霧希

思ったことを素直に書くよう心掛けています

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最近の記事

日の詩集(2024.3.7)

 曇りの日、静かな小雨に、道濡れる朝、風のひかりが、雲の紫に、吹き抜けて、微かな朝日の、気配を残す。  心のひかり、空にとけ、ほのかにゆらぐ、雲の水へと、漂い浮かぶ。白い霧に、ひかりの陰影、わずかに青く、淡い水面に、心はひとり、口ずさむ。  彼方の空の、流れるひかりの、明るいこと。地平はるかに、ひらけた雲に、透けるひかりの、水のながれの、彩る色が、眺める眼を、染め上げる。  明るい雲の、白い息の、吹かれて漂う、日の思い。空の様子は、心の何かを、あらわすもの。景色みつめる

    • 偶然という雲

       偶然というのは、不思議なものだ。自然には法則があり、それは数学的に定まっていて、数式自体に、偶然が入り込む余地はない。たとえ数式が決定論的でなく、自然の確率を予測するものであっても、数式の定式化そのものが、ゆらぐことはない。数式は、自然における必然をあらわしており、自然のすべては、もし理想的な数式があれば、その数式に従っている。しかしそれでも、偶然がなくなることはない。では、偶然とは、いったい何なのだろうか。  ひとつには、偶然というのは、必然の定めることのできない、誤差

      • 鏡の不思議:ひとつの解決案

         鏡の問題をといた論考は、概してページ数が多い。鏡では、なぜ反転が起きるのか、なるべく簡潔に考えてみたい。ややこしい表現があるので、ゆっくりお読みになってほしい。  鏡が、床に置かれている場合を考えたい。鏡は、鏡に向かって、下に飛んでいく光を、反射させ、反射した光は、上へと飛んでいく。  上へと飛んでいく光は、下へと飛んでいった光に等しい。したがって、上へと飛んでいく光を見る(鏡を見下ろす)ときの光景は、下へと飛んでいく光を見る(床から天井を見上げる)ときの光景に、基本的

        • 風に流れる花

           景色うつろう、曇りの日に、忘れていた、春の兆しを、ふと目にする。まるい葉っぱの、マメ科の草の、茂るなか、皆で一緒に、誘い合わせて、小さな青い、花が咲く。  春先の、周期的な、寒い日にも、めげずに健気に、皆で咲く。冷たい風に、洗われた、花の色彩、鮮やかに、日差しをあびて、明るいひとみを、空へと向ける。  ふと忘れていた、雪のような、白い花も、つぼみふくらみ、咲いていく。雪原のひかり、花びらにひろげ、絹のように柔らかく、風にながれる。  花が咲くことに、理由はない。生をつ

        日の詩集(2024.3.7)

          風景にこころ晴れるとき

           景色がこころよいとき、不思議と心が晴れるように思う。こころの曇りがやわらいで、不安がおさまり、落ち着いた気持ちが生まれる。それは澄みきった空に吹かれる雲のひかりでも、柔らかい草のあいだに咲く花の彩りでも、感じることがある。美というのは、心癒すものがあるのだ。  アリストテレスは、「悲劇とは、哀れみや恐怖をつうじて、そのような感情の清め(カタルシス)を遂げる」と言っている。それは、創作された作品と、それを鑑賞する人が、こころ通わせるときに、鑑賞者のこころが清められる、という

          風景にこころ晴れるとき

          野花のひかり

           道端に咲く、小さな野花がうつくしい。雑草と言われ、ありふれていると思われる花が多いが、一つ一つ名前があり、緑の景色の、細やかな刺繍のように、四季のよそおいを彩っている。  ラテン語の格言に、「小さいとしても、うつくしい」(pauca, sed bona)という言葉がある。私の気に入っている言葉だ。ただ、英訳では quality over quantity「量より質」と訳されていて、違和感を感じる。  ラテン語の意味は、花について、たとえ大輪でなくとも、小さく花びらを咲か

          野花のひかり

          たなびくうすい雲

           時の流れを、空にうすく流れていく白雲のように思った。取り立てて飾るものも、彩る色彩もない。ただ、ひろやかに高い空に、ほのかに羽ばたくように、うすい絹の流れが、やさしい時のうつろいを、白い光に、たなびかせる。  時というのは、皆一つの方向へ向かっているように、思われている。時間は正確に計測され、とても細かな単位で、その流れが把握されている。人は、その正確に流れる時間を、有効に過ごさないと、損している、と思うことが多い。時間をはかる細かさが、精度をあげるほど、時間を有効に過ご

          たなびくうすい雲

          水の透明のゆらめき

           水の流れというのは、不思議と綺麗だ。透明に透きとおる流れは、一つの形を、同じように流している。石のあいだを通る水は、ほのかにゆらめいて、柔らかな髪が風に流れるように、ふんわりとたなびいている。  水を見つめていると、自分もその、水の流れのようなものだと、思うことがある。心の流れる、自分というものが、そこに一つある水の「形」に似ていると、そう思った。体のほとんどは、一ヵ月で入れ替わる。流れる水の、同じ水であることが決してないように。  その考えは、「すべてものは、流れ動い

          水の透明のゆらめき

          紫水晶の日を眺めて

           四季の景色を、人が眺めるように、空ゆく鳥も、羽を休めるとき、見つめる先を、一人静かに、空の彼方へと向けることがある。羽はためかせて、空に遊ぶ鳥は、自分の家や、仲間たちから視線を移し、青い透明の、あるいは朝日を縁取る、光の緑に、心を休める。  景色ほど、偶然なものはない。うつろう雲の淡い広がり、風に流れる葉の、音の質感、朝日の透明の、光織り成す、色の絵画。日ごとに景色は移り変わり、日の印象は、見るたびに、色合いを変える。  景色を眺めると、純粋な偶然のなかに心はたなびき、

          紫水晶の日を眺めて