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三国志の英雄を実は語りたくて仕方がないという人は結構存在します。私もその一人ですが、取引先と道々移動中の世間話の中で、そう言えば的な展開から三国志の英雄論に展開するケースをこれまで3回以上はあったと記憶しています。

日本人は吉川英治の小説に始まり、横山光輝の漫画、極めつけはNHKの人形劇三国志、昨今ではジョン・ウー監督作品の映画『レッドクリフ』の大ヒットと感情移入しやすいアイテムとして、‘三国志と私’というテーマで人それぞれの思いを見出だせるポテンシャルが大いにあると考えます。

三国志と通念的に捉える原典は明の時代に羅貫中が講談として表した『三国志演義』です。講談の体裁上、フィクションや誇張したとされるパートが多いとされ、三国志の時代と比較的時代が近い西晋の時代に陳寿が記した『三国志正史』との比較を試みながら、人物象を推し量ることできれば、更に理解が深まる様に思います。

私自身は何と言っても‘諸葛亮孔明’この人物に惹かれることこの上なしなのです。
孔明について、演義での描かれ方は天才軍師としての側面がかなり強調されていますが、正史では深謀遠慮の強い現実主義者とされています。
私見、行間的な孔明人物象解釈はやや正史の方にリアルを感じるも、どちらかと言えば人間的な魅力に主眼があります。

その最たる例が初めての魏討伐出征時に主・劉禅に送った「出師の表」に見ることができます。何故魏を討伐しないといけないのかという理由の書状です。劉禅の父、劉備玄徳との約束を果たす為である点。孔明が国を治める者の心構えを表している点。孔明自身の全財産の申告をしている点。つまりこの戦いの為にこれまでの全てを懸けて臨む決意が見て取れる渾身の思いが記されています。
脱線しますが、私にとって読むたびに涙が出る文書の一つがこの「出師の表」です。

この「出師の表」から表された諸葛亮孔明の人物象から天才性の凄さはなく、自分に与えられた運命を受け入れ、そして自分が今日あるのは自分を見出だしてくれた存在への感謝とその恩に報いる為にどのように尽くしてきたか…謙虚に自分自身を解析している孔明を伺い知ることができるのです。後世の人たちに孔明がいつまでも愛されて止まない理由がこの「出師の表」にすべて注がれています。

アクションからの分かりやすさで人物を推し量るのではなく、証拠主義の観点から人物を捉えることがイメージとの乖離を縮める事が可能な唯一の方法だと思います。‘面白おかしく’というのは即時的には有効手段ではありますが、リアルとは違う視点です。歴史的事象には文書と口伝、そして解釈の相違からイメージ化されやすいが故に、作り手はもとより、読み手や見る側の教養の深さとセンスが重要だと感じます。

諸葛亮孔明については「出師の表」そして三国志の由来になった「天下三分の計」を画策した事実。この二点だけを見ても如何に人間的に優れた人物であったか想像がつきます。

孔明についてはまた別の観点からもお話ししたいと思います。

やはり孔明と言えば、人形劇三国志の川本喜八郎のこちらがイメージされるでしょう。
その原点は横山光輝ベースの具現化の説もありますが、それはともかく人生観に多大な影響を与えられた諸葛亮孔明の存在は欠かせません。

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