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塔四月号 若葉集より好きな歌五首

こんにちは。
山の家にも遅い春がやってきて、桜が咲いてきました。
これからののどかな春がとても楽しみです。

さて、塔四月号の若葉集より、好きな歌五首です。敬称略で書かせていただきます。

このひとはきっと人間を好きなひと私はそれがひどく寂しくて 石田犀

303p

人間を好きな人が、自分にはとても寂しく感じられる…。
どんな状況なのだろうと、考え考えしているうちに、こんなことを想いました。主体は、「このひと」のことが好きなのだろう、と。そして「このひと」も主体にとても親切なので、もしかしたら「このひと」も私を好きなのだろうか、と思っていた。それなのに、よく見ていると「このひと」は、主体以外にもとてもやさしく、親切な人。あぁ、私が特別なわけじゃないんだ、このひとは人間みんなが好きなのだ…、それに気づいてしまった時の寂しさ。それを詠んでいるのではないだろうか、と。
私には、そういうひとが一人、います。とにかく誰にでも心底親切で、困っている人がいれば率先して助けにいき、誰にでも笑顔のひと。そんなひとの「唯一の私」になるのは、とても難しい…。
下の句の「それがひどく寂しくて」が心に残る一首です。


終電車家路を急ぐ雨上がり水溜まり踏み満月砕く 川崎雅昭

306p

仕事で遅くなってしまって、終電車になってしまった。駅を降りてからも急ぎ足であるく主体は、ぐんぐん歩き水溜まりを踏んでしまった。その水溜まりには満月が映っていたのに…。
そんなことを詠った歌を読みました。
結句の「満月砕く」が好きです。家路を急いでなにも見ずに歩いているようでいて、どこかそんな自分を俯瞰して見ている自分がいて、その自分が、歩く自分が水溜まりの満月を砕いてしまうのを見ていた。そんな複数な自分の目を感じます。
きっと主体は水溜まりの満月以外にも、なにかを砕いてしまったのではないでしょうか。満月が象徴するような、何か、を。


息子なら手伝わなくてもイラつかぬ抜け出しがたきジェンダーバイアス 
YASUKO

309p

親戚が集まってもてなす側に立ったとき。もしくはそこまで特別ではなくても、日々の食卓などでちょっと忙しくて人手がほしい時。自分がパタパタを動いているのに、子どもたちはのんびり座ってテレビなどを見ている。少しでも手伝ってくれれば楽なのに。いつまでも子どもで、まるでお客さんのように動かない子どもたちに対して、ついイラつく。
でも、主体ははっとするのです。娘にはイラつき、息子にはイラつかない自分に。リベラルで人間みな平等と思っているはずの自分に残る、小さなジェンダーバイアス。それに気づいてしまった一瞬を切り取った歌と読みました。
私は娘しかいないので、その子どもに向ける視線に男女差が出てしまうのは、よくわからないのですが、ほかの場面ではそういうことを感じたことがあります。
テレビ広告で、日常の場面の瞬間を切り取った絵に吹き出しのセリフが書かれ、「あなたは男女どちらの声で聞こえましたか?」と問いかけられるACのコマーシャルがあります。ジェンダーフリーでありたいと思っている私も、つい、赤ちゃんをあやす言葉は女声で聞こえ、仕事のプレゼンの言葉は男声で聞こえてしまいます。
抜きがたいジェンダーフリー。いつか、そこから脱却する人たちが増えることを望んでいます。


叶はない願ひごとにも色がありあのひとは雨、降りだす前の 藤田ゆき乃

310p

「願ひごと」に「色」がある、そして「あのひとは雨」、それも「降り出す前の」と詠われるこの歌。色があるのは叶わない願いのはずなのに、それがあの人にすり替わる。そのうえ、色ではなくて降り出す前の雨だと言う。
この、少しずつずれる言葉に惹かれてしまいます。下の句の倒置法、そして読点、そのすべてで「降り出す前」を強調していく。世界は雨が降り出す前に染まっていく。
それがとても美しいと思うのです。


初七日に冷凍庫から母のカレー見つけては父はまた凍らせる 大林幸一郎

310p

お母さんが亡くなっての初七日。お母さまは長患いをしていたわけではなく、急に亡くなってしまわれたのだと思います。なので、生前のお母さまが作り置きしたカレーが冷凍庫の中に入っている。そのカレーを見て、主体のお父様は、なにも言わずにもう一度凍らせる。その風景を詠んだ一首と読みました。
感情を排して風景のみを描くことによって、お父様の底なしの淋しさ、というものが感じられます。そのカレーは、もしかしたら永遠に冷凍庫の隅に残っているのかもしれない。お母さまが生きて料理をしていた記憶として。
そんな風に思いました。


以上です。
また今月も勝手にいろいろ書きました。読んでくださり、ありがとうございます。

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