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暮らしや営みの中で零れ落ちそうなことを掬い上げたり、心や脳に浮かんだ閃きを忘れないよう書き留めたりする、思考や思想の直売所のようなものです。
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#ここじゃない世界に行きたかった

「YouTuberってこんなに大変やったんかい」という話

好きなことで、生きていく。……ってあれもう8年も前の広告なのに、未だにYouTuberといえば「好きなことで生きていく人たちだよね」と想起させられる程には鮮烈なキャッチコピーだったよなぁ。 「生きていく」には生活が出来る、つまり「儲かりまっせ」というメッセージが多分に込められている訳で、「へぇ、儲かるんならやってみましょか」とその魔界の扉を開くフォロワーが雨後の筍のように増え、おおよその人が挫折したのである。古今東西、楽して成果を手にしたいという心理は常にくすぐられ続けてい

五感を磨くと、生きづらくなってしまうこともあるけれど

"ここ最近はなにかに迷ったとき、誰かに助言を求めるよりも、社会的に価値があるとされるほうへ進むよりも、まずは自分の五感が行きたいよと示すほうへ進んでみることにしている。すると感覚が先頭に立ち、物事を前に前にと進めてくれる。歩いていてなかなかしっくりくるし、何より自分が心地よいのだ。" ──と書いてから2年近くが経ち、私の五感もすくすくと成長したように思う。 五感を大切にしながら過ごしていると、次第に他人がリラックスしているか否か……というのもひと目でわかるようになってくる

本をはじめて出した私の反省点

「文藝春秋の山本と申します」 というタイトルのメールを受信した。2020年7月21日、アメリカ東部は夜の24時。その一文を見て「私、やらかしたか?」と我が身を省みたけれど、べつに心当たりはない。いや、人生にやましいことなんて山程あるが、私程度の人間のやましいことなんて、世の中的にはクソほどどうでもいい。 じゃあ、知り合いがなんかやらかしたのか? という下衆な好奇心に包まれてメールを開いてみたところ、そこにはただただ、私の記事への丁寧な感想が綴られていた。加えて最後に、「塩

歳の離れた友人に向けて。 #ここじゃない世界に行きたかった を紙の本にした理由。

世界がたった一つのことに強い関心を持ち始めてから、季節が一周し、そして二度目の春が来ようとしています。これまでは、興味の矛先なんててんでばらばらだったすべての人類が、まさか疫病というたった一つの厄介事に、頭を悩ませることになるなんて。 私たちの世代は、一方的に "ゆとり世代" と名付けられて「のんびりしている」と呆れられたと思えば、今度は "ミレニアル世代" と呼ばれて「新しい消費行動だ!」と持て囃されたりもしました。 無論「○○世代」という一方的な総称をすることは、あま

エラくなると見えなくなるもの

わたしの家族はわたしのことを「ふつう」だと言う。 ふつうの家庭から生まれ、ふつうの教育を受けた、ふつうの人間32歳。持て余すほどの財産に恵まれることもなければ、生きるのが困難なほどの苦労に直面したこともなく、小学校から高校までは最寄りの公立学校に通い、高校時代の通知表は全科目「3」。教師に「お前の成績表、普通すぎてつまらん!」と言われたほどだ。 「つまらないほど普通」だと言われた私は「つまる」人間になりたくて芸術大学に進学したのだけれども、その中でやっぱり私は「ふつう」だ

本が出ました、が……。お詫びと、ささやかなプレゼント