は非常に苦労したことを覚えています。そして厄介なことに、僕の場合は対する側に深入りし過ぎていたのが、根本の原因でしたが。バックグラウンドを知りすぎて、情が湧いてしまう的な?

本性は感情で動く人間なのに、「正しい」という軸を隠れ蓑に理屈っぽく振舞う人間だったと。

本筋に戻りましょう。

図星を突かれた側は論争で逃げることが出来なくなってしまうのです。論争で負けて、捨て台詞を吐いて逃げることが出来るなら、それでもいいかもしれません。しかし、僕たちの生きている人間の社会では、嫌な人とも良好な関係を続けていかなければならないことも多いです。論破されたからと言って、涙目で敗走することが出来ないこともあるでしょう。対会社、対取引相手、対友人、対恋人、対家族etc...


怒ってしまう側は痛いところを突かれたと自分で分かっているので、感情を爆発させることでしかその場に立っていることが出来なくなってしまう。次の一手を探しているその間も「正しい」で殴られ続けています。

正論に勝る屁理屈を僕は知りません。いくら屁理屈を組み立てようが正論が強いことは自明の理。まぁ1正論vs10屁理屈くらいなら反撃できるかもしれませんが。

そうなると、、、まぁキレますわなぁ(笑)

とはいえ、生きていれば立場的に自分自身に正論をぶち込まれる分の悪い勝負をしなくてはならない場面も多々あると思います。そんな時、上手く正論で殴ってくる人がいます。そんな人には尊敬と「この人は敵に回しちゃいけないな」という思いを抱いた記憶があります。

そんな正論という名の正義の拳で、人を怒らせてきた僕が学んだことは、「正論で相手を完膚なきまで叩きのめさないこと」

相手に逃げ道を残してあげること。

ただ、ここでいう逃げ道とは結果的に正論を上手く伝えた人の掌で転がされている状態です。いざ逃げ込んでみたら、もちろん先回りされていますし、妥協の割合は正論で殴られた方が多いかと思います。しかし、経験から言えばそこが手の打ちどころなのでしょう。

共通しているのは、相手の尊厳を守りつつ、提案などで軌道修正し、先手を打って落しどころを設定していることです。

「正論だけでは人は動かない」というのもよく言われていることですよね。

結局、理屈と感情のバランス感覚に優れている人、そんな人たらしに僕はなりたいというお話でした。

あ、そうそう新しいタグが増えていましたね。

#私の勝負曲

たくさん記事を書いてみたいなぁと思いますが、いかんせん広く浅くの音楽遍歴なので、ついで程度に記事を書いた時に聞いている曲をご紹介することにしましょう。

それでは。
BGM: Phoenix  (TOTALFAT)  
好きな所:いままでも頑張ってきたじゃないか、勝利して喜びを分かち合おう的な歌詞(適当言ってます)

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