岡田将生研究㉑ファンタジーとリアリティーの狭間で

 2021年の人気ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」。岡田は、主人公とわ子の3番目の夫中村慎森をシニカルかつ愛らしく演じ話題をさらった。冒頭で、三人の元夫をなぞらえて「1回目はsuddenly、2回目はcomedy、3回目に至ってはfantasy」というとわ子の父の台詞がある。1回目の夫とは究極のモテ男(松田龍平)との急な結婚、2回目の夫は面白可笑しい男(東京03角田晃広)との結婚。では、3回目のファンタジーとは?

 この台詞は「”岡田将生=ファンタジー”のイメージは視聴者に共感される」という確信がないと書けない台詞である。なぜなら脚本家(坂元裕二)は、3番目の夫中村慎森が、屁理屈で理論武装する合理主義者で、およそファンタジーとはかけ離れた性格であることを知っているから。この面倒くさい男を「岡田ならファンタジーに仕立て上げるはず」という絶大なる信頼のもとに放たれた台詞なのである。

 色白で美しさと可愛らしさが同居し、かつ男性的でもある端正な顔立ち。長身小顔で手足が長く、細身ながらしっかりした骨格でスタイル抜群。岡田将生は、存在そのものがファンタジーな俳優なのである。大豆田の慎森は、ファンタジックな見た目と甘い演技で、リアリスティックかつ辛口な台詞を矢継ぎ早に早口で(しかし口調は柔らかい)まくしたてるというギャップが、最高に楽しく魅力的だった。

 岡田の持つこのファンタジーなイメージを逆手にとって成功した作品が、2021年公開「ドライブ・マイ・カー」。一人地に足のついていない存在で、現実世界から浮いて見えた高槻(岡田)は、突然、地の底から這い出たような眼差しで本質を突き付け、リアリティーそのものに豹変する。悲壮感漂いまくりで、現実のどん底にいるように見えた主人公家福(西島秀俊)の方が、実は妻の幻想というファンタジーの世界の住人であったというオチには、震撼した。

 舞台作品でも岡田は、ファンタジーとリアリティーの間を行き来する。2019年に演じた「ハムレット」。新進気鋭のイギリス人演出家サイモン・ゴドウィンは「夢のような象徴的な世界」をイメージしたというファンタジックな演出をする傍ら、岡田には「ハムレットになるな。将生のままでいてくれ」と言い、「ハムレットのイメージに近づこうとするのではなく、今の将生にしかできないハムレット」というリアリティーを追求させた。ゴドウィン氏は岡田のハムレットを「若くて感情が激しく、優しさと知性と攻撃性が共存している」と評している。(劇場パンフレットより)こうして、見た目は気品溢れる完璧な王子(ファンタジー)でありながら、復讐心を抱きつつも悩みもがき苦しむ、現代の若者にも通じるような等身大のハムレットが誕生した。

 2021年「ガラスの動物園」は追憶の世界。「青年紳士ジム(竪山隼太)が最もリアリスティックな人物」とト書きにあるように、訪問者であるジム以外のウィングフィールド家の母アマンダ(麻実れい)姉ローラ(倉科カナ)トム(岡田)は、ファンタジーの世界を生きている。舞台上で繰り広げられている芝居は、全てトムの頭の中の想い出であり、現在のトムがストーリーテラーとなって語る。劇中、トム役の岡田は、現在と過去を往来する。追憶の中の登場人物は、虚像であり、語り部のトムは、現実世界から過去の家族を懐かしんで見つめるリアリスティックな存在だ。そして追憶の世界に時折現在のトムが幻影となって紛れ込む。岡田のトムは、羽織っていたコートを脱ぐだけ、という一瞬で、語り部から追憶の世界の過去のトムに切り替わり、軽やかに観客をファンタジーの世界へと引き込むのだ。

 岡田のファンタジーとの高い親和性は、初期の作品から多く見られる。現実離れした世界観に違和感なく溶け込み、リアルで共感できる人物としてスクリーンの中に存在する。2008年「魔法遣いに大切なこと」、2012年「ひみつのアッコちゃん」、2014年「偉大なる、しゅららぼん」「想いのこし」、2021年「さんかく窓の外側は夜」「Arc」など枚挙にいとまがない。2023年、間もなく公開される「1秒先の彼」もまた、”消えた1日をめぐるラブストーリー”であり、ファンタジーの中のリアルな岡田将生を堪能できそうだ。年を重ねても尚、ファンタジックな存在でい続けられる俳優は極めて稀だ。時にはそのファンタジー性が、俳優としての評価の邪魔になるかもしれない。だが「ゆとりですがなにか」に代表されるリアリティーの塊のような作品でも魅力的に輝ける岡田には、ファンタジーとリアルの両方を追求し続けて欲しいと切に願ってしまうのだ。

 

 

 

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