見出し画像

小学生のとき学校全体からハブられた話

noteで昔のことを書いていたら、小学生の頃の出来事を思い出した。いまから50年も前のことである。

私は田舎の小さい町で生まれ育った。自分で言うのも何だが、小さい頃から(その田舎町のコミュニティの中では)勉強が良くできた。そして親や先生のことをよく聞く良い子だった。

そのため、毎年、毎学期、学級委員をやらされていた。小学生の学級委員なんて、もちろん自分から手をあげて立候補するわけがない。ほぼ先生からのご指名である。おとなしく、まじめで、先生の言うことをよく聞く私は、先生から見ると都合の良い子だったのだろう。

そうして小学校高学年になると、学級委員の進化形、そう、児童会(いわゆる生徒会)委員になったのだ。

たぶん小学6年生の時だったと思う。私は児童会の「給食委員」という訳のわからない役職についていた。給食委員とは何ぞや。もちろん給食をつくるわけではなく、献立を考えるわけでもない。

「給食態度」

給食時間に、給食委員長である私と給食委員が分担して各教室を回り、いかに静かに整然と給食を食べているかどうかを審査するのだ。そして黒板に「給食態度3」などと審査結果を書き捨てて去っていく。評価は5段階。誰もおしゃべりをせずに静かに給食を食べていれば最高得点の5、騒がしいと点数が減っていくという訳だ。

今にして思えばアホくさいことこのうえないが、当時は毎日毎日真面目にやっていた(自分はいつ昼飯を食べていたんだ?)。もちろんこんなこと、小学生の浅知恵で発想できるはずもなく、これまで毎年やってきた活動を引き継いだだけなのだ。というか、給食委員とは給食態度を審査するためだけに存在した組織だったと言っても良い。もちろん最初は教師の発案で始まったのだろうが。

そして事件は起こった。

「給食は楽しく食べたい。なぜおしゃべりをしてはいけないのか。」という至極真っ当なことを誰かが言い出したのだ。そのムーブメントは瞬く間に学校中に広がり、給食態度審査制度への疑問、審査している給食委員、給食委員長である私への批判へとつながっていった。

想像してみて欲しい。学校に行くと廊下や階段に自分を批判する手書きのビラが何枚も貼ってあるのだ。全校集会の場で壇上に立たされてコメントさせられたこともある。10歳そこそこの小学生にとってこんなに恐ろしいことがあろうか。

しかもその間自分は一人だった。

もともと子供を使ってクラスを統治しようなどという小賢しい発想をしたのは教師のはずなのに、その制度に疑問の声があがったときに何一つ味方になってくれなかったのである。それどころか一部の教師はこの騒動を煽っていて、批判する側に回っていたのである。ビラを貼るなどという発想も教師の入れ知恵であろう。

教師間の内紛の代理戦争だったのか、学生運動を引きずった世間知らずの教師達の悪ノリだったのか。

とにかくひどくないですか?

今にして思えばメンタルがやられてもおかしくない状況だったが、幸いなことに心に傷を負うことはなかった。

どのように決着したのか覚えていないが、たぶん給食態度審査制度が廃止されたのだと思う。

ちなみに、小学校を卒業したその日から今に至るまで、教師たちとの交流は全くない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?