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書くことはセラピー


私は今でこそ、人前でもよく喋るようになりましたが、子どものころは、自信がなくて、滑舌も悪く、あんまりお喋り上手ではありませんでした。

だからこそ「書くこと」はちゃんと感情を吐き出し、思考を整えるための手段だったんですね。


小学校高学年〜中学生の頃の日記を見ると、それはもう、「よくもこんなに毎日吐き出す感情があったな!」 と感心してしまうくらい、悍ましいほどの感情に溢れかえっている。思春期ってすごい。

しかし、その日記をちゃんと読んでみると、書いている途中で感情がある程度発散されていて、中盤から徐々に論理的、建設的になり、そして最後には割とポジティブに終わっていたりするんです。


感情

理論

希望


……あれ、この構成どこかで見たことあるぞと思ったら、私が今も書く、多くの記事の構成と酷似しているという……(笑)。


私は昔からそうやって、「書くこと」を心を整える手段として、またキャリアプランや人生設計を考えるための、内省するための手段として続けていたようです。

つまり「情報を届けたいから」「表現したいから」「仕事だから」という以前に、自分の気持ちを落ち着けるために書いてきた……というのがベースにある感じ。これは、セラピーの一種なのかなぁ、と。


人にとってはその「自分にとってのセラピー」が「片付け」(exこんまり氏)だったり「なおすこと」だったり「土を耕すこと」だったりするんだと思います。

既出ですが、金継ぎなどをされている修復家の河井さんは「なおすこと」はセラピーだとおっしゃっています。

”学生時代、物作りに関わって作品に幾度となく助けられていた。今はなおす仕事に助けられているなあとつくづく感じている。
手を動かすこと、時間をかけることはいつだって色んな思考を与えてくれる。なおすことはセラピーじゃないか。”


(そう、このnoteのタイトルは彼女の記事のオマージュ…)


陸前高田で牡蠣の漁師をしている三浦さんは、朝の海(とプリプリの牡蠣)が本当に本当に好きで、これだけは飽きないと言っている。それもまたセラピーなのかもしれません。





「セラピー」の語源はギリシャ語の「治療」という意味で、英語圏では「薬や手術などを必要としない治療」といった意味で使います。


ですから本来は、仕事で疲れたり、生活に疲れたりしたときに、お話をしたり、音楽や香り、芸術などのセラピーを求める……という人が多かったかと思うのですが、最近はこの「自分にとってのセラピー」そのものを仕事にしてしまっている……という人が増えているようにも思います。



「贅沢」の意味が変わってきている



「贅沢」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべるでしょうか?
まずはちょっと、想像してみてください。










ちなみに、辞書では「贅沢」は以下のように定義付けられています。


1 必要な程度をこえて、物事に金銭や物などを使うこと。金銭や物などを惜しまないこと。また、そのさま。「贅沢を尽くす」「贅沢な暮らし」「布地を贅沢に使った服」「たまには贅沢したい」

2 限度や、ふさわしい程度をこえること。また、そのさま。「贅沢を言えばきりがない」「贅沢な望み」(デジタル大辞泉より)



いかがでしょう。ご自身のイメージと、辞書の内容は、近かったでしょうか?


私個人としては、自分の「贅沢」というニュアンスと、辞書の説明は、ピタッと一致しないような気もしてしまいました。



うーむ。贅沢とは一体、何なのでしょう。

かつては「ぜいたくは敵だ!」と言われたほどの言葉です。

国民精神総動員Wikipediaより

これは「欲しがりません勝つまでは」「日本人ならぜいたくは出来ない筈だ!」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」「石油の一滴、血の一滴」「全てを戦争へ」など、贅沢をすることを国民に止めていた戦時中の、キャッチコピーの中の1つです。しかし時代は変わっています。


高度経済成長があり、バブルがあり、不況があり……「贅沢」の意味は変わっているのではないか、と私は思います。

消費社会の果てにある現代の贅沢はもはや「潤沢なお買い物」とは違うんじゃないかなぁ……と。


佐渡島さんが以前「贅沢とは何か?」ということを自身のnoteで書かれていました。そこで、「贅沢」についてこのような解釈をされてるんですね。

平井千里馬さんは、「これぞ贅沢な人生!」と呼びたくなる楽しそうな生き方をしていて…(中略)お金を派手に使っているわけではない。でも、人生にとって大切な無駄なことにすごくエネルギーを使って生きている。


そして、エッセイ漫画家であるこやまこいこさんの作品も、とても贅沢なものだと書かれています。本当に日常の中にある、ささやかな発見を喜ぶ作品。



本日たまたま見かけたこのツイートも、まさに、「これぞ贅沢!」という印象を受けました。



現代の「贅沢」って、過剰な消費とは少し違う。「感性豊かに生きられるような心の余裕を少し持つ」ことなんじゃないかなぁ、と思うんです。




感性を豊かに、はたらくということ



これまで、セラピーとしての営みはあくまで、「オンとオフ」であれば「オフ」の時間に行われるようなものだったかもしれません。

ですが、オンとオフが限りなく溶け合う今の時代、自分にとってのセラピーを仕事にする……ということは、一種のあたらしい働き方として掲げられるものなんじゃないか、と思っています。


自分が癒やされ、他人も癒やされ、そして社会活動として営まれていく……。そんなまあるい循環が、世の中に巡り始めているような気がします。



残念ながら、日本はジェンダーギャップG7最下位という残念な数値を叩き出していることは有名です。


この数値の原因は、産後の職場復帰の制度が整っていないこと。そして、企業の役員や、国会議員に女性が圧倒的に少ないことは、本当に、本当に大きな課題です。


ですが、家にいること=経済社会からの絶縁、という時代でもありません。


小さな話に思えるかもしれませんが……私は、インスタグラムの #整理整頓 タグの生命力に驚かされることがあります。家の中を整えることにエネルギーを注ぎまくっている主婦の方のこだわりや、社会と接したい想い……たくさんの希望の片鱗がそこにあるからです。

 「正社員としてはたらく」「組織の中ではたらく」という形ではない、多様な、そしてエネルギーのあるはたらき方が、さまざまな場所で生まれています。



こちらは、私も9年ほど昔からの大ファンである松倉葵さんのアクセサリー。子育て中も、好きで作っていたという手作りのアクセサリーがブログやInstagramで話題になり、今は本当に人気作家さんです。


「育児をしながらのアクセサリー制作は本当に大変だけど、逆にアクセサリー作りに助けられることもありました」松倉さんは子育てに追われるお母さんたちでも、自分が夢中になれることがあれば、いろいろな可能性があるということを知ってもらいたいという。

http://sotsu-omise.kyoto-art.ac.jp/product/08/ より


私は最近もはや、新しいものをあまり買わないのですが、葵さんのアクセサリーはオーダーして、届くのを楽しみにしています。そのプロセス含めて尊敬しているし、そういった場所から生まれるモノを身に着けていると、気分が良いものです。


私には子どもがいないので、今はわからない世界なのですが……こうした希望ある働き方があること。そして、その背後には男性(パートナー)の理解やサポートが必須であること。


こうした働き方で活躍されている方のパートナーは、「うちの妻がすごいんだ!!」というスタンスである夫さんが多いなぁ……と思います。そういったご家庭を取材したいなぁ……。




今回はこのあたりで。

はぁ、今回もたくさん書いて、すっかり思考が整理され、そしてスッキリしました。私にとってはやっぱり、書くことがセラピーです。



しかし!

そうした「書くこと」も仕事となれば、癒やされるばかりではありません。

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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。