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〈117〉友達と距離をおきたい①

自分が子どもだった頃より、友達との距離感に悩む子ども達が多く感じるのは気のせいですかね。

自分の子どももだいぶ滅入っていて、どうしたものかと悩む日々です。

筆者が子どもの頃は、よく「皆平等」と言われ、みんなと仲良くすることが求められていました。

そのため、正義感のかたまりだった筆者は、よく仲裁に入ったり、いじめの欠片を見つけようものなら「何してんじゃこらぁ!」と怒ったり、「仲間外れにするなと親に教わってないのか!」なんて言っちゃってました。

当然、発達障がいなんて概念の無い時代で、本当に平等意識が強く、「誰とでも仲良くしなければ」が自分や友達を苦しめていたかもしれないなと、今なら思います。



さて、現代の子ども達の話に戻しましょう。

平等もみんなと仲良くすることも、今の時代でも必要なことです。

でも、筆者が子どもの頃と違うのは、それに固執しなくてもよいということです。

子どもだって一人の人間ですから、自分のメンタルヘルスを健康に保つための関係性作りが大事であって、それが脅かされるような関係性を作らないことも非常に大切だということです。


発達特性があろうが無かろうが、人を陥れる、危害を加えることは許されるわけがないのです。絶対に。

疾患や発達特性がある場合は、それらがあるがために、"本人のせい"では片付けられないからこそ、どう教育していくかは丁寧に検討していく必要がありますけどね。


例えば、友達の顔面に突然パンチを繰り出し、驚く様を見て笑っているとか。

背後から忍び寄って突飛ばし、驚く様を見て笑っているとか。

武道の技だと言って、友達に蹴りをお見舞いして、やめてと言われているのに聞いていないとか。

本当に怪我をさせて、出血までさせているのに、悪いのは相手であって自分ではないと言い、謝らないとか。

自分のすることは棚上げして、友達の悪口は饒舌とか。

嘘をついて友達を傷つけているのに、それに気付けないとか。

暴言を吐くことを厭わないとか。


こんなの見過ごしてよいわけないじゃないですか。

友達が泣いてますよ。苦しんでいますよ。



どんな子どもにも、良いところと悪いところがあって、どの学年でも、相手を許し合いながら過ごしているわけです。

ただ、嫌なことをされても許しながら過ごしてきて、高学年になり我慢の限界値を超えたら、そりゃ距離を置きたくなりますよ。

それだけのことをしてきたんですよ。

無理に共にいる必要はないのです。

そうなると、危害を加える側が孤立していくんですよ。

孤立は本能的に恐怖を感じるものでもありますから、孤立して初めて"避けられた"ことに気付くのです。

しかし、なぜ避けられるに至ったのかを考えられる子どもはそれほどいないでしょう。

そのため、「急に避けられるようになった、自分が被害者だ」となるのです。

上記のような例では、「嫌われちゃったかも、どうしよう…」ではなく、「あんた、私のこと嫌いでしょ!?」となることが多く、さらに頭を抱えます。

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