最近思っていること(完璧主義&斜に構えた性格・外出欲・内面の変化)

記憶力が良いうえに完璧主義なので、思い入れが強い物事に関しては、あれって何だったっけとか、何て書いてあったっけ、何て言ってたっけと、気になったら頭からそのことが離れなくなって、つい思い出したくなって仕方なくなってしまいます。

何度も聴き返したり読み返したりしたくなってしまいますが、全てにそれをしていたら時間がもったいないので、内容を自分用にカスタマイズしてメモに文字起こしして「自分のタイミングで後で読み返せるから大丈夫」状態にしておきます。

忘れやすい性格とか、過ぎたことに縋らない性格だったらこんなことにならないのに。

あと完璧主義からくる厄介事象だと、ちっちゃなことでも何かが思い通りにいったときは気分がとってもとーっても良いのですが、思い通りにいかないととんでもなくモヤモヤ落ち込みます。

周りから見て私の様子がおかしいときは、大体何かが思い通りにいっていないとき。

思い通りにいかないとキレるタイプの人もいるので、私は悲しくなるタイプなんだと思うと、いろんな人間がいて世の中面白いと思えます。

私めんどくせえ~っていう気持ちと、世の中面白れえ~っていう気持ちが入り混じります


日々生きていて、なんかこんな斜めな性格の人間になってしまって、自分にすら申し訳なさを感じるというか。

何に対して斜に構えて、斜に見ているかというと、今パッと思いつかないし挙げればキリがないのですが、
例えば、ライフイベント的なものに対して真っ直ぐに素直に向き合える人はマジで素敵だし、羨ましい。

1人でいれば、自分と人と比べるとしても基本的に画面の向こう側の有象無象なので誰かと比べることが少なくて済むのですが、自分と同年代の人達が集まった場にひょいっと放り込まれたり、自分から足を踏み入れたりすると、呼吸が浅くなって息が苦しくなりそうになります

そうじゃなくても、同年代の人達が集まっている様子を客観的に見ているだけでも息が詰まりそうになります

コンプレックスからくるものなのかなと、受け入れているつもりではありますがこんな自分に悔しさを感じずにはいられません。


やりたかったことがちょっとずつ叶えられてきている今、外出したい欲が謎に高まっていて、インドア人間から少しくらいは脱せたらいいなと思っています。

しかし気持ちが高まってるだけで行動に移せないのが相変わらずすぎて笑止です。

ぜってぇ行きてぇ!って思うライブやイベントがあれば、不安な気持ちはあれど有無を言わせず行けるのですが、そういった目的がないと腰の重さが勝って、なかなか遠くに行くことがありません。

少し足を伸ばしたところに積極的に行けるようにしたい、というのが今の目標かもしれません。

あてもなく思いつきで出かけてみたい。


こんなんでも少しずつ内面が変わっていってる自覚があります。

ちゃんと今に集中もできるようにもなったし。
心が豊かに生きるためにどうしたらいいか、前よりももっと考えるようにもなったし。

写真を見返すと外見の変化も感じて、自分のことなのに、なぜか人の変化に触れたときに感じるような寂しさも感じます。

まあでも根本は変わってなくて、斜めで拗らせた人間なままで。

だから、自分に対しては「根っこは変わってないから大丈夫。興味のあるものも10年前から変わってない。誇示できる部分も斜めで厄介なところも変わってない」って強く言い聞かせて、ネガティブな意味で「変わったよね」って言ってくる人に対しては声を大にして言いたいです、「マジで私は変わってねーぞ、呆れるくらいに、子どものまま」だと。

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