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暮らしや営みの中で零れ落ちそうなことを掬い上げたり、心や脳に浮かんだ閃きを忘れないよう書き留めたりする、思考や思想の直売所のようなものです。
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2023年3月の記事一覧

買い物と暮らしにまつわる、私の10の考え

この週末、"最近、何を買いましたか? ―自分らしいものの選び方、暮らしのつくり方" というお題目のイベントに出ることになった。小売やメーカーの代表の方々が集まるようなエキスポ内のトーク枠で、私はべつにその道の人間じゃないので少々恐れ多いなとも思ったけれど、「消費者目線で話してくださいね」ということなのでホイホイ登壇させていただくことにした。 消費者というのは、つまりシロウト側である。シロウトっていうのはなかなかに気楽なもので、内側の事情のことを慮らずに、あれが好き、これが嫌

「SNSで見せる」前提の文章は、無意識に調整されている

ちょうど2年前の今頃に『新潮』に載せてもらったエッセイがある。"「キラキラ」を拾い集めて形成した、薄い膜の内側で" という文章だ。 当時の私はひどく疲れ果てていて、心はネガティヴなもので埋め尽くされていた。そういうときに「お題自由」である原稿依頼の〆切があるのは辛いもので、適当な文章がなにも出てこない。とはいえ、心を埋め尽くす出来事の内容を仔細に綴る訳にもいかない。そこで、ぼんやりとしながらも、自己批判的な文章を書いて送った。

「自分の頭で考える」ではなく「他人の頭で考える」

「自分の頭で、じっくり考えてみてください」 哲学、という文字がタイトルに入った本を手にとったとき、そんなことが書かれていた。まずじっくり考える。つぎに、考えていることを言葉にする。そして、相手の考えていることを聞き……それが哲学のはじまりです、と。 えっそうなの? と疑問が湧いてくる。私もそれなりに自分の頭で色々なことを考えているし、それをこうやって文章にしたり、本にしたりもしている。じゃあそれはつまり、既に「哲学」がはじまっている、ということなのか? ほんなら、僅かであ

自分の弱さをちゃんと、知っておく

私が身体を癒す場所はだいたい銭湯である。 取材で歩き疲れて脚が子持ちししゃものようになっても、執筆で缶詰になりすぎて身体の血流という血流が通行止めになっても、熱い銭湯にダプンと浸かり、さらにジェットバスの水流に背面を打たせておけば、日常レベルの不調はそこそこマシになるのだ。 けれどもかの有名な交互浴、とやらは上手くできたためしがない。7年くらい前だったかな、「体調がずっと悪いんすよね……」とFacebookでボヤいていたら銭湯の神であるところのヨッピーさんに「交互浴がええ