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塔8月号若葉集 私の好きな五首

春の日に私の好きを集めては本を付箋の森にしてゆく
平田あおいさん

下の句が好きです。「付箋の森」と表現されていることで、沢山の付箋が貼られていることがわかります。
「春の日に」の初句で読者を暖かでゆったりとした気持ちに誘い、「私の好き」で更にほっとさせる。
その上で「私の好き」が全て「本」だということがわかり、読書好きな人だということがわかる。短歌を読む人には読書好きな人が多いでしょうから、共感する人も多いでしょう。もちろん、私もその一人です。
そして私は森が好きなので(森の中に移り住むほど)、春の森ということで、新緑の柔らかな早緑の森がイメージ出来て、とても爽やかな気持ちになりました。


澱のよう何故を溜めつつ決めたこと秘密は秘密のままで良いよ
鼎眞魚さん

上の句と下の句の乖離・ジャンプ力がすごいと初読、思いました。
溜めた「何故」は「澱のように」溜まっているのに、そんな風に葛藤を抱えつつ決めたことを「秘密は秘密のままでいいよ」という。この下の句で、あれ?何故を溜めながら「決めた」のは主体ではないのかな?と、初句に戻って読み返したくなる。少し混乱するのです。
何度か読んで、私は初句から結句まで、この一首は主体が誰かの様子を見ていて思ったことと解釈しました。初めに読んだ時は、上の句は主体の気持ちとして読んだのですが、それだとやはり、少し無理があるのです。
相手は恋人でも友達でも、自分の子どもでもいいのですが、悩みつつ何かを決断した誰かのその何かは、それはそれで「秘密のままで良いよ」と言う。
相手に寄り添い見守る主体の優しい眼が感じられました。


ふはふはと風にもなびきさうな人微笑みつつ言ふ吾子は逝きしと
橘 杢さん

あぁ、優しい人が描かれているなぁ、と読み進んで、結句に驚ろかされます。作者の驚きがそのまま伝わってきます。その優しい人は、我が子が亡くなったことを微笑みながら言うのですから。
その方の我が子が亡くなったのはいつのことなのか。上の句で主体とその人は親しそうに思えるので、そんなに昔のことではないのでしょう。それなのにその人は、微笑みながら言うのです。たぶん、人生で一番辛かったことを。
「ふはふはと風にもなびきさうな人」の芯にはそれだけの胆力があったのです。
子どもが亡くなってしまったこと、やわらかな感じの友人の芯の強さ、その二つに、作者と共に二度驚いてしまうのです。
歌の構成もよく練られていると思います。四句までの印象がが結句で反転してしまう。鮮やかな一首だと思いました。


みなぞこをおもいだしてね ゆっくりと息をすって はいて すって
山崎杜人さん

歌を読んでいて、一緒に息を吸って吐いて、深呼吸をしたような気持ちになります。
だけど実は初句で「みなぞこ」と言っているのです。そこは空気のない水底なのです。ちょっとびっくりして、でも「おもいだしてね」と言っているから、別に自分が水底にいるわけではないと、ほっと息をつきます。
そしてもう一度、深い青色の、澄んで静かな水底を思い浮かべて、その青を見ながら息を吸って吐いて、深呼吸をするのです。その景の穏やかさにどれだけ癒されることでしょう。
「息」以外の全てがひらがなに開かれていることも、セラピストに穏やかに唱えられているような優しさを感じます。


じりじりと親を看取る日近づいて重低音が響き続ける
高橋澄子

主体の親を看取る日が近づいています。しかも「じりじりと」。
急に倒れたわけでも、病状が急変した訳でもないのでしょう。たぶん、親は長い間入院しているのではないでしょうか。そして少しずつ弱ってきている。
主体は親を失う覚悟は出来ているのでしょう。その日はそう遠くない。例えばICUに入っているとか、医師から余命を宣告されているとか。
その事実は主体の中で「重低音で響き続け」ているのです。
まだ危篤ではないので病院に詰めるほどではない。いつもと同じ日常を続けながら、頭の片隅ではいつもそのことを考えている。そんな状態を「重低音が響き続ける」と表現している下の句が、とても良いと思います。
でも、親を亡くすのは、やはり辛いことですね。
(ここまで書いて、掲載歌の中に「ホームの父に」という歌があることに気づきました。状態は、そこまで逼迫しているわけではないのかもしれません。ちょっとほっとしました。


以上、ほぼ素人の感想文でした。


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