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大学進学を機に上京し16年間は川崎市民として、34歳の折地元に戻り今年で丸16年が経過します。
ニュースで都市開発により、様々一変していく現況を知るにつけ‘あの頃’をふと回顧します。
よく帰る場所がある幸せという言い方や感じ方を知るに、現在が比較的自分のリズムで計れている生活の形に収まっていると思うところはあります。

地方にあって、とかくテーマに上がる地方への移住。今時分の自分自身がそうした類いの一人でもあり、客観的に考えやすい位置にいるとして、私の眼から移住という現実性をちょっと考えてみたいと思います。

地方移住を人生の選択肢に入れる対象層とは概ね以下に当てはまる方々と推察します。
・郷里がある。
・大都市圏にいるこだわりがない。
・現在の職種が柔軟的。又は職種変更も厭わない。
・老後のセカンドライフ

もう一点挙げるならば、震災を避ける等のムーブメントに影響されることでの決心を理由にするパターンもあるかもしれません。

いずれにしても、移住するにあたり環境の変化に対応しなければならない点は共通事項です。
その意味では郷里といった馴染みの要素が多少、精神的緩和材料となる優位性はあります。

ただ、先ほど挙げた理由の諸々をクリア、または該当する事による一念発起を実行に移すには、やはりきっかけが必要な気がするのです。
その‘きっかけ’が訪れる人と訪れなかった人で人生の左右があるのかなと個人的に思います。

基本は合理性の基準をどこに置くかです。
便利を重視するか、精神性を重視するか。

都会はリアルに生きる上での人とモノと場所、機会の豊富さに長けて、競争原理がはたらきやすく経済に軸足があるので所得も地方に比べて高い、またはそこを考慮しないと日常生活への影響にも繋がる上でやや緊張感が抜けない部分も存在します。
地方は大雑把に例えれば、凡そその逆にあたると言えるかもしれません。時間の流れが都会に比べて若干ゆっくりしている風に感じるときもあります。そこがスローライフと言われる由縁なのでしょう。

そこで私自身をサンプルに16年間の東京時代と郷里に戻ってからの16年間の地方生活の違いとは何なのかを解析してみますと、自分が対峙していたものについての時間のかけ方…分かりにくい表現ですが、圧倒的に環境に対して時間を費やしていたのが東京時代。反対に自分に対して時間を費やしていたのがその後の16年間だったと感じるのです。

これは若い頃は自分に向き合う余裕はなく、ひたすら情報量含めた環境に従事させられていた事を意味し、郷里に戻ってからは自分に向き合い続く日々故の真の自我、自己の確立を促された気がします。
それだけ考える時間がもてる特長が地方生活の良さだと私は肯定的に考えます。

仕事や家族についてもいろいろ考えるべき移住の問題はありますが、結局はその人に‘きっかけ’が訪れたか訪れなかったかが私はまずは起点なのかなと考えるのです。

先日、YouTubeに私が住んでいた川崎市多摩区をただ散策しているだけのビデオ映像がアップされていて、思わず懐かしさに観入ってしまったのですが、16年の同じ時間の経過を、反省と成長という言葉だけで集約はできない、どちらかと言えば運命論みたく流れを感じ受け入れたことの方が近いのかなと。これはあくまでも私についてのケースなので、様々な状況から郷里に戻る選択に至った方も多いのだと思いますが、一口で移住と言っても様々なやり方も選択肢にある見方もあり、もしかするとより住居への指向性はニュートラルに捉えて良い時代なのかもしれません。言い換えると個人のバイタリティーが全ての上位にあり、都市と地方を結ぶ何かはそうした個人がクリエイトできる機会に感じるのです。

今回は時間経過の16年にちなんでみました。

『ここに、いる』
私のノスタルジーを詰め込みつつ、今に生きる地域の良さと在り様を描いた、セカンドライフ移住がテーマの短編映画です。
主演に伴大介さん、そして奥様役で高樹澪さん、若いお母さん役で角島美緒さん。素晴らしい演者方のおかげで行間溢れる映像美、人間ドラマを構築できました。



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