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いまさら学ぶゲームデザイン

TETRADOTOXINのひとり代表、都築つづきテトラです。
普段は個人で美少女系2DARPG作ったりしているデザイナー崩れインディーゲームクリエイター。
ちょっとまえからインディーゲーム活動では苗字付きで名乗ることにしました。でもやっぱりテトラさんなので、変わらずよろしくお願いします。

個人でゲーム制作を始めて約1年半になり、最近は活動方針の見直しであったり、ゲーム業界への転職活動だったりで、ゲームについての勉強をする機会が増えてきました。むしろ思いつきでゲーム制作を始めた自分にとってはほぼ初学の気分ですが。。。
ってなわけで、自分向けのまとめも兼ねて、初学者ないし初心を振り返りたい制作者向けの簡単な記事にしようと思います。

ゲームの勉強って何?

突然ですが、ゲーム有害論ってご存知でしょうか?うちの幼少期の家庭とか、香川県議とかがそうなんですが、アレなんなんでしょうね。
うちは勉強を何時間やらないとゲームはダメ、だとか、好きでもないのにやらされてるサッカー少年団の目標達成しないと月単位でゲームを没収する、といった家庭でした。怒った顔してそんなことして何が楽しいんですかね(呪詛を込めて)。

私はそういった環境にいたこともあって「ゲームは学習や勉強と対にあるものだ」というイメージを持っていたこともありますが、最近はゲームの勉強をしている中でそのことをふと思い出して「狂ってるな〜」って思ったりもします。
ゲーム依存は確かに問題ですけど、大人の力で遊びの形を強制することはある意味で子供の学習の機会を奪うことにつながると思います。それはなぜか、ゲームの楽しさ=学習だからに他なりません。

そもそもゲームって何?

ゲームとは、ルールがあり、相手との相互作用のもとで勝敗を決める遊びのことをいいます。
スポーツはゲームそのものなのでわかりやすいですよね。サッカーなら手を使わずにボールを相手のゴールに入れ、制限時間内に相手より多く得点した方が勝ち。
競走全般は指定のコースを早くゴールした人から順位が振られる。など。こういった競技性のあるものを基本的にはゲームと呼ぶわけです。
つまり「ゲームを作る」っていうのは競技を作ることってことになるんですかね。昨今一般的に使われている「ゲーム」という名詞はここから拡大していったのかな…?

ゲームはなぜ楽しいのか

先ほどのスポーツの例では、いずれも楽しもうとしている人には目標があり、目標のために練習をしたり、作戦を立てたりして、結果がよければ満足感、達成感を得られたり、悪ければ改善や、もっと練習しよう、とフィードバックを得るプロセスがあり、その中で得られる達成感が競技スポーツの楽しさの正体です。

一方コンピュータゲームはどうでしょうか?
最近まで「このゲームは別に勝敗とかなくない?」とか「一人なのに『他人との相互作用』ってなんだよ」とか思ってましたが、これはそもそもの定義からズレた考えでした。

コンピュータゲームの、ゲームの定義での「相手」というのは「コンピュータ」のことです。ああ、ゲーム機やゲームソフトという意味で、名詞としての「ゲーム」のことです。
ジャンルはそれぞれですが、ゲームが目的やルールを提示してきて、プレイヤーは情報を元に思考し介入(操作)して、そうした結果どうなったかのフィードバックが得られる。その相手がゲームということです。

RPGであれば、ターンの中でコマンドを入力して行動します。この敵にはこの行動が有効だからこの行動をしよう、この敵は厄介だから集中攻撃して先に片付けよう、といった作戦をもとにコマンドを決め、行動の結果状況が変わり、また作戦を練って行動し、相手に勝利して新しいステージに進んだり、負けたから雑魚敵を倒してレベリングしてもう一回挑もう…といったフィードバックがあります。

パズルもそうで、このブロックはここにおいて、このブロックが来た時に一気に消そう!とか、ここに落としたら落下の衝撃で弾け飛んだりしないかな…などの作戦をもとに実践し、うまくいったら達成感を得られます。

アクションの場合は様々な場面でこのサイクルが高速で繰り返されます。この敵にはこの属性のこの武器を使おう、このアクションは隙が多いからタイミングを見極めて使おう、この敵はこの動作をした後に隙ができるからこの技を叩き込もう、ここで待機するとあの行動を誘発できてチャンスになるな、といったたくさんのことを考えて、やっと勝てた、だとか、このアクションがうまく決まってすごいダメージが出た、何分でクリアできた、などの達成感が得られるわけです。

それを踏まえて、自分が楽しいと思うゲームを想像して、どういった時に楽しいのか想像してみてください。必然的に「作戦と結果」が出てくると思います。つまりそういうことです。

ゲームの楽しさ=学習のサイクルと、作戦が上手くいった達成感

これもさらに詳細に説明することができますが、今回は割愛します。
置かれている状況に対し、どうなりそうか、どうしたいかを考え、作戦を立て実践し、結果を得る、このサイクルで適度に緊張と達成を与える、というゲーム全体の設計がゲームデザインであり、ゲーム制作者の我々は、これを試行錯誤し作る立場にあるわけです。
プレイヤーにいかに作戦を組ませ、どう楽しませるか、というアプローチが重要になってくるわけです。たのしいですね。

それをふまえてゲームの骨組みを作りたいよね

冒頭言ったように、私は思いつきでゲームを作り始め、まあそれなりに企画を練って始めたつもりですが、実際このあたりはあまり詳しくない、というか明確でないまま取り組んでいる状況でした。
ゲームデザインの基礎がわかれば、それに基づいて仕様やシステム、必要なデータやなどを分解する形で求め、それらをどのように作っていくべきか、何が大事なのかをはっきりさせられるわけです。ゲームデザインについて詳しくなったことだし、改めて企画書や仕様書を書いてみようかな、と思います。

おわり

今回はゲームデザインの基礎をまとめてみました。感覚で作っていたら気づかないようなことが多く、過去のゲーム制作記事がちょっとはずかしくなる気もしますが、同じようなことを感じてくれる方がいらっしゃれば幸いかなと。さらにひとつ賢くなった気持ちで、これからもゲーム制作頑張りたいです。よろしければスキ!とかフォローとかしてくれるとうれしいです。


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