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だもんで、花見を開催します。

自社入居ビルが花見用にイスとテーブルを解放

どうもこんにちは。広報のえぐっちゃんです。
桜の季節、いかがお過ごしですか。今日の猛烈な風雨で桜は全散りしそう
ですね。いとかなし。先週末なんですが、入居ビルの粋な計らいでイスと
テーブルが1Fに開放されまして、それを社長に報告すると「花見をやろう」と。ウェイ系ですね。

花見を終えると産休に入るキティさん、かなし。
桜を一瞥もせず続く酒宴。

ゲリラ花見の開催

そんなもんだから、さっそく自社Slackで呼びかけて、多数社員面々が
揃ってくれました。ゲリラ花見の敢行です。出向先からも来てくれたり
して、フッ軽ですね。桜が散る前に社員で楽しくワイワイできました。

ものの哀れ

ところで日本数学界の巨人、岡 潔先生は自身の教育観にて道義的センス
を身に付けろと語りかけました。「人の中心は情緒である。」と。
どうすれば情緒を磨けるか、それは直観を鍛え善行を繰り返すことらしい
です。そうすることで自らの正しさが形成され独自の見解が持てる。何か
おかしい、間違っていると感じたらその問題点を発見し、修正できる。
超直観力ですね。数学の発見には西洋のインスピレーション型と東洋の
情操型があるといい、昔の日本にはそれがあったらしいです。

道義の根本は「人の悲しみが分かること」。悲しみを知らぬ者は心配りが
出来ないのだから、緻密さが失われ雑になる。相手が抱いている悲しみを
自分の悲しみとして捉えれば人は歩み寄れ、逆にこのような繊細な感覚が
分からなければ、モノをつくるにしても言葉に表現するにしても、デリカシーに欠いたり、肝心な情報が抜け雑なアウトプットになってしまったり、
つまりいい仕事が出来なくなる訳ですね。道義的センスを身に付ける
ポイントの1つに美しいものに接し情操を養うというものがあるようです。

みなさん桜は見れましたか。私はまだ見れていません。
(酒飲んでました。)

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