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香りのない世界

他者の目で、身体で、この世界を生きることが出来たなら、それは一体どんな風になるのだろう……という小規模な、けれども到底無理筋な妄想を、物心付いた頃からなんとなく抱いていた。

私が見ている青と、あなたが見ている青は違う。私が感じている苦味と、あなたが感じている苦味もおおよそ異なる。目、舌、耳、鼻、肌……各所に敷き詰められた私たちの感覚は、みんな当たり前に少しずつ違う訳で、けれどもそれが「どれくらい、どう違うのか」というのは家族であってもわからない。

命って不便なもので、私たちは生まれ持った身体から離れられない。物語の世界では主人公2人の中身が入れ替わるのはありふれた話だけれども、あれがもし本当に起こってしまったならば、まずは「感じている世界の差」に驚き、しばらくは他者の人体という容れ物にひどく酔ってしまうのが現実的なところだろう。いや、そんな地味なことやってたら物語が前に進まないのだけど……。まぁ何にせよ、「他者の感覚でこの世界を生きてみる」というのは、私にとって1つの憧れでもあった。そして、それはもちろん叶わぬ夢……と思っていたのだけれど、ひょんなことから、小さく叶ってしまったのだ。



ついにというか、ようやく罹ってしまったコロナ疾患の一部なのだけれど、鼻が利かなくなった。犬のように利くと自負していた私の嗅覚が、一時はカレーの匂いすらわからなくなる程に低下したのだ。とはいえ完全に失われた訳でもなく、本来のそれを100とすると、1か2か……といった程度に。アロマオイルを鼻孔に密着させると僅かに香るな……? という感じ。


そうすると、まず食べる喜びが激減してしまう。幸い味覚は残っていたものの、その多くは鼻に抜けていく香りありきで成り立っていたらしく、味がひどく平坦なものになった。納豆はネバネバとした豆に、ガパオライスは辛いだけのそぼろ飯に成り下がり、まぁつまらんのである。

で、色々と対処法を調べ、耳鼻科で処方してもらった漢方と、亜鉛などのサプリを欠かさず摂取し、さらに毎日何度も香りの強いものを強制的に嗅いで感覚を刺激する……というプチリハビリを経て、今は20くらいまで回復しつつある。そして願わくば、レベル30くらいで止まれば良いのに……と思い始めているのが今だ。


というのも、私が持って生まれた嗅覚は異常であった。

誰も気にしないような僅かな臭いでも「耐え難い臭さ!」と認識してしまっていたので、毎日が悪臭との戦いなのだ。シーツやタオルの奥に僅かに生息している細菌の臭い。エアコンから漂う僅かなカビの臭い。それらを根こそぎ滅ぼすために布類を全て熱湯で洗ったり、徹底的に洗浄したり……。どうにもならない場合は、その場から退場したり。端から見れば神経質な人に映るかもしれないが、臭くて辛くて耐えられないのだから仕方ない。恋人の条件を聞かれたときに「体臭が限りなくない人!」と言って呆れられたりもしたけれど、それはどうしようもなく、死活問題なのだった。


無論、香りの出る柔軟剤やヘアワックスを愛用している人と過ごすのは辛かったし、香水、さらには煙草なんてもってのほか。広い部屋の一番端にひとり喫煙者がいるだけで耐えられず、その日身につけていたコートから靴からカバンに至るまで、全部洗浄しないとえずいてしまう。そこに消臭スプレーなんて振りかけてしまったらば、ヤニの臭いとケミカルな芳香剤が混ざってより最悪。臭くなったコート類は、クリーニング一択なのである。


そんな嗅覚過敏っぷりは行動にも影響を与えてしまう訳で、行ける店も少なくなるし、自ずと交友関係も狭くなる。臭いの嫌だな……というのがネックになって、好奇心よりも保身が勝ってしまうのだ。


──



そんな自分の嗅覚が、劇的に低下した。平均値がどれくらいかはわからないけど、今は「普通の人よりもそれなりに悪い」程度な気がする。そして驚いた。匂わない世界の、あまりのストレスの少なさに……。

十中八九臭かったエアコンはどこも無臭になり、人の体臭も気にならなくなり、ゴミの処理をするのも楽になった。三角コーナーにしばらく放置している生ゴミすら(この灼熱の時期だというのに)ちっとも匂わない。見た目には明らかに臭いのに。

さらに、親の仇か? という程に毛嫌いしていた香水の類を、「良い香り」と感じるようになってしまった。

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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。