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生きているだけ

※死とか自殺とかそうゆう話をしています。
※非常に乱文です。
ーー
昨年、身近な人と身近な人の友人が自殺でなくなった。

その話をしてくれた友人たちはどちらも凄く
悔しそうで「自分たちがいる世界で生き続けることを
なぜ選択してくれなかったのか、自分たちには引き留める
力もないのか」と落ち込んでた。

けど、正直、私はどっちの話をきいたときも
「羨ましい」と思ってしまった。
生きる、か、死ぬか、という延々の悩みに遂に結論を出して
苦しく生きることから「逃げる」「離れる」ということを
選択できで羨ましいと思った。

私はずっと「死ぬ」という選択肢を取ることに悩んで、
結論を先延ばしにしてただ「生きている」だけだから。

過去を振り返ると、小学5年生以降、
私の中では「死ぬ」という選択肢はとても身近。
中学から高校は楽しくなくて、人間関係が何一つうまく行かなくて
やり過ごしているだけの毎日に、ずっとその選択肢をとることを考えてた。

大学になって、彼氏ができて、留学にもいってバイトでも必要とされて、
すごく充実してやっと生きることに、生きていることに
疑問を持たなくなった、その選択肢を見なくなった。
不思議なことに大好きな彼氏に浮気されても
死にたいなんて思わなかった。

けど、最近また考えている。
入院を繰り返して、病弱な体で、精神も不健康で、
戦争みたいな社会的動乱があったら真っ先に死にそうな
体になって、かつ、動乱がいつ起こってもおかしくない
社会で結婚、出産の適齢期の女性として。

彼氏と結婚しても、体力的に無理ができないから、
経済的に貧乏にさせてしまうかもしれない、
病弱で世話をしてもらうばかりかもしれない。
子供を産んでも健康には産めないかもしれない、
子供の世話も満足にできないかもしれない、
守ることもできないかもしれない。
そもそも子供も産めないかもしれない。

そんなことを考えると、すごく申し訳ないし、
私も子供が欲しい中、こんな状態で悔しい。
生まれてくる意味があったのか、このまま私が生きていることで
なにかプラスになることがあるのか、そう思ったら死にたい。

でも、死ぬときっと彼氏とか親しい人は悲しんくれてしまう
気がする、かつ、葬式とかで無駄なお金がかかるし、
死体も残るとショックを与えてしまうし、死体がないと
戻ってくる希望を残酷にも与えてしまうので、積極的には
選択肢できない。

だから、私は結論を出せずダラダラと生きている。
だから、そこを選択できた人は凄い尊敬するし、何なら
最後の最後に、周りでなく、「自分」にフォーカスをして
周りに流されずに自分の幸せを考えて選択したことは
めちゃくちゃに凄いことだと思う。

周りに流されずに、自分の意志で「生きる」と「死ぬ」を、
選びたい。

あ~~
死ぬ=最初から私という人間がいなかったことになる。
   私という記憶がすべて消失する。
だったらいいのに,,,
そんな気持ちを込めて今日も私は「消えたい」と思う。


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