Ni(内向的直観)持ちの内観

あるサイトの文章で「人間は自由責任ゲーム」をしている、「発達障害というのはそれに乗らず、あるいは乗れず、自然現象として扱ってほしいという人々」であるといった言葉が並んでいた。この話から、私はどうかと考えてみる。

私は元々、こだわりが少なく欲のない人間だった。むろん、食欲睡眠欲はある。しかし、それ以外の欲求がまるでない。あるとしたら読書欲くらいだ。社会性が本来なく、私という人間を虚飾なしにシンプルにしたら「読んで食べて寝るだけに特化した人間」ということになるのだろうと思う。しかし、それではもちろん生きていけない。社会性を持って他人と関わり、物事を解決していくことによって人様の役に立つ。それによってお給金をもらい、適度に承認され生きていく。私はここを履き違えていた。私はただ、私が優秀であるということによって承認されたかった(だから、食欲睡眠欲読書欲しかないというのは語弊があったな)。し、学生時代はそれで承認されていた。勉強も音楽もできる優等生。それが私だった。しかし一方で、社会性はほとんどなく、大人しくしているのが関の山の人間だった。内心は「優秀だと思われたい」と思っており、会話で他人を喜ばせることなく、他人のことを配慮することなく、ただ褒められたい崇められたい認められたいと願っていた。

だから、より正確に言うと、私は「社会性・貢献欲がなく、処理能力も低く、ただ優秀だと褒められ認められたい文系の勉強はできる読書が好きな子」だったのだ。受動的だけど、従順ではなく女王気質の人間。それが私だった。ほしいほしいという気持ちはとてもあった。世界は私に貢献すべきと強く信じていた。今も信じている。だから、私はテイカー気質の人間なのだった。前者(社会性・貢献欲・処理能力)が低ければ、仕事をすることは難しい。やってもレベルが低いことしかできない。いくら勉強ができても、気遣いができなければ仕事はほとんどできない。だから社会に出てからとても苦労した。私の本質は社会に貢献しない。しかし生きるために働かなくてはならない。働きたくなかった。その動機がなかった。しかし生きなければならない。板挟みだった。

この社会では、一人ひとりがコミュニケーション能力や常識といった社会性を持ち、貢献意欲を持ち、問題を解決していくことで回っている。私はそれにあまり興味がなく、ぼーっとしたり、小説を読んだり、音楽を聴いたりしてまったりと過ごすのが性に合っている。そういうことばかりしてきたから、脳内で概念操作することには長けている。だから勉強もできたのだろう。しかし、問題解決というゲームには参加する意欲が持てない。みんなが楽しんでいるゲームを楽しめない。みんなが中央に集まってわいわい言葉を交わしつつ、家を建てたり新しい物(ノートとかペンとか)を作ったりして楽しんでいるとしたら、私は言葉を交わすことも何か価値を作り出すことにも興味が持てずに外れでぼーっとしている一人ぼっちの子だ。たまに本を読んだり書いたりする。でも書くのもひたすら自分のため。誰かを救いたいと思っては書いていない。自分の脳内を整理するために書いている。でも私はそんな私が嫌いじゃない。自分の中でほとんど完結している時の自分自身を愛している。

実情を言うと、私は普通に話もするし、会話を楽しむこともできる。でもそれはどこかふりに近い。人と話すと疲れる。深読みしすぎるのだ。私は厳密に言うと発達障害ではなく、スキゾタイパルなので、発達障害の人たちのように「できない」のではなく「興味はないが意識を向けるとできる」のである。問題解決の方法も、だんだんできるようになってきた。とにかくマイペースなので、他人がいち早く「この世界では人間関係と問題処理が主だしそれが楽しいんだな」と思う二十年後くらいにやっとそれに気づくわけだ。ゲームが好きな人が、この世界を楽しむことができると思う。私はゲームよりも物語が好きだ。でも物語的な仕事ってなんだろう……カウンセリングとかかな。

とにかく、私はそういう「みんなでわいわいゲームよりも静かに一人で物語を楽しみたい」人なのだった。しかも最近は物語からも離れてきている。なぜかは分からない。体力がなくなってきたのかもしれない。アップダウンがしんどいのかも。それか、昔もそんなに物語ばかり読んでいたわけではないか。ということは、今も昔も物語は定期的に読んでいる。

……とりあえず生きていくために、私は人間関係&問題解決のゲームに乗りたいと思う。

今気づいたのだが、これを性格診断的に表現すると、人間関係はFで問題解決はTと考えることができる。消費活動がSで、概念操作がN。だとしたら、FやTが主機能の人たちが生きやすい世の中である。SやNが主機能だと、補助機能を発達させることでやっと社会参加できる。

Niが主機能の人の適職ってなんだろうな。それがあれば、補助機能頼みにならずとも十全に働くことができるんではないか。善は急げ。次の記事で考察してみたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?