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闇の中にある光

個人的な感覚だけど、「心の深さ」には層がある気がしている。

たとえばそれをざっくり5段階に分けるとしたら

1,2 が、日常で使っている浅い層
3 が、夢と現実の中間にあるような曖昧な層
4 が、普段は気が付かないやや深い層
5 が、心の一番奥にしまってある深い層

(専門的には前者を顕在意識、後者を潜在意識と呼ぶらしい。)

最近身の回りが落ち着いてきた。
だからなのか、今まで思い出さなかった(思い出さないようにしていた)出来事がたくさん思い出される。

日常が穏やかな湖畔のようになった分、意識が少しずつ、深いところに降りていっている。

先程の数字でいうと、4.5辺りまで潜っている感じ。今までの最深記録だ。

怖い。

本当は、潜りたくない。

心の一番奥の扉を開けてしまうと、出口のない闇に引きずり込まれるような気がして、見ないようにしてきた。

いや、正確に言うと、今まではダークサイドに落ちることをあえて楽しんでいた。

暗い映画や悲しい音楽に浸って、根暗仲間とうじうじしてみたり(笑)

でも、本当に向き合うべき場所までは行かずに、暗闇の一歩手前をウロウロしていた。

5 まで行くのは怖いから、3.5 くらいのとことをウロウロして、ただ暗い気持ちを楽しんでいた。

正直、暗闇の一歩手前を彷徨っている方がラクだ。

根本の原因に対峙しなくていいし、
悲劇のヒロインに酔っていれば、人や環境のせいにできる。

「私はこんなに頑張ってるのに報われない!」とか、「ぜんぶ親のせい!」とか。

でも、わたしはダースベイダーにはならないって決めた。

本当は誰のせいでもない、って心のどこかではいつも気付いていたから。

自分の現実は、これまでもこれからも、
いつでも自分が作り出してるって分かったから。

それならば自分で作り出した闇にも向き合うことにする。

だからいま、深い闇の扉が開いているのは、そこと向き合う勇気がわたしの中に湧いてきたからなんだと思っている。

安曇野で知り合った方が、
「トラウマに気づいた時点で、そのトラウマは8割は消えているんだよ」って教えてくれた。

「潜在意識の奥深くにあるトラウマが、顕在意識まで浮かび上がってきたならしめたもの。
それに気付いたら、あとは時間をかけてじっくり向き合って癒やしてあげてね」と。

その一言に勇気をもらい、最近はもっぱら深層(心層)ダイビングの日々だ。

ボーっとして一日が過ぎていたり、お腹が痛くなったり、ご飯を食べるのを忘れたり。
なんだかずっと頭が重くて痛かったりもする。

それでも、なんとなくだけど、世界の色が変わってきた。

過去の出来事を、今までと全然違った視点で見ているわたしがいる。

ずいぶんと、自分を責めていたんだなぁ。

もうちょっと、わたしはわたしに優しくても良いんじゃない?

そんなふうに思えるだけで、過去が少しずつ、塗り替わっていく。

光と闇には実はそんなに違いはなくて、
それはいつも背中合わせなのかもしれない。

夏には日陰の涼しさに、冬には日向の温かさに救われる。

闇があるから、光がある。

闇を怖れているのは過去の自分であって、
ちょっと勇気を出してもう一度、
別の角度から振り返ってみると、
そこにはちゃんと光も存在するってことがわかってきた。


いま、これを河原で座って書いているのだけど、
ちょうど書き終わって空を見上げたら、
カールじいさんのお家みたいに、
青空にたくさん風船が飛んでいくところだった。

それでいいんだよって言われた気がして、
なんだか、泣いてしまった。

行きつ戻りつ、ゆっくり焦らず
闇と向き合い、光を見たい。

世界はもっと、深くなるはずだから。

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Photo @八ヶ岳 Yamanashi 名前の響きが好きな場所はだいたい気持ちの良いところ。長野で山は見慣れているけど、富士山が綺麗に見渡せるのが新鮮だった。

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