〈98〉親の支援の仕方がわからない①
子どもを支援する時、子どもだけを支援すればよいわけではありません。
必ず"親"の存在があります。
学童保育は放課後の時間に就業等で家庭保育ができない保護者への支援事業でもありますしね。
現場にいると、正直子どもへの支援よりも親への支援の方が重要かつ難しいと感じます。
"子どもは親の所有物"という感覚から"子どもも一人の人間"という感覚が当たり前になってきたとはいえ、切り離せないんですよね。
子どもだけを支援しても、学童保育という狭い世界だけで支援しても、長い目で見たら何も支援したことにならないのでないのかと最近思います。
現代は少しずつではありますが、神経発達症(発達障がい)やグレーゾーンの子どもを見つけたり介入する専門職の技術が向上しています。
そのため子どもへの支援はある程度検討できます。
一方、親の世代はそういった概念なく成人になっていますから、支援員から見ても背景を捉えにくいです。
ただやはり子どもをアセスメントする過程で、どんな親かはわかります。
理解力、学力、倫理観、社会的地位、経済力、養育力、健康状態、親自身の育ち方…
子どもについての調査票を書いてもらうと、まあよくわかります。
面談したり、迎えに来た数分のやり取りでもよくわかります。
筆者が対応でわからないのは、知的の問題を抱えているであろう保護者です。
口頭説明しても理解していない場合は、書面にしたりしてみるものの。
読解力がない場合は、口頭説明したり、書面に指差ししながら説明してみるものの。
記憶力が乏しい場合は、何度も伝えてみるものの。
どうにもならないんですけど、どうしたらいいんでしょうか。
欠けていてもどうにかなる事柄なら仕方なしでも何とか子どもは過ごせるんですけど、例えば「着替え一式を常備してくださいね」と手紙に書いても、何度言っても準備されないんです。
そして子どもが粗相をするとか、加減知らずで水遊びするとかで絶対に着替えが必要になる場面があります。
保育園などのように放課後児童クラブとして下着や服を一式常備しておくなんてことはしないんですよ。
そういう親への合理的配慮と考えたら常備はアリだと思いますが、現状の予算では無理です。
他の児童の下着や衣類を借りる?どうぞどうぞなんて言う親いませんよ。自分は絶対嫌です。
結局仕事中であろう保護者に電話をかけるんです。
仕事中ですからすぐに来れるわけないんですよ。
濡れたままの下着や衣類を身に付けさせておくって人権上よくないんじゃなかったか?と思いながら、どうしようもないんですよ。
脱がせて大判タオルを巻いておくとしても、それはそれでどうなんだ?とも思うし、「こんな格好だからじっとしていてね」が通じない子どもは、ちゃんと走り回って粗でもない格好を披露するんです。
自分の子どもが困るのに全然気にも留めていなくて、もうどうしたらよいのか…
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?