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年賀状を返せていない

年賀状を返せていない。

そんなことをnoteに書く暇があるんだったら、さっさと書いて投函すれば良いのだけれど、年賀状は一般的に松の内、つまり1月7日までに出すのがマナーらしい。時既に遅すぎ。

で、これまで何をしていたか……といえば、おそらく1月3日にどこかで拾ってきた喉風邪をこじらせて12日頃まで寝込みつつ、そこからなんとか復帰してからは、こぼした〆切たちの帳尻を合わせるために鬼の形相で雑誌原稿を書いていた。ということで、1月も半ばである。みなさま、明けましておめでとうございます。今年の調子はいかがでしょうか。お元気ですか。ぼちぼちですか。まぁ、それぞれですよね。


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子どもの頃は、年賀状を書くのが大好きだった。毎年干支にちなんだイラストを描き、オリジナルの年賀状をこしらえていた。

これはねずみ年。だが飼い猫「みや」が主役


会社員になってからは、会社のデザイナーさんが特殊印刷を駆使して作った洒落た年賀状があったので、公私混同しつつそれを送っていた気がする。当時の制作会社界隈では、「めちゃくちゃお洒落な年賀状を送って制作力やセンスをアピールする」みたいな文化がかなり色濃くあったのだよな。


その後会社をやめてフリーランスになった私はペーパーレス教の信者になり、さらに渡米して物理的に年賀状が届かない距離になったのをいいことに、年賀状文化から離脱していた。


しかし日本に戻り、さらには雑誌や書籍が仕事の多くを占める物書きになってしまったことで、一度は入信したペーパーレス教にも不義理が続き、同時に少しではあるものの、年賀状文化が戻ってきた。お世話になった編集さんや作家さんから、年賀状が届く。

正直なところ、年賀状が届くのはかなり嬉しい。日頃はDMや水道工事のステッカー、もしくは支払調書くらいしか投函されないポストにちゃんと人の手で書かれた葉書が入っていることがまず嬉しいし、仕事相手から年賀状が来るというのも、なんだか自分が大人として認められたような気がする。相手が自分を思い出してくれている、というのも有り難い。


ただ、こちらは年賀状を用意していないので、それに返事をする……となると、まず年賀状を作らなきゃいけない。なにか描くか……?と思っても、昔みたいにスラスラとイラストが描ける訳でもない。や、べつにイラストなんか描かなくてもいいんだけど、作家さんから届いた超絶ハイセンスな年賀状を前に、出来合いの年賀状を送るのは気が引ける。

……なんてことで悩んでいると、めったに動くことのない幼馴染のLINEグループに「住所わからんかったから、こっちで送るわ!明けましておめでとう!」という言葉と共に年賀状の画像が届く。そこにはすっかり父親の顔をしている幼馴染とその奥さん、そしてかわいい子どもが2人写っている。

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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。