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恐怖心や想像力は、未来からの助っ人


車のそばを歩くときには最悪のイメージが脳裏に浮かぶし、過ぎ去る特急電車をホームで見送るときにも歯を食いしばってしまう。飛行機が着陸する数分前からは、最期に家族に伝えるべきことは何だろうと、突然の走馬灯が始まる。

自然の中を歩くときだって、熊と対峙したときの私の腕っぷしの弱さを思うと、冒険心よりも恐怖が勝り、そそくさと公道を通って直帰する。

家の中にいたって安心できない。いたたまれないニュースを報じる文字列を目にしただけで、当事者でもないのに心が真っ暗になってしまう。映像なんて見た日には、それが毎晩脳裏に再生されては眠れなくなるのだ。


──こうしたやっかいな感情たちは、とても普通の反応だと思っていたのだけれども、どうやらそこまでマジョリティでもないらしい。

私はHSP*の性質が強くて、音や動くものに過敏に嫌悪感を抱いてしまうし、過剰なまでに他者への共感を示してしまう。

*Highly Sensitive Person


そんな性質をやっと自覚できたのは夫婦生活に入ってからで、生まれながらの家族とは違って、自己が確立されてから「家族」になった「他人」とは、自分と相手との差分があまりにも明白にわかりやすい。夫は怖がりながらもホラー映画を楽しんでいるが、私はその音すら聴こえてくるのが耐えられず、寝室の夫に向かって「AirPods!」と叫んでしまうのだ。


──


敏感すぎるという性質は、何か新しいことに挑もうというときに、とても都合が悪い。

頭では新しいことに挑むべきだと予定を立てているのに、身体は正直なもので、初手のSOSとして汗が噴き出し、次いで胃腸たちは我こそ先に!と白旗を上げ、極めつけには喉がキュウッと縮こまり、咳き込んでしまう。

そうしたSOSを無視して目の前の任務に励んでいると「これでもわからんか!」と言わんばかりに、全身にニキビや蕁麻疹が吹き出すのだ。


怖いもの知らずでどんどん新しい領域に飛び込んでいく人をみれば、あぁ私にあの役割は出来ないなぁと、低みの見物を繰り返していた。(もっとも、私も傍からみればそう見えているのかもしれないけど──)


──


しかしこの、過剰な恐怖心は、ときには大きな助っ人となる。

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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。