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湧き水から考える仕事論

3日に1回くらいのペースで近所に水を汲みに行く。

長野が豊かだなぁと感じるのは、街のいたるところに水が湧いていること。

スーパーで飲料水を買うことがなくなった。

私が行く松本の源智の井戸は、ペットボトルをたくさん抱えた地元の人から、

近くを散策する観光客でいつも賑わっている。

長野に住み始めてからすっかり湧き水マニアになり、給水スポットがあるとついつい足が向いてしまう。

安曇野の満願寺の水が本当に美味しくて(水にちゃんと味がある!)、

満願寺超えの水にはまだ出会っていないけれど、松本の源智の井戸もクセがなくて美味しい。


給水口に空のペットボトルを近付け、中に少しずつ水がたまっていくのをなんとなく見ている時間が好きだ。

支えている手の表面をさらさらと流れていく水が気持ちがいい。

蛇口から出てくる水を使っているとあまり感じないけれど、

自分の足で水を汲んでいると、人間は水に生かされてるんだなぁと改めて実感する。

我が家は2人暮らしだけれど、お茶を沸かしたり、ご飯を炊いたり、お味噌汁を作ったり。

そんな日常の光景の中で、1.5リットルのペットボトルはあっという間に空っぽになっていく。

地中深くからこんこんと湧き出た水が身体の中を流れているんだなぁと思うと、住んでいる土地と繋がっている感覚になる。

人間にも動物にも植物にもそれぞれ意識があるように、風や海や山にも意識があり、「地球」という惑星それ自体にも意識があるという。

地球を一つの個体として認識すると、なんてふところの広い存在なのだろうと感じる。

自分の身体の一部である大地も、降り注ぐ太陽の光も、湧き出る水も、地球に住む生き物みんなに等しく分け与えてくれる。

そんな地球の恵みを分けてもらい、きっと最初にペットボトルでお水を売ろうと思った人は、「この美味しい湧き水を遠くの人にも届けたい。」って思ったから仕事にしたんだろうし、

電気屋さんを始めた人は、「太陽が沈んでからもみんなが不自由なく生活できたらいい。」と思ったのかもしれない。

私たちがやっている仕事は、直接的であれ間接的であれ、地球のふところの広さの上に成り立っているのではないだろうか。

私たちはサービスに対しお金を払う。そしてサービスを受け取った時に自然と「ありがとう」と口にする。

それはサービスを提供してくれた人への「ありがとう」でもあり、私たちを生かしてくれている地球への「ありがとう」なのかもしれない。

「ありがとう」に対してお金を払い、「ありがとう」をお金で受け取る。

お金は「ありがとう」の交換って考えられたら、自分が提供できる「ありがとう」ってなんだろうってあらためて考える。

そんなことを考えながら淹れるお茶は、いつも以上に美味しい。

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Photo @ Azumino Nagano

夏の常念岳。水音と緑と青空に溶け込む。夏に登りたくなる山。常念小屋まであともうひとがんばりってところで飲む湧き水がとても美味しい。

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