こいけけいこ

大学で映画の勉強をしながら、学習塾の講師という二足の草鞋をはいて暮していたら、ゲームオ…

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大学で映画の勉強をしながら、学習塾の講師という二足の草鞋をはいて暮していたら、ゲームオタクのフランス人と結婚。ゆっくり好きなことを書いていきます。

マガジン

  • 塾の先生による映画史

    見ていなくても、知らなくてもわかる映画史です。

  • 色褪せることのない面白さ、ハリウッドの名作たち

  • 難解じゃない知られざるフランス映画

  • 無表情イケメン俳優バスター・キートンの愉快な映画たち

最近の記事

鉄道と映画

初期の映画で有名なエピソードがある。リュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1895)の上映の際、列車が自分の方に向かってくるのを見た観客が、驚いて逃げ出したというものだ。 こういう逸話って、大げさに繰り返されて、尾ひれがついているだろうから本当かどうかは怪しいが、映画と鉄道の相性のよさを語るにはちょうどいいエピソードだと思う。 19世紀の半ばから各国でどんどん建設が進められた鉄道は、少し遅れて始まった印象派の絵画のモチーフにもなっている。1877年にモネが描い

    • 映画が第七藝術になる時代(2):初の女性監督とゴーモン社

      映画業界は今なお男性社会の色が濃く、女性監督の少なさに関しては、たびたびメディアでも取り上げられています。 しかし、意外にも20世紀を迎える前に女性監督第一号は登場しているのです。フランスのアリス・ギイという監督です。彼女は、1895年に創立したゴーモン社の秘書でした。 ゴーモン社は、自社開発したカメラの販売で資産を築き、風景映像を中心とした実写映画を製作していました。しかし、世の中の需要が高まった結果、劇映画の製作に乗り出しました。その時、この新事業の担い手として抜擢さ

      • 『新しい街 ヴィル・ヌーヴ』:悩む中年男性の静かに激しいアニメーション

        たまたま、Noteでこのアニメが日本で公開されるということを知り、趣旨は違いますが、簡単なレビューを載せておきます。 とある中年男性が海辺にぽつんと立つ小さな掘っ立て小屋を借りるところから物語は始まります。どうやら、彼は昔ここに家族で住んでいて、過去の過ちと向き合うために幸せの象徴だったこの場所にこっそり戻ってきたようなのです。ちょうどその頃、ケベックではカナダからの独立の気運が再燃しており、どこもかしこも独立の住民投票の話題で盛り上がっています。 元妻は男性を許してくれ

        • サイコロ城の秘密(マン・レイ 1929)

          マン・レイというと、女性の後ろ姿をバイオリンに見立てた写真やメトロノームの先っぽに目をつけた作品などが有名なアーティストです。ダダイズムやシューレアリズムという文脈で語られることが多いですが、実は、映画も監督していたんです。 『サイコロ城の謎』という20分弱の無声映画です。 この映画、つっこみどころがたくさんあります。 1つ目はカメラの動きです。肩にかつげるようなハンディカムが登場する何十年も前に、この映画のカメラは、あっちにもこっちにも、時にはくるっと一回転、際限なく

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        • 塾の先生による映画史
          9本
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          4本
        • 難解じゃない知られざるフランス映画
          2本
        • 無表情イケメン俳優バスター・キートンの愉快な映画たち
          2本

        記事

          映画が第七芸術になる時代(1)余談:世界初に疑問符

          映画のスタジオはメリエスのが最初という話を書きましたが、これもまた簡単にひっくり返すことの出来る話なんです。 そもそも初期の映画フィルムは撮影にかなりの光量が必要でした。なので、撮影には基本は強力な照明が欠かせませんでした。従来の劇場でも照明はありますが、撮影には貧弱すぎる上に、太陽光という無料の光源を利用出来ないので、新たに映画撮影用の空間が求められたのです。 スタジオの条件は3つ。撮影機材の配置が制限されにくく、最大限に採光が可能で、外部から影響を受けにくい閉じた空間

          映画が第七芸術になる時代(1)余談:世界初に疑問符

          映画が第七芸術になる時代(1):奇術師の編集トリック

          第2章はフランスのお話です。 映画といえばハリウッドという印象が強いですが、初期はヨーロッパ、特にフランス映画が世界的に人気を博していました。 さすが芸術の都パリ! といいたいところですが、登場した当初は映画の地位は低く、縁日やサーカスの見世物にしかすぎなかったのです。奇術師メリエスが目をつけたのも、このような文脈からすると納得いきますね。 前にも登場したメリエスですが、色々と発明した重要人物なので、この章もメリエスからスタートです。 メリエスは、1897年にアトリ

          映画が第七芸術になる時代(1):奇術師の編集トリック

          映画の起源(6):エジソンから遠く離れて

          前回お話したように、誰かが映画を撮影するたびに、特許のおかげでエジソンにお金が入りました。そんななか、作り手の数が急増。なかには彼の手をすり抜ける映画製作者たちが出てきました。 1900年、エジソンの映画会社はアメリカで最も権力もお金もある会社でした。ライバルはエジソンの元助手のウィリアム=ケネディ・ディクソンが経営するバイオグラフ。(余談ですが、現在では35㎜のフィルムは、エジソンではなく、アシスタントだったディクソンが発明だったといわれています)創立は1895年です。

          映画の起源(6):エジソンから遠く離れて

          ヒズ・ガール・フライデー

          80年前からすでにバリキャリ女子は結婚から遠かった(笑) ウーマンリブなんて言葉が誕生していなかった1940年に作られた、『赤ちゃん教育』に続く、ハワード・ホークスのスクリューボール・コメディです。主演も同じくキャサリン・ヘップバーンとケイリー・グラント。 映画は、キャサリン・ヘップバーンが旦那を連れて、自分の働いていたNYの新聞社へ、寿退社の挨拶しにいくところから始まります。「10分で戻るから」と旦那に言いながら、忙しく人々が動き回るオフィスの奥へ慣れた足取りで進んで入

          ヒズ・ガール・フライデー

          映画の起源(5):エジソンの悪知恵と嫉妬

          エジソンと映画の2回目です。前回は、エジソンが撮影所で映画を作っていたという話でした。 この発明王は意外とビジネスマンでして、、スタジオで様々な映画を製作する一方で、ワンコイン(25セント)を入れればのぞき穴から映像が見れる箱型マシーンを作り、1894年4月14日にニューヨークのブロードウェー1115番地に設置しました。このキネトスコープ館はたちまち大反響を呼びました。 そして満を持して、キネトスコープを持ったエジソンは当時ヨーロッパの中心都市パリに降り立ったのです。18

          映画の起源(5):エジソンの悪知恵と嫉妬

          映画の起源(4):発明王エジソン、映画も発明する?!

          さて、いままではフランスを中心とした映画史を見てきました。 しかし、実は同じ年代に、アメリカで同じように映画がある人物の手によって発明されていました。発明王エジソンです。彼は、電池、電球や蓄音機などの数々の発明で知られていますが、実は映画にもかなり力をいれていました。 リュミエール兄弟が使用したフィルムを発明したのはエジソンでした。実は、1894年にエジソンの発明したキネトコープの体験が、彼らのシネマトグラフィ発明のきっかけとなったのです。 「はくしょん!」 1893

          映画の起源(4):発明王エジソン、映画も発明する?!

          映画の起源(3):奇術師と映画の出会い

          1895年12月28日のリュミエール兄弟の上映会の観客のなかに、ひとりの若い奇術師がいました。ジョルジュ・メリエスです。彼は34歳という若さで、自分の劇場をもち、機械なども導入したショーで人気を博していました。上映の後、彼はリュミエール兄弟に映画の装置を購入したいと頼みましたが、断られてしまいます。 しかし、機械いじりに長けていたメリエスは、独自に同じような装置を作り出し、翌年の4月には自身の劇場で上映を始めました。また、翌月の5月には、実家の庭で撮影も手掛けるようになった

          映画の起源(3):奇術師と映画の出会い

          映画の起源(2):映画の誕生に異議あり!

          前回は、リュミエール兄弟の1回目の上映会がパリで行われた1895年の12月28日が映画の誕生日とされているという話をしました。 しかし、この誕生日の定義には怪しいものがあります。どうしてでしょうか?4択から選んで下さい。 1. これがリュミエール兄弟の実施した初上映会ではなかったから。 2.「シネマトグラフ」は別の誰かによって発明されていたから。 3.初の動く写真の上映でなかったから。

          映画の起源(2):映画の誕生に異議あり!

          映画の起源(1):史上初の映画上映会にまつわる色々

          今回から、不定期で映画史を書いていこうと思います。 私が映画に興味を持ち始めたころ、映画史を勉強しようと思って、挫折した経験が何回もあります。あまりにも知らない固有名詞が多い上に、やたら小難しく書いてあって、まったくイメージがつかなかったからです。今回はフランスの中高生向けに書かれた映画史の本を基に、映画に馴染みのない人でも楽しんで読める映画史をつづれればと思います。 1895年12月パリで行われたリュミエール兄弟による上映会をもって、映画の誕生だとされています。19世紀

          映画の起源(1):史上初の映画上映会にまつわる色々

          赤ちゃん教育

          スクリューボール・コメディってジャンルを知っていますか? 野球に詳しくないから私はスクリューボールがなにかわかっていませんが、始めは犬猿の仲だった男女が、あれよあれよと色んなことに巻き込まれ、結局カップルになってしまうという、ラブコメの一種です。 今回紹介する赤ちゃん教育は1939年に賞とは縁のなかった巨匠ハワード・ホークス監督が取ったスクリューボール・コメディの代表作です。主演は、ケイリー・グラントとキャサリン・ヘップバーン。 この『赤ちゃん教育』っていう、意味不明な

          赤ちゃん教育

          キートンのマイホーム

          また愛しのバスター・キートン第二弾。1920年公開の『One Week』。1925年の日本公開時には『文化生活一週間』という邦題がついたようですが、ここは1975年版の邦題を採用します。 マザー・グースのポエムみたいに、月曜に結婚し、火曜に家を買い、といった具合に進みます。30分で短めで、サイレント映画です(キートンはチャップリン以上に無声映画にこだわっていた俳優なのです)。 IKEAの組立家具が一般的になっている現代ですが、1920年に組み立て一軒家です。どんだけ時代を

          キートンのマイホーム

          Jour de fête

          今回は1949年公開のジャック・タチの『Jour de fête』。原題は祝日ですが、邦題は『のんき大将脱線の巻』。昭和な臭いがプンプンするので、あえて原題のまま行きます。ここでの祝日は、1年間でフランス国土挙げて盛り上がる7月14日の革命記念日で、この日は老若男女がおめかしして村の広場に集まって、飲んで踊って盛り上がるという日です。いまでは、おめかしこそしませんが、それぞれの市町村で花火を打ち上げ、屋台が立ち並び、ステージを建てて、一日中イベントが開催されます。そんな年に一