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ゾンビ黙示録 vs 大覚醒 — 闇のオカルティストを恐れる必要がない理由

【原題】The Zombie Apocalypse vs. The Great Awakening —  Why We Have Nothing to Fear From Dark Occultists
【掲載】
Badlands Media
【寄稿者】
American Hypnotist

闇のカバルと小さき "神々"

人類の古代の神々の多くは、信奉者に生贄を要求することで有名だ。これらの神々の多くは、投資家がバランスシート(貸借対照表)を見るのと同じように創造物を見ているように見える。そして、理由は何であれ、これらの神々はさまざまな“取引”に対して血による支払いを要求する。

バアル・モロク(Ba’al/Moloch)は、永続的に絶え間ない生贄を要求する神のよく知られた例である。アステカのある神々も同じ要求をしているように、世界中でさまざまな名前で知られている現象である。

問題は、それらが何のためなのかということだ。

まさにマトリックスにあるようなやり方だ。支配のためだ。悪の目的は支配という言葉に集約される。合意された人の役に立つ目的のための支配ではなく、悪自身のための支配である。真の権威がない場合、悪自身のための支配は奴隷制度の概念と完全に同義である。

真に全能で、全知で、遍在する神が、奴隷制を実践することは論理的であり、賢明なことなのだろうか? その目的は何だろうか?

常識的に考えれば、奴隷制を是認する神が、私たちに自由意志と地球の支配権を与えた神と同一であるはずがない。これは根本的に矛盾している。したがって、奴隷制を実践するいかなる集団や社会も、同時に神に仕えているはずもなく、真の掟に似た何かに従っているはずもないと、私たちは確信を持って言うことができる。

奴隷制度は神の意志のアンチテーゼである

世俗的な世界観へと社会をソーシャルエンジニアリング的に誘導する目的の一つは、物事に通底する目的を研究する「目的論」を抹殺することである。後述するように、これは大衆から精神性を取り除くために必要だった。

学問の主流は、ほとんどの場合、目的論という概念そのものに反対している。"科学者"は、何にでも本質的な目的があるという考え方を嘲笑うように訓練されている(宇宙が本質的に法則で秩序づけられていないという前提から出発した場合、科学の追求そのものが意味をなさないことを考えると、これはおかしなことだ…ああ、この矛盾はほとんどの人に理解されない)。

私たちは、特に何かの真の目的も真の性質も知ることはできないと言われている。しかし皮肉なことに、何かを "知ることができない"と宣言することは、知ることができないとされるものをある程度直接知っていることを前提とする。

哲学的な蛇足はさておき、今、私たちが懸念しているのは、このような自滅的不合理な見解を採用する社会が、人類にどのような影響を及ぼすのかということだ。

神と独立宣言(God and the Declaration of Independence)』では、神がいなければ法の支配という概念そのものが成り立たないことを説明した。要するに、神がいなければ、人類が「法」と呼ぶものは、単なる人間の好みの問題に堕してしまうのである。

窃盗、奴隷制度、殺人が悪いことであることは誰もが同意するかもしれないが、もし天地創造に本質的な意味がないとしたら、それが何故悪いことなのだろうか? そのような残虐行為は、超越的で目的論的な意味を与える妥当なテロス(別名:目的)との関連性がなければ、影響を受けた人々にとっての重要性を超えるような意味は当然何もないだろう。

もし本当に人間が自由であることが神の意志であるならば、人間の自由を妨げることは、神が自ら選んだテロス(神から与えられた人生の意味と目的という概念と同義)に反することである。この枠組みから、神学、宗教、法律をつなぐ糸を容易に見ることができる。私たちはまた、人々が神から与えられた権利を乱暴に簒奪することに関する、より大きな問題を見ることができる。不正行為は直接影響を受ける人々だけでなく、神と創造物全体にとって重要なのだ。

その様子からすると、私たちは確かに、神の意志という概念のいかなる合理的な考えとも真っ向から対立する“奴隷マトリックス”に住んでいるように見える。

聖なる生贄の儀式

奴隷制度と同じように、生贄を捧げる血の儀式もまた、神の意志とは何の関係もない。よく見ると、悪(evil)という言葉はまさに生きる(live)という言葉の反転であり、それによって、生きることと悪を行うことは、ある根本的な意味において正反対の方向に働く行為であることを暗示している。神の意志は、生命が生きること、つまり成長すること、なるべきものになること、潜在能力を発揮すること、などである。多くの研究者が、血の儀式の目的の少なくとも一つは、神に「中指を立てる」ことだと語っている。

「生贄(sacrifice)」の語源は「神聖(sacred)」であり、それは一つの解釈として、労苦や投資という概念と結びついている。言語そのものが、神聖な概念と冒涜的な概念を同じ言葉に当てはめることで、意図的に混ぜ合わせるように仕組まれているのだろうか? おそらくそうだろう。私たちはエリート秘密結社に所属しているわけではないので、パズルのピースを自分たちで組み合わせなければならない。

私たちが言えることは、非常に現実的な方法で、私たちが取るすべての決断や行動は、ある種の“生贄”でもあるということだ。あるものを選ぶということは、別のものを選ばないということであり、投資や選択をするたびに機会費用が発生する。「生贄」という概念は、法律上の「報酬」という概念にもテーマ的に関連している。つまり、契約や約束などを満たすために実質的な何かが“差し出される”ということである。

(私たちが取引をするとき、よく何が賭けられているのか?と訊ねる。これもまた、より“生贄”的な言葉・象徴に相当する)

「生贄」という言葉に見られるような、暗黒のオカルト、宗教、法律、金融の概念の融合は、世界が実際にどのように機能しているのか、多くを物語っている。

控えめに言って、貢ぎ物や支払いとして特定の種類の生贄を要求する特定の "神々"は、ある種の経済、すなわち彼らの欲求や欲望などを満たすように設計された“経済”を運営している。


“神々”はクレイジーだ

“上流社会”が“神々”について何を言おうが関係ない。入手可能な証拠から考えたら、狂気じみた、死を崇拝する偽の“神々”とそのエリートの代理人を相手にしていると考えることは不当でもないし不合理でもない。

今日、世界の法制度や経済は、冒頭で述べた「悪自身のための支配」という言葉を思い出してほしいが、純粋にそのためだけに人々の権利を簒奪し、危害を加えるように設計されているように見える。医療のもみ消し、終わりのない戦争、メディアの誤誘導、集団精神病を引き起こすための集団催眠の使用などなど、狂気とサディズムは現在機能している“システム”に組み込まれているようだ。

これは単なる偶然なのだろうか?

しかし、心配することはない。諺にもあるように「希望がなければ、プロパガンダは必要ない」のだ。奴隷制マトリックスの最も顕著な特徴のひとつは、その本質と存在をとことん難解にすることである。つまり、人類にそれを認識させる余裕はないということだ。

さて、それはなぜだろう?

それは人類が、大衆を意に反して奴隷にしようとするいかなる力よりも強力だからなのだろうか?(ネタバレ注意:それは正しく著者である私が信じていることだ)

考えてみれば、すべての人を奴隷にし、暗闇に閉じ込めておくために必要な努力は、非常にコストがかかるはずだ。であるなら、なぜ負担を強いられているのか? 必要に迫られてそうせざるを得なかったのなら別だが。

奴隷マトリックスは、侵略ではなく浸透によって出来上がる。なぜなら、侵略という選択肢は単に実現不可能だからだ。しかし、制度レベルでの浸透を認めるだけでは不十分で、私たちの文化や言語にまで浸透は及んでいる。

“浸透”の象徴としてのゾンビ黙示録

闇の "エリート"カルトの目標は、すべての人々の心と体を空洞化させ、ゾンビにすることである。「ゾンビ黙示録」は、大衆の心が完全に捕らえられた時点を表現するために、エリートたちが少なくとも数世紀にわたって訴えてきた極めて重要なシンボルである。残念ながら、これらのカルト集団は長い時間をかけて私たちの言語や文化を少しずつ破壊していったため、彼らの考え方やイデオロギーはほとんど疑われないレベルで社会に埋め込まれている。

匿名の作家、ローグ・ヒプノティスト(Rogue Hypnotist)は、古代から存在し、今日に至るまで私たちとともにある吸血鬼、狼男、ゾンビをテーマにしたカルトについて画期的な三部作を書いた。その三部作の中で、彼は「ゾンビ」とは本質的に自分の意志を持たない人間を指すことを明らかにしている。ゾンビは本当に死んでいるわけでも、生きているわけでもない。彼らは初歩的な運動機能を持ち、永久に飢えたまま地上をさまよう。これが世界に蔓延る狂った死のカルトの人間観である。

私たちを「消費者」あるいは「役立たずの食いしん坊」と呼ぶのは、単にゾンビをテーマにしたバリエーションだが、つまり、私たちは消費という機能しか果たしていないということを暗示している。

繰り返しになるが、この考え方は、人間の精神や人間の経験に超越的な意義があることを否定する非宗教主義的で物質主義的な視点を思い起こさせる。卑劣な詐欺師のように、世界に蔓延る死のカルトは、自分の魂は存在しない、重要ではない、と思わせたいのだ。そう思わせることができれば、“あきらめる”可能性が高くなるからだ。

とはいえ、すべては煙と鏡、そして言語的、催眠術的なトリックだ。

彼らが「ゾンビ黙示録」を煽りたいのは、この領域を支配したいからだ。根本的には、これがすべてなのだろう。

私たちはこの記事の冒頭で、血の生贄の真の目的とは何かと問いかけた。結局のところ、すべては神の創造物を簒奪し、自分たちの目的のために大衆をゾンビ化しようとする者たちの好みや趣味に帰結する。偽りの支配者たちは、自分たちが何らかの "神の"命令に基づいて動いていると思わせたいのだろうが、それは全くの嘘である。

彼らが異世界の知的生命体や悪魔的な何かに助けられている可能性は十分にある。この記事では、そのような憶測に深入りするつもりはない。しかし、舞台裏で何が起こっているにせよ、これらの "エリートたち”が(多かれ少なかれ)発見されずにいることにとても腐心しているように見えるのは事実である。

もし彼らが私たちに信じさせようとするほど力があるのなら、なぜそこまでするのだろうか?


真実はあなたを自由にする

寄生虫と宿主の関係において、どちらがより強い立場にあるのか?

これらのカルトは人類を必要としている。一方、人類はカルトを必要としていない。悪は実在する、それは間違いない。
しかし、それを恐れる必要はない。悪を認識し、悪にノーと言うだけでいいのだ。真理は私たちを自由にする。真実を知る者は、嘘に惑わされることはないからだ。

人類がこれまでについた最大の嘘は2つある。

1)私たちは、化学と進化の単なる偶然によってここにたどり着いた、ただの肉体的存在である。

と言うものと、

2)浪費家でサディスティックな "権力者"は、権威を主張する正当な資格を持っている。

である。

本当の真実は、私たちは神によって、神は目的を持って創造されたということであり、すべての存在の支配者として、神はすべての権威の真の源なのだ(神は、カニバリズムや血の生贄のようなものを好む寄生虫のようなエリート集団に権威を与えはしない)。

これらの真実に目覚める人類が十分な数に達すれば、「ゾンビ黙示録」の計画はすぐに中止され、代わりに「大覚醒」を迎えることができる。

実際、この著者である私を含め、戦争はすでに勝利したと信じている人々もいる。

Badlands Mediaの記事および特集は、寄稿者の意見を代表するものであり、必ずしもBadlands Mediaの見解を代表するものではありません。

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