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『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図 全14部』佐喜眞美術館館長・佐喜眞道夫さんトークレポート

こんばんは。田端の小さな映画館、シネマ・チュプキ・タバタです。
先日、沖縄県・宜野湾市にある佐喜眞美術館へ行ってきました。

「原爆の図」「南京大虐殺」「アウシュビッツ」と戦後一貫して戦争の地獄図絵を描いてきた丸木位里、俊夫妻が最晩年、沖縄戦に六年かけて取り組んだのが「沖縄戦の図」。
その作品を伝えていく為、米軍基地から先祖の土地の一部を取戻し、建てられたのが佐喜眞美術館(さきまびじゅつかん)です。

現在2年ぶりに14部全作品が展示されています。
映画の音声ガイドを制作するにあたり、何度も繰り返し画面で見ていた絵も、
間近で観る1枚1枚に圧倒され、感じた事、気づいた事をメモしていると5時間経ってました。絵は沢山の言葉を発し、春に訪ねた時とは違う気づきもありました。

その間、ひとりでじっと絵を見つめる方、親子で来られた方、
ノートを手に、子ども同士で訪ねてくる方もいらっしゃり、様子をみて佐喜眞館長や学芸員の方が描かれている背景についてお話しされていました。

14枚にわたる『沖縄戦の図』。
丸木夫妻は沖縄戦に関して沢山の資料を読み、沖縄にアトリエを構えて体験者の証言を聞き、絵を描き上げました。
その作品全てを紹介することで、沖縄戦のこと、そして画家の思考の軌跡が明らかになってゆく、それが今回の映画になります。

”戦争を止めたい”という 河邑厚徳 監督の思い。
"アートで平和をつくる"佐喜眞館長。
丸木夫妻が残した大作・沖縄戦の図が今の私たちへ問いかけるものー


8月7日(月)〜31日(木)まで上映


『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図 全14部』
佐喜眞美術館館長・佐喜眞道夫さんトークレポート

8月13日(日)上映後、沖縄と劇場をZOOMで繋ぎ、
美術館館長 佐喜眞道夫 さんにリモートでご登壇頂きました。
映画をご覧になった方も、これからの方もぜひ最後までお読みいただけたら嬉しいです。

トークの様子。スクリーンにズーム画面を映しています。満席のご来場でした。

●映画へのきっかけ

以下 佐喜眞館長)
2021年、沖縄戦の図についてNHKの日曜美術館で沖縄戦の図が取り上げられました。その番組制作されていたのが河邑厚徳監督でした。
番組の後、映画を作らせてくださいと。
「今日本は戦争に近づいている、非常に危ない。戦争を止めたいんだ」とおっしゃって、私も同じ思いで30年やってきて、丸木さんの思いもそうです。
その思いを伝える映画を作りたいとおっしゃるので、断る理由がありません。
ぜひ作ってくださいとお返事しました。

2021年6月放送 日曜美術館
「丸木位里・俊『沖縄戦の図』 戦争を描いてここまで来た・佐喜眞美術館」
https://www.nhk.jp/p/nichibi/ts/3PGYQN55NP/episode/te/8Z1W138W4N/



美術館外観。「全て」を表す12本の柱が横に並んでいます。沖縄の強い日差しに照らされ、建物は白く、木々や庭の草原は鮮やかな緑に浮かびあがっています。

●美術館開館まで10年

東京で学生生活を送る中で沖縄戦を語ると距離ができてしまい、最後に必ず言われるのが、戦争で日本全国が焼け野原になった、沖縄だけが辛いめにあった訳ではないということだった。
しかしそうじゃない。
日本本土が体験した空襲と、沖縄戦の地上戦は全く違うんだと、当時それを説明するだけの知識がなく、悔しい思いを十何年していました。

ある日、世界的な画家である丸木先生が、沖縄戦の図に取り組んでいるという小さな新聞記事を読み、爆発的な喜びが起こりました。

ひょんなことから親しいお付き合いがはじまり、
原爆の図は広島へ、
沖縄戦の図は沖縄へ持って行きたいと丸木夫妻は願われた。現場におきたいと。
しかし自治体はどこも手を上げませんでした。

沖縄の私たちの思いの深いところが表現される絵ですから、絵が沖縄に帰るということは沖縄戦を体験した人たちにとって非常に根太いバックボーンが出来上がると思いました。

あちこち電話したのだが、県も市も反応がなく、
それで私がやりましょうと手を上げ、10年かけて美術館をつくりました。

※開館までの経緯については、佐喜眞さんの書籍で詳しく語られています。
「アートで平和をつくる 沖縄・佐喜眞美術館の軌跡」
https://www.iwanami.co.jp/book/b254441.html


●原爆の図を世界へ、そして沖縄戦の図へ


丸木夫妻は広島で原爆の惨劇を見ました。
原爆という問題は世界を、人類を滅ぼしてしまうかもしれない。
今ウクライナは危機的な状況ですけれども、
核戦争が起こってしまったら、地球全体滅んでしまう。
核の時代に入ってしまったことを世界中に伝えなければならないと、
7m×180cm 大きな絵を15枚描かれました。
核時代にあって、戦争がおき核が落ちると人間社会がどうなるか、克明に描いたのです。

世界中の人が見たい見たいと要望あって、世界を巡回しました。
1950-70年代のことです。
核時代のことを考えたいという人は大変喜び、感謝した。

しかし一方で、日本人がどの面下げてこんな絵を見せにきたんだと、
中国に行くと「南京大虐殺をどう考えるのか」と、
アメリカでは「私の子供はパールハーバーで日本軍に殺されたんだ」と、
オーストラリアでは「チャンギ捕虜収容所で日本軍が大変な虐殺をしたらしい。
その出来事を描いてきてほしい」とか。
ものすごい反論が起きるんですね。
賛否両論の渦を回って、世界中を巡回しました。

当然核の問題をストレートに伝えたいと思って描いた丸木夫妻としては、
これをどう考えたら、どう表現したら伝わっていくのだろうかと考えざるえませんね。

考えて考えて、やっぱり日本軍の日本側の加害も問題を描かなくちゃいかん、
そして加害を起こしてしまう日本の文化、日本人のメンタリティの問題を考えていかなければならない。
丸木先生の問題意識はどんどん広く、深くなっていってそうして30年間経過したあと、最後にぶつかったのが沖縄戦の図なんですね。

沖縄戦は加害と被害、両方の問題が含まれています。

日本軍によって虐殺されたという訴権もあります。
しかし沖縄の青年が日本軍と一緒にアジアを侵略したとういう加害の事実もあります。
そういう両方の側面が深々と入っているのが沖縄戦なんですね。

世界中を回って戦争の問題を考え、人間の闇を考え、
戦争をどう表現したらいいのかと考えた末にぶつかったのが沖縄戦ですから、
表現者としては非常に挑戦しがいがあるテーマだったろうと思います。


首里のアトリエで、庭いっぱいに紙を広げ、大きな筆を持つ俊さんと位里さんのモノクロ写真。俊さんが描く人物に、位里さんが墨や色を落としていく共同制作。

●みんなで描いた絵


お二人とも非常に張り切って描いているんです。
沖縄にくると、地上戦を体験した、この世の地獄を集めてもこんなにひどくないだろうと、そこを生還したひとたちですね。
あの世界的な画家が、自分達の絵を描いてくれるということで、村人たちがみんなが集まってですね、「先生先生、私こういう体験しましたよと」いいながらモデルになる。
非常に多くの人が協力し、支えられて制作しました。

みんなの前で描くという描き方。
おふたりとも非常に楽しかったと思います。
お二人はそういう人です。
みんなが集まってわいわい、自分達を支えてくれるということがですね。
先生これ飲んでくれ、食べてくれとお酒もってきますよ。
厳しい絵ですけれど、みんなで交流を楽しみながら、みんなの力がそこに集まって描いた絵なんですね。

ですから丸木先生はあの絵は「みんなで描いた絵です」とおっしゃるんですよ。
沖縄にこの絵が戻ってきたとき、たくさんの人が美術館を訪ねてきました。
絵を指さして、私はこのモデルになりましたと話しをしながら、
丸木先生に何を話したのか、託したのかということをじっくり話してくださる。

その思い出というのは非常に、その人の人生にとって貴重な体験だったと、
喜びのものとして聴きましたね。
みなさんがこれは私たちの絵だと思っておられる。
丸木さんはこの絵はみんなでかいた絵だとおっしゃる。

そのことをどういう風に表現したらいいだろうかと考えましてね。
この映画の最初の場面で、歌手の新垣成世さんの後ろに写真がありましたでしょう。

あの写真は沖縄戦で証言しているおじいちゃん、おばあちゃんの写真なんですね。

みんなで戦争を記録する、
みんなで語り継ぐ、
ということが社会にとって重要なテーマなんだということを、証言を聞きながら非常に深く考えて、丸木さんに大変感謝している気持ちが湧いてきましたね。


ズームの画面に映る、佐喜真館長の画像。穏やかな口調の中に、沖縄戦のことを伝えたい、絶対に戦争はなくさなければならないという強い意志が込められ、真摯なお人柄とお話に、会場のお客様も食い入るように聞き入っていました。

●こどもたちにどう伝えるか

お客様より)東松山市で観光ガイドをし、丸木美術館の中のガイドもさせていただいてます。その時いつも私が使う言葉が、位里さんのお母さん、スマさんの、「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」と。

この言葉を使って、人間の犯す過ちというところに視点を置いて説明してるんです。
丸木美術館も中学生、高校生が団体で来ることがあります。
佐喜眞美術館では小学、中学、高校生のみなさんにはどういう説明をしていますか。
小学生だと怖いと言って見たくないという子もいるんです。
この絵を子供たちにどういう風に教えるか、何をつかんでもらいたいか教ええてほしいです。

佐喜眞館長)私もどのように表現したら伝わるかと考えました。
色んな平和資料館をみて考えましたけれども、高校生に対しては社会的な意味もちゃんと語ろうと。
戦争ですから、相手の国がありますよね。
アジアの青年とも話せる日本の若者たちそういう認識を持たせないといかんということで、社会的なこと、歴史的なことをちゃんと語るということを心がけて説明しています。
幸いなことに、丸木先生はそのことをはっきり書いているので説明しやすいです。

小さいこどもたちには、どういう思いでこの画家が描いたのか、
どういう思いで人々が証言したのかということですが、
それは端的にいいますと、こういう戦争を二度と起こしてくれるなと。
自分の子とか孫が巻き込まれるのは絶対許さないという視点でこの絵は描いてあるんですね。

沖縄戦は非常に悲惨な戦争ですけれども、
描いてあるのは女性とこどもとお年寄りたちです。
つまり命の立場から戦争を描くわけですね。
戦争を決定した政治家は描きません。
戦争を遂行した軍人も描きません。
人々の願いと言いますか、それが伝わるように子供たちには話しをしたいと思っております。

それから丸木さんは、さっきおっしゃったスマさんの
「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」という言葉をとても大事にしていましたけれども、戦争を起こす人間の深い闇についてしっかり考えてた方です。

自分の問題として戦争を考えたわけですよね。
戦争は権力者がやるが、戦争というものを止めることができなければ、
国民もろとも地獄に入ってしまうという厳しい認識を持っていました。

沖縄戦の図の後の絵「地獄」には、戦争を止めることができなかった自分も描き、
原爆の図から沖縄戦まで、本当に戦争を自分事として描かれてきたのだと思います。
そういうことが伝わるといいなと思って語っております。


●最後に

戦争というものを具体的に知るのに、絵画というのはとても有効的だと思います。
巨大な絵ですから、戦争の現場にいるような錯覚を持つんですね。
今の基地のような問題を考えていく。
絶対、二度と地上戦を許さないという気持ちですよ、沖縄の人たちは。
そういうことをみなさん絵の前で考えて、感じ取ってほしいなと思いますね。


トークはここまでとなります。
沖縄へ行かれた際はぜひ美術館で原画をご覧ください。
絵が語りかけてくるメッセージ、そして歴史を受け止め、想像し、じっくりと向き合う時間をもつことができるのは絵だからこそ、芸術の力を感じた旅でした。

シネマ・チュプキ・タバタ
宮城

美術館屋上の写真。真っ白な壁に、うちっぱなしのコンクリート階段がまっすぐにのびています。6月23日沖縄慰霊の日をあらわす、6段、23段の階段をゆっくり一歩一歩あがるごとに、絵を思いだし、当時のことを想像し、丸木夫妻が絵に込めた言葉を思い、外と明るい太陽にほっとしたり、、、様々なことが頭と心をめぐります。

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◆佐喜眞美術館
2024年1月29日(月)まで《沖縄戦の図》全14部 展を開催しています。

◆映画『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図 全14部』
シネマ・チュプキ・タバタでの上映は8月31日までとなります。
当館ではバリアフリー日本語字幕、イヤホン音声ガイドがつきます。

今後の上映については映画の公式サイトからご確認いただけます。

◆写真展「本橋成一とロベール・ドアノー 交差する物語」
東京都写真美術館では本橋成一さんとフランスの写真家 ロベール・ドアノーさんの写真展が開催されています。
本橋さんは映画にも出演され、丸木夫妻の沖縄での制作風景を写真で記録し続けてきました。(*本写真展では丸木夫妻を写した写真の展示はございません)

「本橋成一とロベール・ドアノー 交差する物語」
~日本とフランス、人々の小さな幸せをとらえた 2人の写真家のまなざしの軌跡~会  場:東京都写真美術館
開催期間:2023年6月16日(金)~9月24日(日)
休 館 日:毎週月曜日(月曜日が祝休日の場合は開館し、翌平日休館)
詳しくは https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4534.html


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