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ライトノベルの賞に応募する(25)

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お風呂を上がってから、洗面所でドライヤーで頭を乾かしていると、後ろから、
「お前、男のくせに、ドライヤーすんの?」
 と、声を掛けられた。大富豪のメンバーの一人だった。
「だっせー。」
 僕は固まってしまった。そういえばお風呂から大富豪に戻って来たメンバーは、みんな髪が濡れたままだった。
 男がドライヤーを使うのは、ダサいのか? 
 今まで考えもしなかった疑問が、僕の中に残る。確かに僕も短髪だし、ドライヤーしなくても困ることはないかもしれない。でも習慣としてドライヤーを握っていた。これはダサいことなのか? 話しかけてきた子はもうそこに居ない。生乾きになった髪を、ドライヤーで乾かすでもなく、ドライヤーを握ったまま、僕は洗面所で棒立ちになり、鏡の前で固まっていた。
 どうしよう。もうドライヤーを使うのはやめた方がいいのか…。
 鏡に映った僕は、所在なさげで、頼りなく見えた。父親が警察署に連れていかれた光景が頭をよぎる。姿勢が悪く、だらしなくなってはいけない。清潔感がないのもいけない。僕は鏡の前で姿勢を正し、ドライヤーを続けることにした。僕は僕だ。父親でもない。ここの生活でも、僕の習慣を続けた方がいい。流されるすぎるのはよくない。なんとなくそう思った。
 僕が、僕を大切にして生活を送ること。
 多分僕にとって、それが一番の課題だ。前提条件を自分で提示して、結論を導き出す。初めてやることだけど、僕にだってできるはずだ。ここにいる人たちの常識に付き合う必要はない。合わせる必要のあることと、ないことがある。母親に冷凍食品を温めてから入れなければいけないと言われた時のことを思い出した。僕はその話をその場で否定しなかったけれど、無視して行動に移した。パッケージにそのままお弁当に入れていいと書いてあることを優先して母親の意見を無視した。僕は僕が思うことを大切にして、行動に移す。きっとそういうことの繰り返しが、成田さんのいう、僕が僕を大切にすることなんじゃないかと思った。結論が出たわけではないけれど、なんだか、バカにされた一言でちょっとだけ前に進んだ気がした。気が付いた気がした。
 今まで僕は自分の意思で、動いたことはないと思っていたけど、小さなことでは既にやっていたじゃないか。今日すごく難しい課題を成田さんに出されたと思っていたけど、小さなことではやっていたじゃないかと思った。母親の小言に従うべきか、無視するべきか。大筋では、ミワのためとか、母親のため、家族のためだったけれど、その方法論については、ちゃんと自分で決断してきてる。Why(なぜ?)の部分では確かに誰かの意思だった。でもHow(どうやって?)なら、結構自分で決断してやって来た。ということは、Why? の部分の主語を自分にしたらいいんじゃないか。
 答えは出ないけど、使うべき公式が見えたような気がした。問題文を正確に読み取り、何の公式を使うか判断して、あてはめて、計算をして、解を導き出す。なんだ、いつもやってることじゃないか。なんだかそう思えた。でも適切な公式が目の前にあるわけじゃない。すでに学んでいる公式が使えないのなら、新しい公式を学べばいい。この解を導き出す公式がきっとあるはずだ。それさえ見つかればQ.E.D.証明完了だ。
 鏡の中の自分がさっきよりしっかりして見えた。常に姿勢を正すこと。だらしなく歩みをすすめないこと。清潔感を保つこと。とりあえず目に見えている課題はそれなんじゃないかと思った。

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