日巫女の聖地
【記録◆2023年12月6日】①
『三輪山』の近くになぜ『鳥見山』がふたつもあるのだろうと、地図を見て不思議におもっていたのは昨秋まで。
過去は変えられないのに、伝わる時には元の姿を失いもするのです。
経験から、「虚言によって歪められた実像は、時とともに修正される」と分かります。わたしが虚像であれば好都合という理由で撒かれた種はどれも根を張れなかったので。
そして、そのような種を撒く側が信用を失います。
最初から信頼を置かれていないかもしれません。そのような行為ばかりを繰り返していると。
時を待てない方は、「逆から真実を広めたい」と義憤に駆られるのですが(わたしという他人のためにそこまでおもってくださるのはありがたい)、個人的なことなら、対立や諍いを必要としない経過を辿るのですから放置を択びます。
個人的なことでないなら、静かに堰をひらきます。
流れゆく先は水が択ぶでしょう。
◇鳥見山(桜井市)◇
いままでに何度か訪れたのは、「宇陀市の鳥見山」のほう。
「桜井市の鳥見山」に行くのは初めてです。
かつて占拠された聖地には武具の擦れ合う音が残っていそうで、これまで「行ってみたい」とは感じませんでした。山裾が市街地に接しているため、古代という時に浸るのは難しいだろうと考えもしました。
しかし、麓の『等彌(とみ)神社』の奥に登山口があると知り、
「古代には三輪山を西南から遙拝する聖地であった鳥見山(桜井市)なら、『二本杖で歩く車椅子ユーザー』が辿り着ける所からも遙拝できるのでは」とおもったのです。
先週に行った鳥見山(宇陀市)にも遙拝できる場所があったのか、それは判らないままです。わたしの行けない所まで行ける方々が語らないので。
(古代人も、わたしが行けた所から心の眼で視たのでしょうか。手前の山に隠された神奈備を。)
等彌神社の手水舎には登拝のための杖がたくさん用意されていたけれど、自分のT字杖で、そのまま進みます。
ふたつ目の鳥居をくぐった瞬間、すぐ側にあった市街地が消えました。
晴れた日の真昼なのに、陽が差しません。
高い樹の葉は陽を受けていますが、神前には灯りが供えられています。
昼と夜が混ざり合ったようです。
大きな社殿の他に多数の社が立ち並んでいて、広い境内を通る間だけで、「神さま、こんにちは」と、10回は申し上げたでしょう。
登山口に着いたときには、脚力が尽きていました。
でも、山には腕の力で登れます。
『三輪山』が見えたからカメラを向けたけれど、まったく写っていません。
ズーム機能を使ったら撮れました。
古代人と同じ所に、わたしは立っています。
ここは道の途中で、遙拝所ではないから、もう少し進んでみます。
ここまで数えきれないほど鳥居をくぐってきたけれど、これがほんとうの鳥居のように感じられます。
上の写真の右側に写っているのが、最初は根であった部分です。
直立しているのが、枝であった部分。
道に接した部分が根をおろしているようです。
根をおろせなかった部分も、斜面の先へ長く伸びています。
くぐってもいいのだろうか、という気もするけれど、登山道の目印なのかテープが巻かれています。
「不屈の樹」を越えてから見上げると、それぞれの枝がいまでは幹のよう。
新しい根に近い所は、元の幹よりも太くなっています。
幹のようになった枝を数えると、だいたいですが13本はありました。
古い倒木は、このような形で天を目指すようです。
他では目にしたことがないので、この山においては、でしょうか?
頭上では、何本かの倒木が支え合って、文字を描いているよう。
新しい倒木は、登山道を整備するためか、根をおろす前に伐られていて、道にあった部分だけを失った樹が両側に残っているのでした。
道ではない所には、倒れたままの姿で残っています。
腕の力で進んできたけれど、脚が動く間に帰らなくてはなりません。
きょうは、ここまで。
『鳥見山』の「とみ」は『登美』が正しいのでしょうけれど、そこでは鳥の声を聴き続けることになります。
キツツキが立てる音も聴こえます。どんぐりが落ちる音も。
録音するため山中で平らな場所をなんとか探してカメラを置きましたので景色は選べませんでした。
◇等彌神社◇
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