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心地よくいることを諦めない、出来る範囲で構わないから

ここしばらく、家のことを書いていない。

というのも、ひとり暮らし想定の家にふたりで暮らすようになったので、物が溢れて混沌としてしまい、すっかり「暮らせればそれで合格」という状況になっていたのだ。恋人は物をあまり持たない人ではあるけれど、それでも服や靴は増えるし、さらには私ひとりでは判断がつかない書類や郵便も溜まっていく。そうやって未処理のものがある状況だと、心も途端に整理整頓してやろうという野心を失い、輪をかけてさまざまなものが散乱していくのである。

そもそも、東京には1,2年ほど住んで仕事の地盤を固め、その後は気に入った土地を見つけて引っ越そうかと思っていた。が、定職を持つ男と付き合ってしまったことで、その人生設計が揺らいでくる。しかし私は独立した大人の女。何度も2拠点生活に挑戦しようとスーモを見ながらさまざまなことを計算していたのだけれど、敷金礼金仲介費用に加えて、本や調味料や常備薬を二箇所で用意しておくコスト、そしてマットレスやデスクチェアなど快適な環境を準備するコスト……金がかかりすぎる。

私がまだ25歳くらいの頃、安野モヨコさんが「若い頃は突然友人の家に泊まりにいってもコンビニの化粧水で間に合ってたけど、歳を重ねるとそうもいかないでしょ」というような感じのことを仰っていて、正直そのときは(私はどこでも寝れます!)と思っていたのだけれど、今となっては完全に同意する。友人の下宿で雑魚寝していた芸祭期間、終電を逃して転がり込んだ友人宅でヨガマットで眠った夜、ブルックリンの糞尿溢れるワンニャンハウスでの掃除婦のような日々……あぁ、どれもこれも、若かったから出来たのだよな。

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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。